海杉ブログ 木材を中心に書き残したいことを投稿します

日々、気づいた事、エクステリアウッドのテクニックを書き綴ります。やりたい時、書きたい時だけ、疲れるので笑笑

突然の訃報

2009年05月11日 23時11分40秒 | なんでも
母からの電話ですぐに現場に駆けつけた。

海岸で岩場の現場は、海上に巡視船がいて、道路沿いには消防団の車やパトカーが、動いていた。

ヘリコプターのけたたましい音が、現場が捜索中であることがわかる。

消防団の中にうちの従業員がいた。

「どうだ?」

「まだ見つかりません」

「そうか、大変だろうけど・・・」

そう、言って分かれた。

捜索本部に行くと知り合いがいた。

「どうですか?」と尋ねると

「これからダイバーで海の底を捜索する」

海上や陸上は捜しても見つからないらしい。

一端引き上げて、連絡を待つことにした。

家に戻って1時間後、見つかったそうだ。「やっぱりダメだったか・・・」

なぜ、釣りなんかに…。でも、満おじさんは、釣りが好きだったよなあ・・・。

堤防釣りが好きだといっていたのに・・・。なぜ、礒釣りなのか?

満おじさんが、釣りを覚えたのは、弊社でビロウ島の灯台を建設した時に覚えたそうだ。楽しいそうに話してくれた。海杉が中学生のころだから、もう、30年前になる。

弊社を定年退職して10年以上過ぎている。海杉が、まだ、青二才で何年か定年を延ばしていただいた。本当に弊社にとっては、なくてはならない人だった。

「もう、年だから・・・」と退職された。

職場を離れて、悠々自適の生活をしていた。週末は釣りだそうだ。

「釣りって面白いですか?」と尋ねたことがある。愚問だ。

「面白いがね・・・」と笑って話してくれた。思い出す。

土曜日の夜から捜索しているとのことで、半分、「もう無理かもしれない」とは感じていたが、現実になると力がスウーと抜ける感じがした。

満おじさんが、退職してからもう10年以上経つんだ。退職記念に感謝状と記念時計を贈った記憶が、蘇ってきた。

この様な死亡の場合は、検死があるだろうから、ご自宅に帰られるのを見計らって、仮通夜に母と弟とで行った。

顔には、大きな傷がなく、はっきり、満おじさんだとわかるが、頭の包帯が痛々しかった。水深12mのところで見つかったそうだ。

温和で誰にでも優しく、陰日なたのない、素晴らしい人でした。海杉が子どものころから、弊社で働いてくれ、弊社が今あるのも、満おじさんのお陰だと思っている。

今朝の朝礼で、従業員に満おじさんの死を告げ、誰にでも危険がすぐそばにあること弊社とって大切な人だったことを念を押すように話をした。

今晩は、通夜だ。

海杉が焼香をし、ふっと遺影をみると海野建設の作業着姿の写真だった。

とってもいい笑顔の写真だった。
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