60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

目で読む

2006-04-20 23:11:37 | 言葉と文字

 アメリカの速読法の中には単語を崩して読ませるというテクニックがあります。
 readingをraeding,guessingをguessisng,wordをwrodといった具合に単語を崩して読ませるのです。
 なぜこんなことをするかというと、声を出さずに文字を見るだけで意味を理解させようとするのです。
  実際にこのような文章を読む場合、単語を文字のつづりに忠実に読むのではなく、文字の塊として眼でとらえて意味をとらえるクセがついていくのかもしれません。

 しかし人によってはこんなふうになっていても、気がつかないうちにgeussとなっているのにguess,neamingとなっているのにmeaningと本来のつづりで読んでしまうかもしれません。
 またこんなことをすればつづりを間違えて覚えるのではないかと心配する人もいるかもしれません。
 早く読めるようになっても単語の綴りが不正確になるのでは好ましくないと思う人もいるのです。

 実際に本を読むときには、このような崩れた単語が出てくるわけではなく、正しいつづりの単語を読むことになるわけですから、誤った綴りが頭にしみこんでしまうということはないでしょう。 
 ただ単語のつづりにこだわらず、文字を瞬間的に見て意味を把握するクセをつけるわけですから、単語を正確に書くということがなおざりにされるのですから、教育的な見地からは望ましくないと攻撃されることになります。

 日本語の場合でも、「てにおは」が間違っている文章を見ても、スピードを上げて読むときは間違いを無意識のうちに修正して読んでいます。
 書かれているとおりに正確に読むならば当然間違いに気がつくのですが、大雑把に読むときには細かい間違いには気がつかないのです。
 不正確な文字とか単語でも読んで理解してしまうというのは、ある程度読むことに熟達していなければ出来ません。
 子供のようにまだ読むことに熟達していない段階では、間違った文字に躓いてしまえばそこで動けなくなってしまいます。
 ちょうどコンピューターのようなもので、間違いのある文章は理解できなくなってしまうのです。

 コンピューターは間違いが合ったり、規則と違ったものがあれば理解不能となってしまうのですが、人間の場合は大まかに意味を把握することが出来ます。
 このような、間違いのある文章を読んで意味をすばやく掴み取るという訓練は、日本ではないようですが、工夫次第では有効な方法かもしれません。
 昔は検閲というのがあって、伏字になった部分を推測しながら読むということがあったので、似たようなものだと思えばいいのかもしれません。
 いわゆる飛ばし読みというのではなく、欠けていたり誤っている部分を補って意味をつかむ能力を作るのに役立つ可能性があるからです。


速読の基礎

2006-04-19 23:25:55 | 言葉と文字

 アメリカにも速読法というのがあります。
 元来は警察官が交通違反を取り締まるに際し、車のナンバーを瞬間的に記憶する訓練をしたことがもとになっているそうです。
 ポイントは一つ一つの文字を順に読み取るのではなく、文字列を丸ごと読み取ることと、声に出さずに視覚的に読み取ることとなっています。
 瞬間的に読み取るためには、一つ一つ読んでいては間に合いませんし、音声化しても間に合いません。
 見た像をそのまま視覚的に記憶できればいいのですが、ただ視覚的に覚えても忘れては意味がありませんから、意味処理をして覚えるわけです。
 
 日本で予想するのと違って、アメリカでも速読をしようとするならば、口を動かしての音読はもちろん、心の中での音読も克服の対象となっています。
 漢字は見るだけで意味が分かるから、右脳で処理しているというように言われたりしますが、英語でも単語を見るだけで分かるようになることを速読法は要求しているのです。
 (実際にアメリカ人でもよく使う単語は見るだけで意味が理解できるそうです。)
 
