小林秀雄「個性と戦う」 blog.goo.ne.jp/tym943/e/d85f3…
【告知】3月16日(月)19時半~@6次元
ほんとうの話 第1夜「東北の話」
田附勝(写真家)×畑中章宏(作家・編集者)×黑田菜月(写真家)
田附さんの最新写真図録『おわり。』をめぐって、東北のこと、写真集のこと、さまざまな本のことなどについて会話します。参加費1500円
米大学、薄給の非常勤講師への依存に変化 on.wsj.com/1EIiCXP 米国の大学では非常勤講師が労組を結成、大学側は講師に長期契約を提供し始めているという。終身雇用の教授たちの姿勢にも変化が見られるように。 pic.twitter.com/KezLCUxNkr
『モモ』では―私自身の経験にも照らして―、悪は別のものに表現されました。すなわち、人の手に負えない、無慈悲なものとして表現されたのです。ですから、それはどうやっても、喜劇的にはならないのです。こうして、その悪から、灰色の男たちが生まれました。 『ファンタジー神話と現代』
【無縁・公界・楽】中世史家・網野善彦の著。統治権力の及ばない聖域(アジール)について言及されている。無縁とは、縁切寺・駆込寺のようにその領内に入ることで離婚や罪が許される聖域。公界とは、私ではなく公の世界に生きる芸能者等を指す。その考えを発展させたのが楽で、楽市等の考えに通ずる。
阪急の創始者、小林一三の逸話。
今、当たり前にぶら下がっている電車の中の中吊り広告。
あれは小林一三の発案だった。
で、部下が、
「始める前に担当省庁に許可をもらいましょう。」
と言ったら、
「アホ!禁止されてもいないもの、許可取りに行ったら禁止されるだけやろ!」
【茨城・牛久大仏・修正会】<大晦日~元旦>牛久大仏にて行われるカウントダウン。「10.9.8.南.無.阿.弥.陀.ぶ.つ」の掛け声とともに約千発のカウントダウン花火が打ち上げられ、レーザーの光で牛久大仏が七色にライトアップされる。 pic.twitter.com/0a6XtjMGv5
30~40代の有配偶女性のうち,「主たる家計支持者」の割合。日本だけが減っておる。これは何かの間違いか?? pic.twitter.com/AaE7x206wD
餃子ライス頼んだら「ごはん切れてるんですよ チャーハンならできます」て言われて勧められるがまま食べてるんだけど、このチャーハン何でできてるんだろう…
『ジム・ボタン』の中の悪は、未だ不適切な状態にある悪です。その悪は、無慈悲ではなくて、本来、一つの間違いに過ぎません。あの竜は、もし、しかるべき状態にあれば、叡智の黄金竜になることでしょう。<あらくれ13>の、然るべき役柄は、王の護衛です。 『ファンタジー神話と現代』
【明兆】室町期の画僧。東福寺に入り、大道一以に画法を学ぶ。周囲に禅僧としての高位を望まれるも拒み、北宋の李竜眠に師事。その後頭角を現し水墨画開祖となる。僧としての位は終生仏殿管理を務める殿主だったため、親しみを込めて兆殿司と呼ばれた。 pic.twitter.com/P2HLPM7CAI
人間の毒性ばかりをこせこせと見るのは小人(しょうじん)のすることで、 大人(たいじん)はすべからく相手の効能の面を見ぬかねばならん 司馬遼太郎 著 『竜馬がゆく』 より
かつて造り酒屋は土地持ちであったという。酒は高価で、それでも飲みたい人は田畑を担保に購入、結局払えず酒屋のものになったとか。しかしそれに大した価値はない。飛び地だからだ。時代が移り、地方にコンビニが進出した時、彼等はその土地に目を付けたという。そんな成るほど話を元酒屋から聞いた。
【最新刊】佐藤光『柳宗悦とウィリアム・ブレイク 環流する「肯定の思想」』 buff.ly/1BivtSW 日本民藝館の創設者柳宗悦は一方で18世紀イギリスの画家・詩人であったウィリアム・ブレイクの研究に情熱を注いだ.それはいかに柳の民藝を支え成長させたのか.
