第二次大戦後アメリカ国務省を中心に活躍した、ジョージ・ケナンの講演、論文集である。
後にアメリカの対ソ連政策に大きな影響を与えた、いわゆるX論文も所蔵されている。
なにぶん専門外で近代アメリカ史のことなど、知らないといって良いし(米西戦争だって、名前ぐらいしか知らなかった)、本来は僕などがかじっても消化不良になるだけかな、と思ったが、それなりに興味深く読むことができた。翻訳が難解である、という評もあるが、文学作品ではないので、それはあたらないと思う。
アメリカの国際社会への登場は、世界の外交史にとって大きな転換期をもたらした(岡崎久彦氏)といわれる。本書の連続公演では、アメリカの今世紀初頭からの外交史を概観することで、徐々に明らかにしていく。
まあ、あまり詳しいことを論じる力もないのだが、第3章「アメリカと東洋」で、中国、および日本について触れていた部分は特に興味深かった。(以下とても乱暴かもしれないが)
アメリカという国は、諸侯が入り乱れ戦乱の絶えなかった欧州大陸から隔絶した「新大陸」であり、いろいろなしがらみから解放されていたはずであった。それが、次第に自らも帝国主義的な行動に手を染めかけたり、自分たちのもつ倫理観、正義感を基準として、海外の政治、紛争に介入するようになる。二つの大戦も当初は対岸の火事であり、初期には戦いを避ける手段があったにもかかわらず、結局は深くかかわりを持ち、以後対外紛争にはむしろ積極的にかかわるようになる。
もっとくだけていえば、年中ケンカの絶えない悪友たちとは別れて、おれたちは新しい生き方を選ぶぜ、と言っていたのに、いつの間にかまたもとの仲間のところに戻って口出ししたり、知らない奴らにちょっかい出したりするようになる。そのうちに引っ込みがつかなくなり、みんなからボス呼ばわりされて仲裁役を頼まれるようになってしまった。古巣の仲間とはまだうまくやれるが、いい気になって知らない人相手に口を出すと、お前、何にも知らないのに余計なこと言うな、と言われてはふくれっ面をして、挙句には相手に殴りかかったりする。
そんなことをしながらそろそろ100年を超えて、もう疲れた、とか言い出すようになった・・という感じかな。
20世紀初頭の中国は、国とか国境の概念も、アメリカや西欧社会のそれとは違っていた。それを理解しようとせず、自分たちの定義に当てはめて怪しからんと怒り、国内世論もそれを支持した。ケナン氏はその後の対日政策についても、別の方法があったはずだと語る。三国干渉、朝鮮半島、満州国そして中国大陸・・。
アメリカという国が、ある種の理念による国家であるがゆえに、その政策判断も時に特異なものになりがちであることはわかる。中国もそうだし、フランスもそういう面がある。しかし時代が変わり、その国を構成する人たちも、周りの国の情勢も違ってきているのに、国家体制を通して見る世界観が、昔も今も似通っているというのは、興味をそそられる。