耳で聞き覚えた言葉を文字で書き表そうとするとき、漢字が分からなければカナで書けばよいのです。 ところが日本では漢字で書くという圧力が強いため、何とか漢字を当てはめようとしてしまいます。。 分からなければ推測になるので、間違いが起こりやすいのは当然です。 この場合、意味が分かっていればあまりおかしな当てかたはしないのですが、意味が分かっていない場合はとんでもない漢字を当ててしまいます。 正しい書き方を見たことがあっても漢字の意味が分からなければ、間違った漢字を当てても気がつかないということがあります。 図の左側は漢字の意味を知らないために間違った文字を代入しているケースです。 完璧の「璧」は壁(かべ)ではなく玉で、双璧の場合も玉で、壁ではないのですが、壁しか知らないと間違える例です。 津々、眈々、草々なども漢字の意味が分からないので別の字を当てているものです。 溌剌の「溌」は魚の飛び跳ねるさまという意味だそうで、ほかの用例がないので知らないのが当たり前で、発を当ててしまうのも当たり前かもしれません。 殺到の「殺」はこの場合意味を強める語で、殺すという意味はないということですが、殺すという意味があると思っていれば殺到でなく殺倒と書いてしまうのかもしれません。 また、耳で聞いたときに意味を勘違いして、その意味に当たる漢字を当ててそれが正しいと思ってしまうというケースもあります。 該当を概当とするのは「だいたい当たっている」と思ったのでしょうか。 貫徹を完徹としてしまうのも意味の誤解でしょうが、完全に徹夜を略して完徹ということがあるのに気がつかなかったのでしょう。 生真面目を気真面目とするのは、気持ちが真面目というふうに感じたものと思われます 首実験とか五里夢中とかになると、意味を特段考えずに同音の文字をただ当てはめたと考えたほうがよいかもしれません。 意味がおかしくても音が同じであれば代用するというやり方は、もともと仮借というもの漢字にはあるので、まるで否定することは出来ないかもしれません。 とはいうものの、漢字の書き間違えというものが非常に多いということからすると、漢字の意味というものにはあまりこだわらず、ただ漢字を使っている人が結構多いような気がします。 漢字は見れば意味が分かるという風にいわれます。 見れば分かるというからには、意味を知らなくても判別できるということですが、そのような例があるからといってすべてがそうだと言うわけではありません。 漢字の見かけによって誤読、誤記が発生するので、かえって厄介な側面もあります。 なんとなく分かったような気がするから、分からない単語にあってもあらためて正しい意味とか用法を確かめないまま過ごしてしまうので、間違った理解が定着する可能性は逆に高まります。 漢字は見れば自然に意味が分かるなどということはなく、辞書に当たって意味を確かめないといつの間にか間違った思い込みをしていることがしばしばあるのです。