 普通言葉を覚える場合、実物について音声で単語を覚えます。
 そうすると音声で単語を聞けば実物をイメージできるようになります。
 単語の文字を覚えるときは、音声について文字を示されて覚えます。
 その結果、文字を示されればその読み方つまり音声イメージされ、それにつれて意味が理解されます。
 心理学の研究では実物(意味)→音声、音声→文字という訓練が行われれば、訓練をしなくても文字→実物(意味)が成立するとしています(右図)。
 意味→音声が成立すれば音声→意味が成立し、音声→文字が成立すれば文字→音声が斉一するするだけでなく、文字→意味、意味→文字が訓練しなくても成立するというのです。
 
 もしそうであるならば、文字を見て音読せずに意味を理解する練習はいらないということになります。
 実際はそうはいかないということは、ほとんどの人が文字を見れば音読をするか、声に出さなくても心の中で音読して意味を理解しています。
 漢字は文字を見れば理解が出来ると主張する日本人でも、ほとんどの人は文字を見るだけでは理解できず、音読あるいは心読をしています。

 おそらく心理学の実験では鉛筆のように単純な単語(あまりいろんな意味を持たない)で訓練をしたのでこのような結論が得られたのでしょう。
 単語の意味を示せば対応する音声が出てくるというのは、単語の意味と音声が一対一に対応している場合のことで、日常の言語では一つの意味にいくつかの単語が対応しているので反射的に言葉が出てくるとは限りません。
 文字の読み方については、訓練を受けて反射的に読めるようになるので、文字を見て意味が分かる前に反射的に読みに行くようになっているのです。
 したがって文字を見て音読をせず意味を理解しようとするならば、反射的に音読するクセをとるか、文字を見て意味を直接把握する訓練をあらためてする必要があります。

 文字を一つ一つ見ないで、単語を一まとまりの物として見たり、瞬間的に認識する訓練というのは、音読を防ぐ訓練になるので、文字を見るだけで意味を理解する訓練の基礎となります。
 文字を読むときはある程度のスピードで読むほうが、文字を凝視することが少なくなるので、目が疲れにくいので速読の基礎的な読み方は有益ではあります。


方言に振り漢字

2006-04-18 23:02:00 | 言葉と文字

 日本に方言があるように当然英語にも方言とかなまりがあります。
 図は「アメリカの文学方言辞典」に載っていたものの一部です。
 英語の場合はスペリングと読み方は一致しなければならないので、方言やなまりは発音に近い形で表記しなければなりません。
 しかし方言なまりは発音があっても、このように綴るのだという正式のスペリングがあるわけではないでしょうから、あくまでも慣用となるでしょう。
 それにしてもこのままの形で文章に出てくれば、普通の辞書には載っていないのですから、学校で習った英語しか知らなければ意味が分かりません。

 日本語であれば、漢字を当ててルビの形で発音を表記すれば、発音と意味を同時に示すことが出来るので、読む側は何とか理解できます。
 ルビというのは戦後廃止の方向に向かったのですが、これはルビをつけなければ読めないような難しい漢字は廃止すべきだという考え方によります。
 しかし、ルビの用途を難しい漢字の読み仮名を示すのではなく、振り漢字をつけた音声表現として利用すると、とても便利なものとなるのです。
 方言に振り漢字をするのは、結構難しいのですが、日本人はなんでも強引に漢字を当ててきた歴史があるので、案外うまくいくかもしれません。
 英語の場合はルビのようなものはありませんから、こういう芸当は出来ません。
 英語では方言なまりを文章の中に盛り込もうとすると、読者の側はとても理解しにくくなります。
 方言以外でも外国語などが入ってくると、外国語を知らない人は困るわけです。
 かつては、ルビのようなものは、日本語の欠点を示しているとされていたものなのですが、使い方では案外便利で、むしろ長所になっているともいえます。