【坂井の清水】南陽市沖郷の坂井、高松川のほとりに清水の湧く井戸がある。ここに酒好きな父親と孝行息子がいた。貧乏なので父に酒を買ってやれず、清水で我慢してもらおうと水を汲んでいったところ、名酒に変化していたという。
学問の常識を忘れていないか - 小林秀雄 blog.goo.ne.jp/tym943/e/e1d87…
小林秀雄 「なぜ徒党を組むのか」 blog.goo.ne.jp/tym943/e/673be…
小林秀雄「信し?ることと知ること」 blog.goo.ne.jp/tym943/e/e5562…
小林秀雄で考える「歴史」の捉え方1/4 blog.goo.ne.jp/tym943/e/9e0c9…
小林秀雄で考える「歴史」の捉え方2/4 blog.goo.ne.jp/tym943/e/ac005…
小林秀雄で考える「歴史」の捉え方3/4 blog.goo.ne.jp/tym943/e/af355…
小林秀雄で考える「歴史」の捉え方4/4 blog.goo.ne.jp/tym943/e/c8a9e…
小林秀雄「ゴッホの人生」 blog.goo.ne.jp/tym943/e/239d3…
勝ち組とか負け組の登場
勝ち組とか負け組とかよく言われる。
どこでどうなってこんなくだらない言葉が登場してきたのだ... blog.goo.ne.jp/tym943/e/d51dc…
2014.5.18千葉 九十九里浜&御宿海岸 blue sea&sunset goo.gl/nRpBSu
3月1日ウィークエンド・サロン「言語の調査とはどういうものか」
パキスタンでの言語調査を例に言語学的な考え方で言語を問直しますminpaku.ac.jp/museum/event/s…
写真はウルドゥー語と英語での落書きが壁を埋める(パキスタン北部 pic.twitter.com/qN6hLlUmNJ
(耕論)体育で何を鍛えるか 内田良さん、坂上康博さんt.asahi.com/h9zw内田氏「組み体操や、部活動での精神的な指導には、軍事教練的な発想がずっと流れています。「一緒に最後までやる」ことを重視するので、個人個人の体力や健康リスクに配慮する意識がない。」
ブログ更新。データえっせい: アラフォー男女の年収別の未婚率 tmaita77.blogspot.com/2015/02/blog-p… 「元データがみたい」「女性のグラフもみたい」・・・ ご要望にお応えします。
集団地域法の適否について国論が二分していた「20~30年前」の南アフリカをわざわざ例にとって「私は居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいいと思うようになった」と書いている以上、曾野はアパルトヘイト存続派だったという以外に解釈のしようがないでしょう。
【山形・奇習カセ鳥】<2月11日>江戸時代初期から伝わる上山伝統の火伏せの行事。頭からケンダイという蓑を被り、草鞋を履いて「カセ鳥」という神になり「カッカッカー」と奇声をあげる若者達に手桶で祝い水を掛ける。火難を防ぎ、商売繁盛を祈願。pic.twitter.com/hEa3Dx1rYK
【炭焼き藤太伝説②】山形市宝沢周辺から寒河江市白岩の藤太道沿いには、炭焼き藤太伝説にまつわる地名や遺蹟が残されている。豊丸姫が藤太に逢おうかと迷う五度坂、藤太の家の煙が見えた姫坂、両所宮の金洗い池や休み岩、藤森稲荷、中山町の休み岩、水鳥に黄金を投げ付けた鴻の池などがある。
朝稽古のあとAERAのエッセイえくり。曾野綾子はまだ「私はアパルトヘイトには反対です」と言い訳してるみたいですね。でも、それは通らないでしょう。
これはひどい。自分の発言の何が悪かったのかすら理解していない。「あらあら、この人たち何でこんなに興奮しているのかしら?私とは住む世界が違うから理解しにくいわね」という生粋の差別主義を感じる。
曽野綾子氏「アパルトヘイト称揚してない」 t.asahi.com/h9zn
誓願寺阿弥陀如来坐像:白眼の入った如来像。南北朝期の作品で、定朝様を踏襲した寄木造布貼の丈六の座像である。誓願寺は京都にあり、天智天皇が開基した浄土宗西山深草派の総本山。 pic.twitter.com/FSaBLAsOxb
