なかなか風邪が治らず・・・
なのに、スケジュールがぎっしりで、昨日も、
桜を愛でに出かけてました~~~そらぁ、治らんわな(汗)
調子がイマイチなのは、あの球団と同じ・・(涙)
なので、今日は、1日自宅にこもってました~
いつものように、鼻詰まりがどうしても残るけど(泣)
明日は、しっかり仕事をしたいと思います!
さて、夫婦円満近場温泉の旅スペシャル(ん? 笑)
二泊目は、広島の竹原・湯坂温泉に泊まりました。
桜の花びらが舞うぐらい、風もあって、肌寒い日やったけど・・
話題の、竹原・町並み保存地域に行ってきました。
あの、「マッサン」のモデル、竹鶴政孝さんの生家のある町ですよ。
・・・某事務所に、お土産を持って行って、そう言うてんけど、
ドラマを見てる人、意外に少なく・・・・ま、そんなもんか~(涙)
ざくっと、町並みを激写?してきました。
朝イチに訪れたら、観光客も少なめでしたが、
帰り際には、バスで団体さんとかも来られてましたよ。
木造3階建て。
瓦のような陶板が敷き詰められた道路。
白壁、なまこ壁が印象的。
昭和57年に、国の選定を受けた町並み保存地区。
江戸時代から明治・大正・昭和とそれぞれの時代の建築物が見られる。
最古の建物は元禄4年(1691)年のものとか。
1650年頃、播州赤穂より浜式塩田が移入され、
塩田が盛んに行われるようになったという竹原。
竹原の塩が全国へ送り出され、廻船業も盛んになって経済的発展をとげ、
それに携わった人々によって町並みが形成されたようです。
国学者の頼山陽の祖父・頼春風の家。
大阪で医学と儒学を学び、帰郷して医業を開業。塩田経営にも乗り出し、
その一方で、町の子どもたちに学問を教え、竹原の文化の向上に尽力したとか。
松坂邸。
江戸末期の建物を明治期に改修されたとか。
波うつような独特の大屋根、その下のうぐいす色の漆喰、
大壁造り、塗込めの窓額つき菱格子の出窓、
ゆるやかにカーブした本瓦葺の下屋、彫をもった出格子、
与力格子など、非常に華やかな建物です。
塩田の必需品である薪問屋・石炭問屋を業とし、
塩田経営、廻船業、醸造業と多角経営を行うかたわら、
下市庄屋、割庄屋、竹原塩浜庄屋、竹原町長なども勤めたとか。
町並みの途中に、山手に向かって長い石段が・・・
西方寺の本堂へと続く石段です。
西方寺本堂横の高台にあるのが普明閣。
木造十一面観音立像が祀ってあり、方三間宝形造、
本瓦葺の二重屋根の舞台造りは、京都の清水寺を模したとか。
ここから、竹原の町が一望できます~
さてさて、町並みに戻ると・・・
竹鶴酒造の建物が見えて来ました。
江戸中期に「小笹屋(おざさや)」の屋号で製塩業を営み、
冬場に余剰の労働力を流用して酒造業を始めたようです。
壁に掲示してある資料を読むと、「マッサン」は分家の三男。
本家の跡取り息子が生後間もなく、相次いで両親が亡くなり、
後見人だった、「マッサン」の父が本家の酒造業を継いだそうです。
生家ではあるけど、分家の三男だった「マッサン」。
でも、そういう環境から醸造学を学び、やがて洋酒に目覚め、
「日本のウイスキーの父」と呼ばれる人になるんですね~
竹鶴酒造は、「マッサン」の父が後見した、
本家の息子の孫にあたる人が、現在も酒造りをしておられます。
小さな酒蔵で、手作業によるこだわりの酒造りをしているようで、
品薄で、残念ながら、販売はされていませんでした・・・(涙)
テレビの影響で売れたんですね~
地元の酒屋さんで在庫があるか聞いてみたら、
「取りに来てくださるるなら取り置きしますよ」
なんて言うてくださったんやけどね~(苦笑)
道の駅たけはらでも、竹原のお酒はいくつかあったのに、
「竹鶴」だけはなかったです。
そのかわり、ニッカウイスキーは置いてありましたよ。
・・・「竹鶴17」は、さすがになかったけど(苦笑)
さ、竹原をあとに、次に向かったのは・・・・
映画のロケ地でも有名な、あの町です~
ほんま、ミーハーでしょ!