 方言やなまりを考えた場合は、文字表記をどうするかということが問題となります。
 文字表記といえば、当然書き言葉のようにかんだえられ、標準語のようなものとの組み合わせしか考えられてこなかったのですが、これは片手落ちです。
 学者が文字のことを視角言語などといってしまうときは、方言などは意識にないのです。
 同音異義の言葉が多いので、漢字を思い浮かべることで意味が分かるなどという言い方も、方言なまりを念頭においていない言い方です。
 カタカナ語なども無理に漢語に置き換えるとなじめない場合がありますが、振り漢字にすればカタカナ語のほうの感覚と、意味とを両立させることが出来ます。
 意味の漢語が多少ぎこちなくて、こなれていなくても、振り漢字であれば我慢が出来るので無理訳でも存在価値が出てきます。

 


コントラスト感度

2006-04-17 23:37:21 | 視角能力

 左の図はオレンジの地にブルーの円が描かれているのですが、透明度が高いので、色は薄くなっています。
 ブルーの円をじっと見て、円の中側がオレンジ色に見えてきたら視線を右側に移します。
 そうすると右側に地がブルーで中側がオレンジの円の残像が薄く見えます。
 右側にはグレーの模様があるので、残像はぼんやりとして分かりにくいかもしれません。
 もとの図がぼんやりしていると残像はさらにぼんやりとしているため、分かりにくくなります。
 眼を閉じてもまぶたに残像が焼きつくということもありません。
 コントラストがハッキリしないと、イメージが記憶しにくいだけでなく、残像も焼きつきにくいのです。

 右の図形はなんだか分かるでしょうか。
 これは天気予報の雨マークで、雲から雨が降っている状態です。
 色が薄くコントラストが弱いので、分かりにくいかもしれません。
 歳をとるとコントラストが弱い像を見分ける力が落ちてきます。
 主な原因は眼の水晶体がにごってくるためですが、視力が落ちてくることで余計にコントラストの弱い像を見分けることが難しくなるためです。

 ここで図の上にある数字をパッと見て眼を閉じ、数字をまぶたの裏に思い浮かべようとします。
 そのあとゆっくりと眼を開けてみると、さきほどよりハッキリ見えたと思います。
 数字をイメージ化しようと脳を使ったから、視角能力が向上してハッキリ見えるようになったのだと思うかもしれませんが、特に関係はありません。
 別に数字を覚えなくても、眼を閉じてしばらくしてからゆっくりと眼を開けば、そのときは眼の感度が上がっているので、前よりハッキリ見えるのです。
 
 コントラスト感度が低くなると、文字が見難くなるわけですから、文字の読み取りに力が入り理解力が落ちるだけでなく、眼が疲れやすくなります。
 老眼鏡を使えばコントラストがハッキリして、文字が大きく見やすくなるので読み取りにエネルギーをとられずに、文章の理解に集中できるようになります。
 それとは別に、読んでいるとき、時々眼を少し閉じてから眼を開くと、一時的にせよコントラスト感度が上がるだけでなく、目の緊張を解き、瞬きをすることにもなるので、よい効果をもたらします。


イメージメモリー

2006-04-16 23:14:42 | 視角能力

 左の図はオレンジの地にまん中が白い円です。
 白い円をしばらく見ていると、円は薄いオレンジ色になり、縁が青みがかってきます。
 薄いオレンジ色になるのは、四角形の周辺も同じで、オレンジ色の部分の周辺が薄いオレンジ色に見えるのです。
 しばらくまん中の円を見つめたあと、右側の白い四角の上に視線を移すと、四角形は地がブルーでまん中がオレンジの円に見えます。
 地のほうはオレンジの補色のブルーになるのですが、円のほうは補色とはならずオレンジ色に見えます。
 
