おかんのネタ帳

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宇和島城

2015-04-10 23:24:20 | 旅の想い出
今回の旅の目的は、ダンナの還暦祝い、結婚36周年、もあるけど、
愛媛県の宇和島城へ行くこと、なんですね~~
現存する天守12のうちの、一つやから。

そのわりには駆け足になってしまったのが残念・・・(涙)
松山城周辺で時間かかりすぎて。
道も混んでたし、駐車場がわからへんかったし、道も間違えて、
ナビを使ってるねんけど、なんせ、古いからね~
Ipadで位置確認をしながら・・ま、私の言うことはきかへんしね(苦笑)



でも、宇和島城は素朴で美しかった!
しかも、人も少ない~!
外国人は1人もいてない~
私らが天守に着いたときは、5人ほどしかいてなかったよ。
・・あとから団体さんが来はったけどね。

城づくりの名人と言われた、藤堂高虎が1601年に築城。
現在の天守は、後に入城した伊達氏が改築したそうで、
1661年~1672年頃に完成したらしい。



宇和島城の大きな特徴が、五角形平面の縄張り、
「空角の経始(あきかくのなわ)」で、これは高虎の設計。
四角形の縄張を予想して城を攻めてくる敵に対し、
実際は五角形だから、一辺が空角になる。
つまり、一辺は攻撃が手薄になるということ。

この一辺の空角は、敵の攻撃を避けられるとともに、
敵を攻撃する出撃口ともなり、また、物資搬入口ともなり、
城から落ちのびる場合の抜け道ともなるんですね。



高虎の縄張りは継承されるものの、
実際には、その後平和な時代を迎えるので、
この城が戦いの場となることはないんですけどね。



独立式の天守、三層三階、白壁の総塗り込め造り。
正面最上層の屋根には大きな唐破風、
その下の二層の屋根には大きな千鳥破風、
一層には二つの千鳥破風、
更にその下に玄関の唐破風、と変化をつけた屋根。

平和な時代につくられた天守は、
その前に見た、松山城と大きな違いがあります。



建具が入り、障子が貼られてます。
鉄砲掛けは作られているんですけど、
鉄砲狭間や弓狭間などが、まったく作られてないんですね。

式台のある玄関・・とかも、戦闘用の天守ではなく、
領主の威厳を表す建物という感じです。
現存する天守の中で、もっとも江戸時代らしい天守と言われています。



海に面し、お堀は海水を利用したとか。

昭和35年に修復されたようですが、屋根瓦とか、
古びた感じがなんとも素朴です。

石垣も修復中のところがあったり、
これを保存していくというのも、たいへんやろうなと・・・



お城周辺を含め、宇和島をもっとゆっくり味わいたかったけど、
時間がなくて・・・・なんせ、その日の宿泊先は、広島やからね~

大洲城も行きたかったのに行けず・・・

ダンナ曰く。

「四国も、なかなか制覇でけへんな~」

今治城も、あるしねぇ。

また、行かねば・・・