アメリカの速読法の中には単語を崩して読ませるというテクニックがあります。
readingをraeding,guessingをguessisng,wordをwrodといった具合に単語を崩して読ませるのです。
なぜこんなことをするかというと、声を出さずに文字を見るだけで意味を理解させようとするのです。
実際にこのような文章を読む場合、単語を文字のつづりに忠実に読むのではなく、文字の塊として眼でとらえて意味をとらえるクセがついていくのかもしれません。
しかし人によってはこんなふうになっていても、気がつかないうちにgeussとなっているのにguess,neamingとなっているのにmeaningと本来のつづりで読んでしまうかもしれません。
またこんなことをすればつづりを間違えて覚えるのではないかと心配する人もいるかもしれません。
早く読めるようになっても単語の綴りが不正確になるのでは好ましくないと思う人もいるのです。
実際に本を読むときには、このような崩れた単語が出てくるわけではなく、正しいつづりの単語を読むことになるわけですから、誤った綴りが頭にしみこんでしまうということはないでしょう。
ただ単語のつづりにこだわらず、文字を瞬間的に見て意味を把握するクセをつけるわけですから、単語を正確に書くということがなおざりにされるのですから、教育的な見地からは望ましくないと攻撃されることになります。
日本語の場合でも、「てにおは」が間違っている文章を見ても、スピードを上げて読むときは間違いを無意識のうちに修正して読んでいます。
書かれているとおりに正確に読むならば当然間違いに気がつくのですが、大雑把に読むときには細かい間違いには気がつかないのです。
不正確な文字とか単語でも読んで理解してしまうというのは、ある程度読むことに熟達していなければ出来ません。
子供のようにまだ読むことに熟達していない段階では、間違った文字に躓いてしまえばそこで動けなくなってしまいます。
ちょうどコンピューターのようなもので、間違いのある文章は理解できなくなってしまうのです。
コンピューターは間違いが合ったり、規則と違ったものがあれば理解不能となってしまうのですが、人間の場合は大まかに意味を把握することが出来ます。
このような、間違いのある文章を読んで意味をすばやく掴み取るという訓練は、日本ではないようですが、工夫次第では有効な方法かもしれません。
昔は検閲というのがあって、伏字になった部分を推測しながら読むということがあったので、似たようなものだと思えばいいのかもしれません。
いわゆる飛ばし読みというのではなく、欠けていたり誤っている部分を補って意味をつかむ能力を作るのに役立つ可能性があるからです。