 残像は背景が白い所を見なくても、眼を閉じても眼に焼きついたように見えます。
 そのため記憶イメージと紛らわしいのですが、記憶イメージのほうはそのままの色であるのに、残像は元の色とは変わっています。
 たいていの人は、残像は見えるようになるのですが、イメージをそのまま記憶して、再現するのは不得意です。
 ものを見て眼を閉じると,瞬間的にはイメージが記憶に残るのですがすぐに消えてしまいます。
 たとえば、数字をいくつか並べたものを見て、眼を閉じて思い出そうとするとき、記憶に残っているのはイメージでなく、文字を読んで覚えた意味記憶です。
 イメージが記憶されていれば、数字を逆順に言えるのですが、読んだ記憶から逆行しようとするとつかえたり、間違えたりします。

 日本人は外国人に比べ、色つきの夢を見る人の割合が多いそうですが、年をとってくるとカラーの夢を見る人は少なくなります。
 ものを見てそのイメージを記憶する能力が低下してくるため、眼を閉じたとき記憶を思い出そうとしたとき、イメージがぼやけ、またカラーも失われています。
 そうなれば、夢に視角イメージが現れなかったり、色がついていなかったりするようになってきます。

 視角イメージの記憶力が低下してくると、本を読んだときでも理解力が低下してきます。
 直前に見た単語や文章が、すぐに記憶されなかったり、早く記憶から抜け落ちるので、文章の意味をつかみにくくなるのです。
 声を出して読むか、頭の中で音読すれば意味をつかむことはできるのですが、視角からの記憶があるほうが有利です。

 年をとればイメージ記憶力が衰えるのはやむをえないから、あきらめるしかないかというと、そうとは限りません。
 普通の記憶力のばあいでも、機会あるごとに思い出そうと努力する習慣を身につけると、思い出す能力が向上するそうですから、視角イメージでも習慣的な努力で向上させることは出来ます。
 急激に記憶力を向上するというのは無理でしょうが、持続的に努力するかしないかで一年もたてば大きな差が出来てきます。


イメージメモリー

2006-04-16 23:10:18 | 視角能力

 左の図はオレンジの地にまん中が白い円です。
 白い円をしばらく見ていると、円は薄いオレンジ色になり、縁が青みがかってきます。
 薄いオレンジ色になるのは、四角形の周辺も同じで、オレンジ色の部分の周辺が薄いオレンジ色に見えるのです。
 しばらくまん中の円を見つめたあと、右側の白い四角の上に視線を移すと、四角形は地がブルーでまん中がオレンジの円に見えます。
 地のほうはオレンジの補色のブルーになるのですが、円のほうは補色とはならずオレンジ色に見えます。
 
 残像は背景が白い所を見なくても、眼を閉じても眼に焼きついたように見えます。
 そのため記憶イメージと紛らわしいのですが、記憶イメージのほうはそのままの色であるのに、残像は元の色とは変わっています。
 たいていの人は、残像は見えるようになるのですが、イメージをそのまま記憶して、再現するのは不得意です。
 ものを見て眼を閉じると,瞬間的にはイメージが記憶に残るのですがすぐに消えてしまいます。
 たとえば、数字をいくつか並べたものを見て、眼を閉じて思い出そうとするとき、記憶に残っているのはイメージでなく、文字を読んで覚えた意味記憶です。
 イメージが記憶されていれば、数字を逆順に言えるのですが、読んだ記憶から逆行しようとするとつかえたり、間違えたりします。

 日本人は外国人に比べ、色つきの夢を見る人の割合が多いそうですが、年をとってくるとカラーの夢を見る人は少なくなります。
 ものを見てそのイメージを記憶する能力が低下してくるため、眼を閉じたとき記憶を思い出そうとしたとき、イメージがぼやけ、またカラーも失われています。
 そうなれば、夢に視角イメージが現れなかったり、色がついていなかったりするようになってきます。

 視角イメージの記憶力が低下してくると、本を読んだときでも理解力が低下してきます。
 直前に見た単語や文章が、すぐに記憶されなかったり、早く記憶から抜け落ちるので、文章の意味をつかみにくくなるのです。
 声を出して読むか、頭の中で音読すれば意味をつかむことはできるのですが、視角からの記憶があるほうが有利です。

