名古屋行きの飛行機の中で本を読んだ。
直木賞作家の伊集院静氏のエッセイ「大人の流儀」である。
伊集院静氏の武勇伝というか逸話については、色んな雑誌等で読んだことがあった。
今でも一番印象に残っているのは、何かの週刊誌の中で漫画家の黒鉄ヒロシ氏が書いていた、友人である伊集院静氏へのコメントだ。
2人は大の酒好きらしいのだけれど、黒鉄ヒロシ氏が別な仲間と飲み歩き、ベロンベロンに酔っ払って伊集院静氏に電話を掛けることがよくあるのだという。
当然、出来上がっている時間帯ということなので、深夜だったりかなり遅い時間ということになるのだろう。
ところが、伊集院静氏は、どんな時間帯であろうと、どんな状況下であろうと、必ずタクシーを飛ばして黒鉄ヒロシ氏のもとへと駆けつけるのだとか。
確か、そんな内容の記事だった。
僕なんか、絶対に無理だ。
というか、それほどお酒が強いほうじゃないので、直ぐに一次会で退散するし、一旦、家に帰って寛いで、その後改めて飲みに出掛けるなんて絶対に出来ない芸当である。
その記事を読んだ時も、「凄いな、伊集院静って人は」と、心底その律儀さに感心してしまったほどだ。
今回読んだエッセイ「大人の流儀」は、どちらかというと軽めの読み物だ。
「春」、「夏」、「秋」、「冬」と、四つに大きく分かれていて、「大人が大人として生きてゆくための幾つかの流儀」が、色々と書き込まれている。
その中の一篇に「妻と死別した日のこと」がある。
そこでは、これまでほとんど触れてこなかった、元妻の夏目雅子さんが壮絶な闘病生活の果てにこの世から去って行ったことについて、夫である伊集院静の目を通して綴られている。
ある秋の夕暮れ時、妻であった夏目雅子さんがこの世界から旅立ってゆく。
夫である伊集院静氏は混乱し、まだその現実を受け入れられないでいる。
ところが彼は、どうしても一度実家に戻らなければならず、妻が亡くなった病院の前からタクシーを拾おうと急いで手を上げる。
その時である。
同じくタクシーを止めようとして待っていた少年とその母らしき人物が、彼の目に留まる。
伊集院静氏はそれを認め、「どうぞ、すみません、気付かなかった」と頭を下げ、その2人に対して先の乗車を促すのだ。
学生服にランドセルを背負った少年は、その行為に対して「ありがとうございます」と言って、目をしばたたかせる。
伊集院静氏は思う。「私に礼を言った少年の澄んだ声と瞳の中にまぶしい未来を見た」と。
少年も今では大人になっているだろう。
どんな事情があって親子はタクシーを待っていたのかさえ、今となっては分からない。
善行などつまらない。俺は善行をしたつもりはない。
俺の所用など、たかが死んでしまった人間に関するものでしかないのだ。急いだってかわりはない。
人はそれぞれの事情を抱え、それでも平然と今を生きている・・・。
数ページの短いエッセイである。
拙い解釈で短くかいつまんでここに載せたので、本来の真意とか文章の美しさや切なさとかは、よく伝わらないかもしれない。
ただ、読み終えて涙が止まらなかった。
深く、深く、感動した。
近くにいる乗客に、泣いているのがばれたくなかったので、一生懸命上を向いて涙が零れ落ちるのを堪えていた。
最愛の妻が凄まじい闘病生活の末、遂に力尽きて人生を終えてしまう。彼女はまだ若く、そしてまだ美しい。
筆舌に尽くし難い労苦の果てに愛した妻を突然失った夫は、混乱して激しい喪失感に襲われているにもかかわらず、タクシーに乗って所用を済ませに妻と暮らしたマンションへと向かわなければならない。
そこでの、何の変哲もない、ちょっとした些細な出会い・・・。
「妻と死別した日のこと」を読むだけでも、この「大人の流儀」は読む価値がある。
美文だと思う。
哀しすぎる、そして切なすぎる、とても美しい文章だと思う。
