国鉄フライヤーズ

目指せカネ、ヒマ、若さ

これが検察のやり口か

2010-08-17 01:00:00 | 官僚
100807検察問題を考えるシンポジウム01.flv


怖い話だ。

持病のある被疑者から薬をとりあげる。
一人暮らしなら愛犬を殺処分すると脅す(じっさいに殺処分)。

その間、司法記者クラブ経由の都合のいいリーク。
国選弁護人はヤメ検という仲間内。
頼る人は敵だった。

アメリカから訴追されれば引き渡し。
不平等条約の地位協定では逆は無い。

アメリカでは司法取引で容疑を認める供述書に署名すれば実刑は免れると甘い言葉(でも実刑)。
健康も精神も人格もズタズタにされる。

何故?
911の真実に迫ってしまったのだろうか。


岩上安身ツイットより引用


検察の拷問の手口の一つが、

持病のある人間を

拘置所に留置して、薬を取りあげ、

体調が悪化しても、

ろくな医療行為を受けさせないこと。

先日のシンポジウムに出席した小堀さんのケースがまさにそれ。

同じような目にあった女性のケースを、取材した。

近々ビデオをアップする。




続き。

子宮内膜症を患わっていて、手術を受ける予定だったその女性は、

ある日突然、官憲に連行され、拘置所に連れていかれ、

薬を取り上げられた。3カ月間拘置され、出血が止まらなかった。

凌辱に近い扱いである。




続き。

検事は、

「ペットのワンちゃん、

 殺処分になっちゃうよ」と、

脅した。

脅すだけでなく、拘置されている間に、

愛犬は本当に殺処分されてしまった。




続き。

彼女についた国選弁護人は、

彼女の権利保護の為に何もしなかった。

ずっとのちになってわかったことだったが、

彼は有名なヤメ検弁護士であり、

検察の身内だった。




続き。

三ヶ月の拘置のあと、彼女は米国の官憲に引き渡され、

米国製の手錠、

米国製の腰縄をつけられて、米国に護送された。

犯罪人引き渡し条約により、

米国で訴追された日本国民は、

日本政府に守られることなく、

米国へ送られてしまう。

その逆はない。

日米地位協定という

不平等条約のためである。




続き。

彼女にかけられた容疑は、

9・11同時多発テロの被災者向けのローンを

詐取しようとした弁護士との共謀罪。

本人はまったく身に覚えがない。

米国では、誰かが「あの人と共謀した」というだけで、

罪をかぶせられてしまう。




続き。

彼女にはアリバイもあった。しかし、ろくな審理もなく、

司法取引を強いられる。罪を認めれば、実刑は免れられる。

そういう約束だった。泣く泣くサインしたが、

法廷では何と実刑を言い渡された。




続き。

刑務所送りにされた彼女は、そこで自分と同じように

冤罪で送り込まれたアメリカ人女性と会う。名前はスーザン。

スーザンはひどい拷問で精神を病んでしまっていたが、

同房となった彼女の看護で、回復して行く。




続き。

数年の後、出獄した彼女は、

金も、洋服も、鞄も、

アクセサリーも返されず、

囚人服のまま、日航機に乗せられ、

東京へ送還された。

財産も、家も失った彼女は、

教会で行き倒れ、

聖路加病院の救急救命センターで命を救われた。




続き。

検査によってわかったことだが、長い刑務所生活で、

彼女はB型肝炎に

感染していた。検査も治療も受けさせてもらえなかったが、

自分の体内で抗体を作り出していた。




続き。

彼女は、どんな罪を犯していたというのだろうか。

あの、9・11の際、

倒壊したワールドトレードセンターのビルの

すぐそばにいた彼女は、

事件を目の前で目撃し、アスベスト被害のための証拠として、

粉塵を採取していた。事件現場の写真もとっていた。




続き。

そして、NY在住の一市民として、

ブッシュ政権の対テロ戦争政策に反対し、

日本に帰国しては、目撃した事実を講演で話し、

イラク特措法に反対した。

「罪」があるとすればそれだけだ。その「罰」が、

財産と、健康と、自由と、愛犬の命を失うことであるとは、

誰が予想しただろうか。




続き。

今、彼女は、失意の中から立ち直り、

自分の身に起きたことを

手記にまとめつつある。

冤罪被害者として、

自分の無実を改めて訴え、

私の取材も受け、この秋には、

同房だったスーザンを日本に呼び、

記者会見を行う。




続き。

元CIAだったスーザンは、一足先に単行本を書き、

愛国者法によって訴追された自身の無実を訴えている。

平和を訴えた日米両国の勇敢な女性二人は、

自国の政府によって弾圧されたが、心を折られることなく、

自身の名誉のために、立ち上がろうとしている。


引用終わり



二邦人米に移送へ(2005年10月)