 年をとればイメージ記憶力が衰えるのはやむをえないから、あきらめるしかないかというと、そうとは限りません。
 普通の記憶力のばあいでも、機会あるごとに思い出そうと努力する習慣を身につけると、思い出す能力が向上するそうですから、視角イメージでも習慣的な努力で向上させることは出来ます。
 急激に記憶力を向上するというのは無理でしょうが、持続的に努力するかしないかで一年もたてば大きな差が出来てきます。


脳と陰性残像

2006-04-15 23:13:04 | 視角能力

  左の図の青い円に視線を向け10秒ぐらい見つめます。
 そうすると青い円の部分が赤みがかり、背景のオレンジの部分が青みがかってきます。
 そこで視線を右側の黒い円に向けると、黒い円の周りがオレンジに、背景は青く見えます。 
 左側の図のオレンジの部分が青に、青の部分がオレンジに変わって右側に映るわけで、つまり陰性残像が見えるのです。
 ここで右側に移した視線をそのままに黒い円を見続けると、周りのオレンジ色は白く変化していきます。
 これは眼が黒に順応していくため補色の白い残像が出来るためで、左の青い円に視線を移せば青い円は中側が白く光って見えます。

 残像というのは生理現象なのですが、若いヒトの中には右脳の訓練になると信じて残像を長引かせる練習をする人もいるそうです。
 残像は視線を動かしていては発生しないので、同じ場所を見続けるということで、集中力が必要のように思えます。
 ところがぼんやりしていても、視線を動かさなければ残像が発生するので、集中力とは必ずしも関係ありません残像を持続しようとするなら、眼を動かさずにぼんやりと見続ければ眼を動かしたと場合とくれべ長く持続します(残像を持続しようとするなら、眼を動かさずにぼんやりと見続ければ眼を動かしたと場合とくれべ長く持続します)。

 それどころか朝の寝起きのときとか、夜になって眼がくたびれてきたときとか、要するに視覚機能が弱まっているときのほうが発生しやすくなります。
 したがって若い人よりも高齢者の方がすぐに残像が見え、また残像が消えるのに時間がかかります。
 若い人の中に残像がなかなか見えないというので、一生懸命見ようと努力する人もいるそうですが、せっかく健全な眼を持っていながらわざわざ眼を悪くさせるようなものです。
 残像現象というのはたとえていえば、同じ姿勢で立っていると足がこわばって動かしにくくなるようなものです。
 若ければこわばりにくく、こわばっても回復が早いので残像も若い方が見えにくく、消えるのも速いのです。

 残像は不思議な現象なので、何か超能力的な印象を持つ人がいます。
 何かをジット見つめていたりすると残像が見えるようになるため、集中力と関係があるように思えるので、残像を見ることが脳の力を増すような印象を持つのでしょう。
 右脳が開発されるとか、記憶力がよくなるとか信じている人もいるようですが、根拠はもちろんありません。
 年をとっているほうが残像を見やすく、持続することから考えても記憶力とか、想像力とは関係ないと思うべきでしょう。

 残像が見えてそれが持続するということは、そのこと自体にメリットはなく、実生活ではむしろ早く回復することのほうが大事です。
 残像を消すには瞬きして眼を動かすとか、眼を軽くマッサージするとかして、眼のこわばりをほぐすことです。


脳と栄養

2006-04-14 23:40:19 | 眼と脳の働き

 第二次大戦後、先進工業国ではIQがあがり続けたのですが、日本も上がり方が著しく、最上位クラスになっています。
 アメリカでは黒人と白人のIQを比較して、IQは遺伝的なものだと人種差別を正当化するような理論があります。
 ところが白人優位を主張しようとすると、日本人などが白人よりIQが高いということで、白人にとっては都合の悪い結果となります。
 先進工業国全般でIQがあがり続けたことを見れば、IQの高さをきめるのは遺伝的なものではなく生活水準とか、環境が主な要素ではないかと考えるのが自然でしょう。
 特に幼児期の栄養水準の改善は、脳が急激に発達する時期に、栄養が十分に与えられるために重要な問題です。

