うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

911

2020年09月11日 | 社会・経済
19年前のこの日のことについて、覚えているのは日中台風が上陸して酷い雨だったことだ。

当時19階にあったオフィスで仕事していたのだが、当時は周りにあまり高層の建物がなくて、窓越しに吹き荒れる嵐を眺めるのはちょっと怖かった。

台風は夕方には通り過ぎてしまい、西の空が夕焼けで真っ赤に染まった。

見晴らしの良いところだから空が良く見える。毒々しいほどの真っ赤な空で、雨よりもむしろこちらのほうが強い印象に残った。

写メは出始めの頃だったが自分の携帯には着いてなかったし、日常デジカメを持ち歩くこともしていなかった。
夕方、若い友人(マーケティングを担当していた)に「すごい空だねえ・・、(会社の)デジカメ持ってない?」と聞いたが、別の場所に保管してあるということだった。

帰宅は当時としてはそれほど遅い時間ではなくて、テレビを付けたのは9時過ぎぐらいだったかな。そのころNHK BS2(今のBSプレミアムに相当)で平日夜に映画をやっていて、この日は「スタンド・バイ・ミー」だった。

好きな映画だったけど見始めたのは途中からだったし、台風のことをニュースで見たいなと思って、総合テレビにチャンネルを変えた。
しかしニュースでは台風のことを報じていなかった。

たしか堀尾アナウンサーがビルの中継映像を見ながら、記者と話しているところだったと思う。とうぜんだが事態がまったく呑み込めない。

後日になって、繰り返し同じニュース映像を見ているので、もう記憶があいまいだが、たしかチャンネルを変えてすぐ、何のニュースなのか考えているさなかに、2機目が突っ込んだ映像が映し出されたと思う。

するっと黒いものが目に入ったかとおもううちに、煙がでてきたので、こりゃなんか起きたな、とは感じたが、それでもまだ事態は把握していなかった。

だんだん事態が飲み込めてくると、いても立ってもいられなくなった。当時インターネットはあるにはあったが、いまみたいに何かあったらツイッターに書き込みが入る、なんてことはない。ひとりでショックを抱えているのがつらくて、親に電話かけたりした。

これも今思うと不思議となのだが、そのときのニュースを録画したりはしていない(ふだんの自分ならこんなときはやりそうなものだが)。
当時VHSだったが、あきのテープがなかったのかもしれない。その代わりというか、ラジオでやっていたAFN(米極東軍事放送)のニュースを、MDに録音したりした。MDディスクは持っていたらしい。あれは、どこかにまだあるんじゃないかな。。

野次馬めと言われても仕方ないのだが、この日は完全に舞い上がってしまい、寝たのは朝の4時半だった。翌日はとうぜんふらふらだった。

会社でも消息がわからなくなった人が何人もいることがわかり(幸い全員無事だったはず)、大変な騒ぎだった。

そのうちの一人、総務の子は良く知っている子で、休暇でニューヨークを訪れてまさにその日に飛行機に乗って帰ろうとしていたところだった。飛行機は運航禁止になり、予定より1週間くらい?後に帰国した。

かなりたってから、たしか12月ぐらいだったかな、その時の冒険談を、一緒にランチしながら伺った。もうすっかり落ち着いて、にこやかに話していたが、それは相当ヘビーな経験だったに違いない。。

とにかくこの9月11日で印象に残っているのは、日中の大雨と夕方の真っ赤な夕焼け、テレビまわしたら2機目が衝突、だ。

今日の写真は2001年当時使っていた130万画素のオリンバスD-460によるもの。最初の花手毬は直前の週末(2001年9月8日)に撮ったもの。このあとしばらく写真は撮っていない。ビルからの風景は秋から冬にかけて撮影したもの。



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