中国サンゴ密漁団、次の標的はマグロか 漁獲制限免れ「乱獲」の恐れ 奥窪優木氏 - ZAKZAK zakzak.co.jp/society/foreig… @zakdesk
『教育』2014年12月号No.827 kamogawa.co.jp/kensaku/syosek… ↓の点については,本誌にて書かせていただいた。拙稿「データでみる大学院のいま」
曽野綾子氏の人種区別集住発言を批判するのはきわめて正しい。しかしこの批判の波に乗じて、あたかも曽野氏が現在の安倍政権の助言者だとか教育再生実行会議の現メンバーだとみなして(一昨年の10月にとっくに辞任)「こういう人物に教育を任せる安倍は許せん」とやる策動には要注意。踊らされるな。
【善光寺如来】山形市円応寺に伝わる。弘化4年(1847)3月24日、山形から善光寺の御開帳を詣でた人々が、宿で「ここから出よ」という声を聞いた。その通りにしたところ、大地震の被害から逃れることができた(善光寺地震のこと)。これは仏の導きであると感謝し建立したものである。
【家事上手が実践している、冬の効率的な洗濯ワザ!】 tenki.jp/suppl/emi_iwak… 生地の厚い衣類が多いうえ、日照時間が短いから乾きにくい……。冬のお洗濯にそんなマ.. pic.twitter.com/q13yZXrZKV
2013.8.3~4千葉、九十九里浜&御宿、勝浦 夏の空 Kujyuukuri Beach
2013 8 18千葉、九十九里浜木戸浜フライト beach in kujyuukuri
2013 12 1千葉富津岬 東京湾フライト tokyo bay Flight
2014.4.29千葉九十九里浜 縦断フライト 屏風ヶ浦から太東岬まで
中島敦のこと
治療のために小説を書くという作家がいた。現実と夢が一致しないというタイプの作家である。その名を中島敦という。(そう思っているのは私だけだろうけど)
私は、この作家を高校時代に知った。つまり、現代国語という科目で教えていただだいたのだった。仙台の東北帝大国文学科出身の俊秀の先生であった。平先生と言われたっけなぁ。懐かしい。実に。背も高く、教え方も丁寧で、授業中しばしば絶句されることがあった。教材に感動してしまうのである。男子が殆どの教室であったから、たいていの生徒はまた始まったというような反応しかしなかった。しかし、私も先生のように感動して先生を見つめていた。懐かしい。お元気でおられるのだろうか。懐かしい、実に懐かしい。
で、書庫の中に、確か中島敦全集があったはずだと思って探したのである。
ところが無かった。
在籍大学では時々講演会をやってくださる。東京で講演会があったときには東京駅から高速バスで帰る。その時は、必ず神田神保町に寄る。それ見つけたお買い得品であったのだ。なんと全部で3000円で買った。分厚いので、重かった。
ちなみに、神田神保町では柳田国男全集も、折口信夫全集も非常に安く買えた。それぞれ、一万円以下で買った。自分でも信じられない経験だった。二つあわせたら80冊くらいある。むろん宅急便で送ってもらった。
今、この記事を書いているパソコンの前に、で~んと置いてある。第一巻からちびちびと読んでいる。それがなによりの楽しみであるからだ。自分の本なので、シャーペンを持って直接メモを書き込みながら読んでいる。これだから、自分の本を持つというのはこたえられない。だから爺になっても退屈しないのである。
その中島敦全集があったのである。
どこにあったか。
柳田国男全集のうしろにあったのだ。笑ってしまった。隠れていたのだ。あああああ、ありがたいと押し頂いて、取り出した。一昨日のことである。そして、書庫にあるボロ机の脇に置いた。これからまた読むつもりだ。
なにしろやることがないから、読書はいいものである。
どこでも読む。風呂の中でも、トイレの中でも、ベッドの中でもやってしまう。電車通勤していた時は、もっと読んだ。場所を選ばずである。それでいいのだ。視力が落ちると言われても、もう落ちている。若い人には真似してほしくないけれども。特に、義務教育段階の生徒たちには。塾生である。昨日も机に顔がくっつくようにしがみついて勉強していた生徒がいたから、ちょっと注意したのだが。あまり机に目が近いと、こういう爺のようになってしまうよんとである。