なのに、スケジュールがぎっしりで、昨日も、
桜を愛でに出かけてました~~~そらぁ、治らんわな(汗)
調子がイマイチなのは、あの球団と同じ・・(涙)
なので、今日は、1日自宅にこもってました~
いつものように、鼻詰まりがどうしても残るけど(泣)
明日は、しっかり仕事をしたいと思います!
さて、夫婦円満近場温泉の旅スペシャル(ん? 笑)
二泊目は、広島の竹原・湯坂温泉に泊まりました。
桜の花びらが舞うぐらい、風もあって、肌寒い日やったけど・・
話題の、竹原・町並み保存地域に行ってきました。
あの、「マッサン」のモデル、竹鶴政孝さんの生家のある町ですよ。
・・・某事務所に、お土産を持って行って、そう言うてんけど、
ドラマを見てる人、意外に少なく・・・・ま、そんなもんか~(涙)
ざくっと、町並みを激写?してきました。
朝イチに訪れたら、観光客も少なめでしたが、
帰り際には、バスで団体さんとかも来られてましたよ。
木造3階建て。
瓦のような陶板が敷き詰められた道路。
白壁、なまこ壁が印象的。
昭和57年に、国の選定を受けた町並み保存地区。
江戸時代から明治・大正・昭和とそれぞれの時代の建築物が見られる。
最古の建物は元禄4年(1691)年のものとか。
1650年頃、播州赤穂より浜式塩田が移入され、
塩田が盛んに行われるようになったという竹原。
竹原の塩が全国へ送り出され、廻船業も盛んになって経済的発展をとげ、
それに携わった人々によって町並みが形成されたようです。
国学者の頼山陽の祖父・頼春風の家。
大阪で医学と儒学を学び、帰郷して医業を開業。塩田経営にも乗り出し、
その一方で、町の子どもたちに学問を教え、竹原の文化の向上に尽力したとか。
松坂邸。
江戸末期の建物を明治期に改修されたとか。
波うつような独特の大屋根、その下のうぐいす色の漆喰、
大壁造り、塗込めの窓額つき菱格子の出窓、
ゆるやかにカーブした本瓦葺の下屋、彫をもった出格子、
与力格子など、非常に華やかな建物です。
塩田の必需品である薪問屋・石炭問屋を業とし、
塩田経営、廻船業、醸造業と多角経営を行うかたわら、
下市庄屋、割庄屋、竹原塩浜庄屋、竹原町長なども勤めたとか。
町並みの途中に、山手に向かって長い石段が・・・
西方寺の本堂へと続く石段です。
西方寺本堂横の高台にあるのが普明閣。
木造十一面観音立像が祀ってあり、方三間宝形造、
本瓦葺の二重屋根の舞台造りは、京都の清水寺を模したとか。
ここから、竹原の町が一望できます~
さてさて、町並みに戻ると・・・
竹鶴酒造の建物が見えて来ました。
江戸中期に「小笹屋(おざさや)」の屋号で製塩業を営み、
冬場に余剰の労働力を流用して酒造業を始めたようです。
壁に掲示してある資料を読むと、「マッサン」は分家の三男。
本家の跡取り息子が生後間もなく、相次いで両親が亡くなり、
後見人だった、「マッサン」の父が本家の酒造業を継いだそうです。
生家ではあるけど、分家の三男だった「マッサン」。
でも、そういう環境から醸造学を学び、やがて洋酒に目覚め、
「日本のウイスキーの父」と呼ばれる人になるんですね~
竹鶴酒造は、「マッサン」の父が後見した、
本家の息子の孫にあたる人が、現在も酒造りをしておられます。
小さな酒蔵で、手作業によるこだわりの酒造りをしているようで、
品薄で、残念ながら、販売はされていませんでした・・・(涙)
テレビの影響で売れたんですね~
地元の酒屋さんで在庫があるか聞いてみたら、
「取りに来てくださるるなら取り置きしますよ」
なんて言うてくださったんやけどね~(苦笑)
道の駅たけはらでも、竹原のお酒はいくつかあったのに、
「竹鶴」だけはなかったです。
そのかわり、ニッカウイスキーは置いてありましたよ。
・・・「竹鶴17」は、さすがになかったけど(苦笑)
さ、竹原をあとに、次に向かったのは・・・・
映画のロケ地でも有名な、あの町です~
ほんま、ミーハーでしょ!