直木賞作家の伊集院静氏のエッセイ「大人の流儀」である。
伊集院静氏の武勇伝というか逸話については、色んな雑誌等で読んだことがあった。
今でも一番印象に残っているのは、何かの週刊誌の中で漫画家の黒鉄ヒロシ氏が書いていた、友人である伊集院静氏へのコメントだ。
2人は大の酒好きらしいのだけれど、黒鉄ヒロシ氏が別な仲間と飲み歩き、ベロンベロンに酔っ払って伊集院静氏に電話を掛けることがよくあるのだという。
当然、出来上がっている時間帯ということなので、深夜だったりかなり遅い時間ということになるのだろう。
ところが、伊集院静氏は、どんな時間帯であろうと、どんな状況下であろうと、必ずタクシーを飛ばして黒鉄ヒロシ氏のもとへと駆けつけるのだとか。
確か、そんな内容の記事だった。
僕なんか、絶対に無理だ。
というか、それほどお酒が強いほうじゃないので、直ぐに一次会で退散するし、一旦、家に帰って寛いで、その後改めて飲みに出掛けるなんて絶対に出来ない芸当である。
その記事を読んだ時も、「凄いな、伊集院静って人は」と、心底その律儀さに感心してしまったほどだ。
今回読んだエッセイ「大人の流儀」は、どちらかというと軽めの読み物だ。
「春」、「夏」、「秋」、「冬」と、四つに大きく分かれていて、「大人が大人として生きてゆくための幾つかの流儀」が、色々と書き込まれている。
その中の一篇に「妻と死別した日のこと」がある。
そこでは、これまでほとんど触れてこなかった、元妻の夏目雅子さんが壮絶な闘病生活の果てにこの世から去って行ったことについて、夫である伊集院静の目を通して綴られている。
ある秋の夕暮れ時、妻であった夏目雅子さんがこの世界から旅立ってゆく。
夫である伊集院静氏は混乱し、まだその現実を受け入れられないでいる。
ところが彼は、どうしても一度実家に戻らなければならず、妻が亡くなった病院の前からタクシーを拾おうと急いで手を上げる。
その時である。
同じくタクシーを止めようとして待っていた少年とその母らしき人物が、彼の目に留まる。
伊集院静氏はそれを認め、「どうぞ、すみません、気付かなかった」と頭を下げ、その2人に対して先の乗車を促すのだ。
学生服にランドセルを背負った少年は、その行為に対して「ありがとうございます」と言って、目をしばたたかせる。
伊集院静氏は思う。「私に礼を言った少年の澄んだ声と瞳の中にまぶしい未来を見た」と。
少年も今では大人になっているだろう。
どんな事情があって親子はタクシーを待っていたのかさえ、今となっては分からない。
善行などつまらない。俺は善行をしたつもりはない。
俺の所用など、たかが死んでしまった人間に関するものでしかないのだ。急いだってかわりはない。
人はそれぞれの事情を抱え、それでも平然と今を生きている・・・。
数ページの短いエッセイである。
拙い解釈で短くかいつまんでここに載せたので、本来の真意とか文章の美しさや切なさとかは、よく伝わらないかもしれない。
ただ、読み終えて涙が止まらなかった。
深く、深く、感動した。
近くにいる乗客に、泣いているのがばれたくなかったので、一生懸命上を向いて涙が零れ落ちるのを堪えていた。
最愛の妻が凄まじい闘病生活の末、遂に力尽きて人生を終えてしまう。彼女はまだ若く、そしてまだ美しい。
筆舌に尽くし難い労苦の果てに愛した妻を突然失った夫は、混乱して激しい喪失感に襲われているにもかかわらず、タクシーに乗って所用を済ませに妻と暮らしたマンションへと向かわなければならない。
そこでの、何の変哲もない、ちょっとした些細な出会い・・・。
「妻と死別した日のこと」を読むだけでも、この「大人の流儀」は読む価値がある。
美文だと思う。
哀しすぎる、そして切なすぎる、とても美しい文章だと思う。