うさぎくん

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9.11から20年

2021年09月11日 | 記憶の断片

20年前の9月11日のことについては、過去にも何回か書いた記憶がある。

ただ、このブログでまとめて書いたのはは10年前、ちょうど10周年にあたる2011年の9月11日の記事位のようだ。ほかにも書いたかもしれないけど。
*下に追記あり。

上の雑誌の写真は、このときにも使っている。これらの雑誌、捨ててないと思うのだが、今本棚を眺めても出てこない。

ドラマ「ザ・ホワイトハウス」シーズン3には、テロ直後に放送された特別篇「イサクとイシュマエル」がある(本国では2001年10月3日放送。日本未放送)。これについては下に記事を書いている。
今読むとちょっとまとまりがない感じだけど。

ネット上に掲げられている抜粋動画はたとえばこんな感じ。


偶々見学に来ていた高校生たちを相手に、次席補佐官がイスラム過激派のテロについて語っている。高校生たちは「なぜ自分たちが狙われるのか?」という、もっともな疑問をぶつけてくる。



東北大地震のときは自分にも知人にも大きな影響はなかった。もちろん帰宅困難その他、色々ありはしたが。
9.11でも、すこしだけ影響があった。

会社の総務の子がふたり(全く別に行動していた)米国に旅行中で、事件で飛行機が長期抑止になったため、帰ってこれなくなったのだ。

この二人はたしか・・僕は両方ともなぜか仲が良くて、一緒に食事に行ったことがあったのだけど、その二人だと思う(記憶曖昧)。。
少なくとも一人の子はそうで、その年の暮れごろ、二人でお昼に行ったときに武勇談を聞かせてもらった。
もう一人の子とは、その時の話はしてないと思う。

今覚えているのは11日前後に、彼女はともだちとマンハッタンにいて、これから帰国しようとするところだったらしい。

ロウアー・マンハッタンからは離れていたものの、交通が前面的に遮断されて身動きが取れなくなった。何とかして空港まで着いて、そこで滞在を余儀なくされた。その後、知り合った人だか誰だったかの家に泊めてもらったと聞いた気がする。。

たしか、予定より一週間だか、10日だか遅く帰ってきたという記憶がある。

ものすごい経験だったと思うが、わりとにこやかに、淡々と話してくれたのを覚えている。


当時は米系企業勤務だったが、少なくとも仕事で知っている人に犠牲者はいなかった。ツインタワーではなく、アネックス(でいいんだっけ?)という周辺のビルに拠点があったようなことを聞いた気がするが、いずれにしても仕事上関係はなくて、詳しいことはわからない。。
取引先の銀行さんと話をした時、うちも事務所があるので今安否確認している、みたいな会話をした記憶はある。

ビジネス街の風景は日本も米国もそう大きくは変わらない。倒壊のとき、書類らしきものが大量に舞い散っていたのはとても印象的だった。

110階もないけど、勤務先もツインタワーだったのよね。。

10周年の記事に書いてあるが、この日東京は台風が来て天気が大いに荒れた。夕方には雨もやみ、西の空が毒々しく赤く染まった。

あの日、帰宅したのは9時過ぎだったと記憶している。

当時のNHK衛星はBS1, BS2と呼んでいたけど、BS2は今のBSプレミアムみたいな放送内容で、この頃は毎夜映画を放映していた。この日は「スタンド・バイ・ミー」だった。もうだいぶ時間が過ぎていたし、知っている映画だったけど、しばらくぼんやりとみていた。そのうち、そうだ今日はニュースが色々ありそうだ(台風だったから)と思い、NHK地上波に切り替えた。

このとき映画のシーンは、子供たちが鉄道線路に沿って歩き続け、森の中の信号場を通りがかったところをロングでとらえたあたりだった(と思う)。機関車に給水するための水タンクの、タガが緩んでいて、水がちょぼちょぼ漏れている音がきこえている。。

切り替えたら、堀尾アナウンサーが記者と話をしている。背後には青空を背景にビルが見えて、真ん中がすこしくすぶっている、というものだった。

たしか、南棟に2機目が突っ込むのはリアルタイムで見た気がするんだが、その辺はあいまいだ。あのとき、これは事故じゃないな、と思ったような記憶もあるんだがなあ。。

そのあと、南棟の崩壊とか、北棟の崩壊とかもずっと見ていた。当時はツイッターやラインみたいなSNSはまだない。
親に電話かけて「すごいね・・」と話をしたのは覚えている。

ニュースのビデオ録画はしていない。余っているテープがなかったのだ。ラジオをAFNにして、MDに録音はした。どこかにあるはずだ。
この日、寝たのは午前4時ぐらいだ。


その後、国際情勢は緊迫の度合いを深め、アメリカ国内の世論も沸騰した。
当時は自分なりに色々なニュースを見たり、人々の意見を聞いたりしながら、将来を憂えたりもした。

いろいろあったことは事実だが、正直、当時の世界情勢が自分の暮らしに直接影響を及ぼしていた、と実感できることは少ない。

その一方、自分の身の回りで起きた様々な事象が、その頃の自分の生活を左右していたことはよく覚えている。

もちろん、このさき世界的な大事件が自分の身に直接降りかかってくる可能性は常にあるのだが、これまでの人生はそういう意味でとても幸運であった、と(唐突ですが)思う。。


NHK第二でやっていた「やさしいビジネス英語」のテキスト。
事件の前月のものだが、これ一冊だけ手元に残っている。

表紙の絵は、アメリカのビジネスマンたちの日常風景がよく描かれていた。
9.11後は、この表紙絵がなんだかとても儚いもののように感じられたのを覚えている。

講師の杉田敏さんは今もお元気な、国際的ビジネスパースンだが、テロの後発行されたテキスト冒頭で、ご自身の思いを語っておられた。


このNHK講座はもう終わってしまい、今はタイトルも変わったらしい。

このシリーズにはちゃんとストーリーがあり、同じ職場の登場人物たちが毎回色々な話題を語り合う。彼らは時代と共に歳をとり、出世したり転勤したりする。

この頃はアメリカの広告会社に勤める荒木さんが、NY本社に配属されて活躍するという筋書きだった。荒木さんは当時僕よりも少し年配だけど、同僚たちを含め、実際の職場にいそうな世代の人たちがそろっている。
ギャビィさんが良く上司から褒められていたなあ。。

ウィキを見たら、この筋書きでの講座は96年から6年ほど続いたらしい。。
この翌年、荒木さんは帰国したか?香港かどこかに転勤して、アジア統括代表に抜擢されたような記憶がある。。

杉田さんのお話が上手で、それで聞いていたのだけど、内容は相当難しくて、歯が立たなかったな。。よく勉強していたのはこの2年ぐらい前で、もうこの頃には朝の地下鉄で漫然と聞いているだけだった。。本号の杉田さんの前書きでは、それではダメだと書いてあるけど。

追記:1年前にこの記事書いてて、すっかり忘れてた。
う~ん、末期的。。

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