今日の、私が住んでいる神戸の朝は気持ちよかった。わたしはモーニング・ノートを毎朝書いているけれど、今日のような日は書いていて気持ちよかった。
モーニング・ノートとは、毎朝ノート3ページに思い浮かぶことをひたすら手書きで書くことです。うまく書こうとするのではなく、文章がめちゃくちゃでもいいから、ただひたすら書くこと。それによって、「きちんとしなければ」という自己検閲の奥にある自由な創造性が顔を出してくるそうです。(詳しくはジュリア・キャメロン著『ずっとあなたがやりたかったことを、やりなさい』 『あなたも作家になろう』を見てみてください)
モーニング・ノートを書くことは、ヒーリングに似ている。楽しいけど楽しくないのだ。自分を掘り下げることは、胸の中の内臓をひっくり返しているようで楽しくない。でも、ひっくり返すことで、なにか自分を再構成しているようで、その感覚が楽しい。
書くことは楽しくない。なんだかとても辛気臭い。なんだかとても貧乏くさい。そうした嫌なものがたくさん自分の中からわきあがってくる。
でも、なんだか続けてしまう。そのときは、それでいいのだろう。
モーニング・ノートとは、毎朝ノート3ページに思い浮かぶことをひたすら手書きで書くことです。うまく書こうとするのではなく、文章がめちゃくちゃでもいいから、ただひたすら書くこと。それによって、「きちんとしなければ」という自己検閲の奥にある自由な創造性が顔を出してくるそうです。(詳しくはジュリア・キャメロン著『ずっとあなたがやりたかったことを、やりなさい』 『あなたも作家になろう』を見てみてください)
モーニング・ノートを書くことは、ヒーリングに似ている。楽しいけど楽しくないのだ。自分を掘り下げることは、胸の中の内臓をひっくり返しているようで楽しくない。でも、ひっくり返すことで、なにか自分を再構成しているようで、その感覚が楽しい。
書くことは楽しくない。なんだかとても辛気臭い。なんだかとても貧乏くさい。そうした嫌なものがたくさん自分の中からわきあがってくる。
でも、なんだか続けてしまう。そのときは、それでいいのだろう。