 人間の脳はたくさんのエネルギーが必要で、脳のエネルギー代謝は身体全体のエネルギー代謝の20%以上です。
 チンパンジーが約9%であるのに比べれば2倍以上となるのですが、幼児期もチンパンジーの20~45%に対し40より85%となっています。
 幼児期は脳が急激に発達するので、多くの栄養が必要であることが分かります。
 哺乳類は普通は離乳すれば大人と同じような食物を食べるのですが、人間の場合は離乳しても歯も消化器官も発達していないので、大人と同じ食物では十分な栄養を取れません。
 そうなると、身体の発育ももちろんですが、脳の発育にとっても特別な離乳食が必要です。
 
 人間の場合はチンパンジーよりも早く離乳し、しかも脳が必要とするエネルギーが多いため、特別な離乳食を用意すべきなのです。
 人間の脳は7歳ぐらいまでに大人の脳と同じ大きさになるのですが、それまで大人と同じ歯や消化器官を持たないのですから、特別な離乳食がなければ脳は十分な発育が出来ないことになります。
 戦後になって特に幼児の死亡率が減ったのは、医療の改善もありますが、栄養の改善が著しかったためです。
 生活の向上が栄養の向上につながり、それが離乳食の改善につながったためIQの向上にもつながったのでしょう。
 
 脳のためなどと特には意識しなかったのでしょうが、結果的には知能の向上が実現したといえます。
 といえば「そんなことはない、今の子供のほうが知能は低下している」という意見が出てくるでしょう。
 しかし、言葉の発達などの例で見ると、50年以上前と比べれば現在の幼児のほうが明らかに早くなっています。
 さらに視角能力など年配者が認めたがらない、そしてそのために理解できない部分での能力が向上してきてもいます。
 知能が向上すればよいというものでは必ずしもありませんが、いたずらに否定するだけではいけないと思います。


テレビとIQ

2006-04-13 22:48:31 | 眼と脳の働き

 図はパズルではなくてIQテストの一例です。
 左側の図形の並び方の規則を考え、?の所に来る図形を、右の八つの図形のうちから選ぶというものです。
 一行目の三つの図形と二行目の三つの図形を見れば、ひし形、正方形、正三角形と、三種の長方形(黒塗り、二本線入り、透明)の組み合わせになっています。
 三行目の最後は正方形と黒塗りの長方形の組み合わせだと推測できるので、5番が答えだと分かります。
 
 この種のテストの成績は、知識や教育の影響がないと見られたので、同じものが長期間IQテストで使われています。
 そこでIQが国や時代ごとにどのように変化してきているかを見ることができます。
 ニュージーランドのフリンという心理学者の調査によると、1950年以降、1980年代まででほとんどの工業国でIQは上昇しています。
 フリンの考えでは、西欧などの工業国は経済は発展してきてはいるけれども、文化的には退廃して人間的には退化しているので、知力が衰え、テストの成績も下がっていると予想されたのですが、逆になっています。
 そこでフリンはIQテスト知能とは関係なく、変化は何か別の原因によるのだろうとしています。

 クリストファー.ウィルス「プロメテウスの子供たち」によると、テストは知能と関係ないかもしれないが、脳機能を何らかの方法で測っているのです。
 何らかの挑戦的な仕事を行うための能力を改善する方法で、脳の機能が変化したのだとしています。
 その結果がどんなものかはまだ分からないけれども、変化した原因は第一はテレビやコンピューターゲームの影響だとしています。
 テレビは認知作用の速さに影響力を持ち、反応時間と脳機能をスピードアップするといいます。 その結果、視角的な認知能力が速くなり、処理能力が高まっています。

