先日、父の遺骨を墓に入れた。
新しい墓なのでお坊さんに来ていただき、法要を済ませ、納骨となった。
写真は、そのときの様子。
海野家では、生前お墓を作っていなかったので、父が亡くなってから作った。
葬式、四十九日、初盆、納骨と一通り、終了したが、海杉自身、まだ、実感がわかないのが本音だ。
お墓についてあまり真剣に考えなかったが、海杉はひとつの考えを導き出した。それは、墓を作って誰が守り、引き継ぐのか?このことをきちんと子どもたちに話さなければならないと言う当たり前のことだ。
海野家では、墓がなかったころ、毎年、彼岸には、父方の墓と母方の墓にお参りに行っていた。子どもを連れて行くのだが、これは大切な我が家の行事だ。
日ごろ、家族で外出はしないが、お彼岸は、お墓に行く。
宗教観ではなく、家族の絆のようなものを確認しに行く。
子どもたちに伝えたいものは、言葉ではなく、目に見えない何かなのだが、それは、子どもたちがいつかは気づいてくれるだろう。
お墓を守る行為は、祖先を敬い、家族を大切にすると言うこと。そして、自分の子どもたちに何かを伝えることだ。
言葉ではないこの行為を理解してくれるだろうか?
新しい墓なのでお坊さんに来ていただき、法要を済ませ、納骨となった。
写真は、そのときの様子。
海野家では、生前お墓を作っていなかったので、父が亡くなってから作った。
葬式、四十九日、初盆、納骨と一通り、終了したが、海杉自身、まだ、実感がわかないのが本音だ。
お墓についてあまり真剣に考えなかったが、海杉はひとつの考えを導き出した。それは、墓を作って誰が守り、引き継ぐのか?このことをきちんと子どもたちに話さなければならないと言う当たり前のことだ。
海野家では、墓がなかったころ、毎年、彼岸には、父方の墓と母方の墓にお参りに行っていた。子どもを連れて行くのだが、これは大切な我が家の行事だ。
日ごろ、家族で外出はしないが、お彼岸は、お墓に行く。
宗教観ではなく、家族の絆のようなものを確認しに行く。
子どもたちに伝えたいものは、言葉ではなく、目に見えない何かなのだが、それは、子どもたちがいつかは気づいてくれるだろう。
お墓を守る行為は、祖先を敬い、家族を大切にすると言うこと。そして、自分の子どもたちに何かを伝えることだ。
言葉ではないこの行為を理解してくれるだろうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます