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淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

長門裕之・南田洋子夫妻の闘病生活を追ったテレビ朝日「ドキュメンタリ宣言」は凄まじかった。

2008年11月04日 | Weblog
 誰でも歳をとる。
 何れ五体が満足に動かなくなって、脳細胞はますます死滅し、やがて過去の記憶も断片的となり、幼時に戻ってゆく・・・。

 個人的に言えば、とにかく肉体の衰えが一番怖い。恐怖すら感じるのである。
 体を絶えず動かすことが大好きで、それを無上の喜びとしている人間にとって、肉体や精神が老いるという事実だけは絶対認めたくない部分があるからだ。

 前にここで取り上げた、哲学者の須原一秀による「自死という生き方」という本。
 本当に、この本には感銘を受けた。
 自らの死に場所は、自らが選ぶ。それも五体満足のうちに。健康体で幸福なるうちに。きちんと自分自身を整理する。闘病生活を迎えるかもしれない、その前に・・・。

 ところがこういう考え方は、表層的に捉えられると、逃避的で周りの人間にも迷惑を及ぼすとの批判を受けやすい。人生から逃げていると。
 しかし、果たしてそうだろうか?
 確かに家族や周辺の人々に迷惑を掛けることにはなるかもしれないが、それより何年間にも渡って配偶者や家族に下の世話も含めた介護を365日強いるほうが、よほど辛くはないだろうか。
 第一、申し訳がない。
 勿論、それはそれぞれの家庭における諸般の事情があるわけで、自分の意見をごり押ししようなんて気はさらさらないけれど・・・。

 愛する人間を慈しみ、最後まで献身的に介護したい。
 それはそれでとても美しいことだし、素晴らしい行為であると心底思う気持ちに変わりはない。正しい。太い絆で結ばれている家族なら尚更だろう。

 それにしても、11月3日午後7時から観た、長門裕之・南田洋子夫妻の闘病生活を追ったテレビ朝日の新番組、「ドキュメンタリ宣言 消えゆく妻の記憶」には釘付けにされた。
 テレビや映画のスクリーンを通して今まで観ていた、あの名女優、南田洋子の激変に対してである。
 アルツハイマーらしいということなのだけれど、自宅から一歩も外に出ず、過去の記憶がゆっくりと消滅し、時々、鬱のような表情を見せたりする。
 そしてそれを、夫である俳優の長門裕之が、不平を言わずに優しく介護するのである。その健気でひたむきな対応が、観ている者を熱くさせる。

 老いとは、ここまで壮絶で凄まじいものなのか。
 こういう生活を、人は一体何年続けることが出来るのだろう。疲労感も凄いと思う。そして精神の激しい疲れ。

 美しいシーンがある。
 撮影で出掛ける長戸裕之を、奥様の南田洋子が玄関口まで送るシーンだ。
 長門裕之が、南田洋子の頬にチュッと優しいキスをし、「愛してるよ」と囁くのだ。それに対して、はにかみながら彼女が微笑む。
 愛しく。それから幸せそうに。

 この番組、見逃した人も多いだろう。
 再放送を切に願う。




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