で、中島敦である。
なかなかである。
漢文を専門にやったから、難語句が多い。多いから、読むのに苦労する。
ある意味、現実と仮想の世界の区別がつかない作品が多い。作者も自覚していたのではなかったか。しかし、妙に明るい部分もある。
おそらく文体のせいでもあろう。簡明である。ここに漢文体の影響があると思うのだが。ま、私は研究者でもなんでもないから、勝手なことを書きちらしては(垂れ流しとメールを送ってきた方もいたなぁ~)悦に入っているだけだ。
しかし、中島敦は使っている難語句を除いては、きわめてわかりやすい。
凝った言葉を使っているわりには、テーマが実にわかりやすい。この愚かな私がいうのだから間違いない。
表現が、情緒的ではない。情緒に流されない。べたついていない。これは見事である。
理性の勝ったユーモアもある。
田舎のヒトが書いてしまったような朴訥さもある。リズム感もあって、どっかでひっかるようなところもない。文章は短い。かなり特徴的な文体である。テンポがいい。だから、好きだ。「光と風と夢」なんて実にいい。
下記に引用してみよう。(青空文庫からhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1743_14532.html )
光と風と夢
中島敦
一八八四年五月の或夜遅く、三十五歳のロバァト・ルゥイス・スティヴンスンは、南仏イエールの客舎で、突然、ひどい喀血(かっけつ)に襲われた。駈付けた妻に向って、彼は紙切に鉛筆で斯(こ)う書いて見せた。「恐れることはない。之が死なら、楽なものだ。」血が口中を塞(ふさ)いで、口が利けなかったのである。
爾来(じらい)、彼は健康地を求めて転々しなければならなくなった。南英の保養地ボーンマスでの三年の後、コロラドを試みては、という医者の言葉に従って、大西洋を渡った。米国も思わしくなく、今度は南洋行が試みられた。七十噸(トン)の縦帆船(スクーナー)は、マルケサス・パウモツ・タヒティ・ハワイ・ギルバァトを経て一年半に亘る巡航の後、一八八九年の終にサモアのアピア港に着いた。海上の生活は快適で、島々の気候は申分なかった。自ら「咳と骨に過ぎない」というスティヴンスンの身体も、先ず小康を保つことが出来た。彼は此処で住んで見る気になり、アピア市外に四百エーカーばかりの土地を買入れた。勿論、まだ此処で一生を終えようなどと考えていた訳ではない。現に、翌年の二月、買入れた土地の開墾や建築を暫く人手に委(ゆだ)ねて、自分はシドニー迄出掛けて行った。其処で便船を待合せて、一旦英国に帰るつもりだったのである。
しかし、彼は、やがて、在英の一友人に宛てて次の様な手紙を書かねばならなかった。「……実をいえば、私は、最早一度しか英国に帰ることはないだろうと思っている。そして其の一度とは、死ぬ時であろう。熱帯に於てのみ私は纔(わず)かに健康なのだ。亜熱帯の此処(ニュー・カレドニア)でさえ、私は直ぐに風邪を引く。シドニーでは到頭喀血をやって了った。霧の深い英国へ帰るなど、今は思いも寄らぬ。……私は悲しんでいるだろうか? 英国にいる七・八人、米国にいる一人二人の友人と会えなくなること、それが辛いだけだ。それを別にすれば、寧(むし)ろサモアの方が好ましい。海と島々と土人達と、島の生活と気候とが、私を本当に幸福にして呉れるだろう。私は此の流謫(るたく)を決して不幸とは考えない……。」
中島の作品は、現実から分解していく。自分がである。これは怖い。現実なんて当てにならないものというstyleがあるからだ。
現実そのものが、空想となっていく。有名な「山月記」がそうだ。虎になってしまう。虎にとって、出世とか芸術とかがどれほどの意味を持っているのかということが、これでもか、これでもかと書かれている。
中島敦にとって、現実は見れば見るほどバラバラになっていく。信じる対象を持てなくなったからである。
ある意味、治療対象の症状だったと私は思う。
しかし、中島敦はその症状からすくなくとも回復していたから、あれだけの小説が書けたのではないのか。
8:37になった。
さ、これから土佐日記の古文書を習いに行ってくる。
雨が降っているけど。
じゃぁねぇ~
(^_^)ノ””””