joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『ドラゴン桜』と『ユダヤ人大富豪の教え』

2006年01月25日 | Book
『ドラゴン桜』というドラマや『ユダヤ人大富豪の教え』という書籍が私たちの前に登場したのは、時代と私たちの意識が大きな転換の時期にあることを示しているように思えます。

『ドラゴン桜』というドラマが私(たち)に教えてくれたのは、私(たち)が深刻な「東大病」にかかっていること。私たちの殆どは学歴コンプレックスを抱え、同時に「秀才」への嫉妬と崇拝の意識をもっています。幼児の頃から成績の序列を意識させられて生きてきているのだからそれもやむをえないと思います。

しかし、私(たち)はそのコンプレックスによって、学ぶことの楽しさを失っているのでしょう。コンプレックスをもつことで、学ぶこと自体に嫌気を持ち、本当なら好きになるかもしれない英語・数学・社会・理科などに真剣に取り組めないのです。

「どうせ自分は東大の人たちにはかなわない」という風に学問と序列を同一視してしまうため、本当は序列とは無関係な学問の楽しさを知ることができないのです。

学ぶこと、頭を働かせることは、本来は序列の中の劣等感や優越感とは無関係なこと。そのことを私たちは知らないために、学ぶこと・頭を働かせることにコンプレックスを持ち、それらを心の底から楽しむことができていないように思います。

『ドラゴン桜』は私たちが「東大病」にかかって、学ぶこと・頭を働かせることの楽しさを知らないことを教えてくれました。同時に、それらの楽しみを受験を通して教えてくれているように思います。


『ユダヤ人大富豪の教え』、そして本田健さんの一連の著作は、私たちの身体に抜き難く染み付いている「お金のストレス」を教えてくれました。

貧困層にいる人はもちろん、いい大学を出ていい会社に勤め年収一千万を得るという人生が、実はとてもお金のストレスを抱えこむことになることを教えてくれました。そうしたホワイト・カラーのコースは、安全への執着の産物であり、金銭に対する余裕の無さが生み出した人生だと本田さんは言います。

そのようなホワイト・カラー、そして貧困層の人も、お金というのは、切り詰めることによってしか蓄えられず、またお金のリテラシーがないために、贅沢品や家のローンなどによって心理的なストレスを抱え込む出費をしてしまいます。

本田健さんは、安全という動機でお金の執着したり、またその反動で浪費してしまう私たち一般人の感情のメカニズムを暴き出しました。そして彼は、もっとお金と人生に対して余裕を持ち、お金をもらうという従業員の人生ではなく、自分からお金を生み出すことができる人生があることを教えています。


『ドラゴン桜』も『ユダヤ人大富豪の教え』も、東大に行くことがエライとか、起業して成功することが正しいとか、そういうことを言いたいのではないのだと思います。

そうではなく、私たちがいかに知識とお金についてコンプレックスとストレスを抱えて生きているのかということ。そうした病を振りほどいて、自分本来の安定した感情でその知識とお金と人生について向き合うことの大切さを教えてくれているのだと思います。

知識もお金も中立な道具です。それらは、悪いことに使おうと思えば使えます。しかし、いいこと、人のため、社会のためになることに使おうと思えば、すごい力を発揮してくれる素晴らしい道具なのだと思います。


涼風


最新の画像もっと見る

post a comment