日本に方言があるように当然英語にも方言とかなまりがあります。
図は「アメリカの文学方言辞典」に載っていたものの一部です。
英語の場合はスペリングと読み方は一致しなければならないので、方言やなまりは発音に近い形で表記しなければなりません。
しかし方言やなまりは発音があっても、このように綴るのだという正式のスペリングがあるわけではないでしょうから、あくまでも慣用となるでしょう。
それにしてもこのままの形で文章に出てくれば、普通の辞書には載っていないのですから、学校で習った英語しか知らなければ意味が分かりません。
日本語であれば、漢字を当ててルビの形で発音を表記すれば、発音と意味を同時に示すことが出来るので、読む側は何とか理解できます。
ルビというのは戦後廃止の方向に向かったのですが、これはルビをつけなければ読めないような難しい漢字は廃止すべきだという考え方によります。
しかし、ルビの用途を難しい漢字の読み仮名を示すのではなく、振り漢字をつけた音声表現として利用すると、とても便利なものとなるのです。
方言に振り漢字をするのは、結構難しいのですが、日本人はなんでも強引に漢字を当ててきた歴史があるので、案外うまくいくかもしれません。
英語の場合はルビのようなものはありませんから、こういう芸当は出来ません。
英語では方言やなまりを文章の中に盛り込もうとすると、読者の側はとても理解しにくくなります。
方言以外でも外国語などが入ってくると、外国語を知らない人は困るわけです。
かつては、ルビのようなものは、日本語の欠点を示しているとされていたものなのですが、使い方では案外便利で、むしろ長所になっているともいえます。
方言やなまりを考えた場合は、文字表記をどうするかということが問題となります。
文字表記といえば、当然書き言葉のようにかんだえられ、標準語のようなものとの組み合わせしか考えられてこなかったのですが、これは片手落ちです。
学者が文字のことを視角言語などといってしまうときは、方言などは意識にないのです。
同音異義の言葉が多いので、漢字を思い浮かべることで意味が分かるなどという言い方も、方言やなまりを念頭においていない言い方です。
カタカナ語なども無理に漢語に置き換えるとなじめない場合がありますが、振り漢字にすればカタカナ語のほうの感覚と、意味とを両立させることが出来ます。
意味の漢語が多少ぎこちなくて、こなれていなくても、振り漢字であれば我慢が出来るので無理訳でも存在価値が出てきます。
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