 テレビやコンピューターゲームは子供をダメにすると言う意見がアメリカでも、日本でも多いのですが、不気味ではあっても新しい子供のほうが、旧世代の人よりも新しい世界に適応的なのかもしれないのです。
 テレビやゲームばかりしていては身体にはよくないし、精神的におかしな人間となる可能性はありますが、だからといってやらせないというのもどうかと思います。
 テレビやゲームになじんだ脳のほうが、次の時代に適応しやすいというのであれば、テレビやゲームから子供を遮断するのは子供をかえって不幸にしてしまうかもしれないからです。

 ウィルスの考えでは、IQの成績が上がった原因の第二は栄養だといいます。
 IQ得点が一番あがったのはオランダで、オランダ人の食事は戦後劇的によくなったのに、IQ得点のアップ率の小さかったイギリスは食事の質が改善されていないといいます。
 第三の原因は小児期の病気の影響が減ったことで、医療の進歩が子供の知能にダメージを与えなくなったためだとしています。

 これらの説明はいずれもそう思うという、意見であって証明ではありません。、
 関連のありそうな現象でトレンドが似ているので、因果関係があるような感じがするというだけのものですが、否定する根拠もありません。
 最近では学力の低下が日本では問題になっていますが、これも詰め込み教育はよくないといった建前的理想論にのめりこみすぎたためかもしれません。
 子供には、時代に対する適応力を一応身につけさせる必要があるので、やみ雲にテレビなどを遠ざけるべきではないと思います。 


視角言語

2006-04-12 23:21:00 | 言葉と文字

 Aはアメリカの運輸省で使用しているピクトグラムですが、日本でも同じものを使っている所が多いものです。
 こういう例を見ると、言葉が違っていても絵文字なら世界中どこでも通じるような気がするでしょう。
  これは現代の欧米化した文明圏で暮らしているからわかるのであってどの時代、どの民族にも通じるものではないのですが、世界中に理解されるピクトグラムが出来ると言う信念を持つ人々はいます。
 言葉の壁を絵文字なら乗り越えられるはずだと考えるのでしょうが、言語の代わりというわけにはなかなかいきません。

 Bはブリスという人が考案した絵文字の一部です。
 漢字のように基本的な言葉を象形文字風に示し、それらを組み合わせて新しい内容を作るというようなシステムを作っています。
 たとえば男女を並べてカップルとするとか、数字の2を添えて複数を表し、息子が複数なら兄弟、娘が複数なら姉妹となっています。
 数が重なるのを×で表し人が集まってgroup.沢山集まってnation(国家)といった具合に作るわけです。
 
 この絵文字はピクトグラムよりズット簡略化しているのは、筆記が簡単に出来ることを目指したからでしょうが、漢字が抽象化されていたように直観的な分かりやすさは失われています。
 文字の種類が少なければ覚えやすいような感じがしても、増えてくれば紛らわしくなってきてしまいます。
 単語をアルファベットでなく、意味を感じさせる記号で表そうというのですが、形で意味を示すことが出来る単語は限られているため、結局漢字やエジプト文字と同じように分かりにくくなってしまいます。

 絵文字は音声との関係を持たないで理解できる、という前提で作られるのでしょうが、そうなると見た人が理解できなかったりすると、それを救う手立てがなくなってしまいます。
 視角言語といっても手話のように直接相対してのコミュニケーションと違って、絵文字の場合は相手が誤解したり理解できなければそれまでです。
 もともと説明抜きに誰でも分かるという前提なので、分からないというのは想定外なのです。
 
 効率的に表現しようとすれば、記号を簡略化抽象化せざるをえず、また複雑な内容を伝えようとすれば、表現が複雑化せざるをえないというふうになってくると結局既成の文字と変わらなくなってしまいます。
 既成の文字のように、音声言語の裏打ちがない分不安定なものになってしまいます。
 ピクトグラムが分かりやすいといっても、限定された分野でのことで、言葉に代えて絵文字のようなものを作るというのは無理なのです。