「わからない」からやっているだけだ、というしかない
いろいろと、それこそいろいろと爺になってからやっている。まったく何一つモノになったのはないが、チャレンジだけはやっている。
つまり専門なんて、なんにもないようなものだ。「ようなもの」ではなくて、まったく「ない」のだ。そのとおりである。
私のアイデンティティなんてなにもない。ナイナイのパーである。
というような書き出しで始まったが、なに、気が狂ってしまったというわけではない。
考えてみれば、下手くそな論文もどきを書いて、しかも、書きすぎて(時間をめいっぱい使ったから=10時間以上書いていた)体調を崩してしまったというのが、そもそも洒落にならない。産まれた時から洒落だけで過ごしてきたのだが、還暦過ぎてこんなになっちゃって、話にもなにもならない。夢もなにも全部消滅してしまった。
しかしである。
しかし、これから私は恥も外聞もなく、千葉市で行われる郷土史の講座を聞きに行くのである。漁業史と、古文書講座である。今日、これからである。もっとも、途中大学に寄って、大学図書館に本を返却してくる。ついでに、院生室にある私のロッカーを整理してくる。空っぽにしてくるが。
なんでか。なんで千葉市なんかに行くのか。わざわざガソリンを使って。
それは、「わからないこと」がたくさんあるからである。世の中知らないことだらけであるからだ。マイッタと思うくらいたくさんあるのだ。それが。
昨日、居住地の大図書館に予約していた本が来たからというメールをいただいた。だから喜んで行ったのである。そして、ついでだからと他の書籍を見てまわった。これまでは、日本の中世史が好きでいろいろと見て回っていた。しかし、江戸時代を中心とした近世のことを書いた書籍もまったく読んでいないことに昨日は思い切り気がついた。これはこれは。なんのために今まで生きてきたのだろうかと慚愧の思いでいっぱいになった。
話にならないとはこのことである。
だから私は残り少ない人生となったが、読書をするしかないのである。
わからないことが多すぎるから、勉強するしかないのだ。それはある意味真実だ。
つまり、私はある分野で功成り名遂げたエライ方とはまったく違うのである。あたりめぇじゃねぇかと叱られそうだが、私はまだまだ知らないことが多すぎて、他人に指導している暇もないし、資格もない。誰もそんなことを依頼してくるヒトもいない。それでいいのだと思っている。また、こうやって他分野にバリバリ関わっていって、雜文を書きまくるというのは、けっこう楽しい。専門に閉じこもりたいが、その専門というのがないから気楽なものである。
つまり、「変な爺」なのだ。
変な人間である。それが私の特徴なのであろう。修士をとったのも60歳ちょうどだし、今も博士後期課程で学生をやっている。これは「変」そのものである。
なにを今更、トチ狂っておるのだ?といろいろな方が言ってきたけど、それはそれで認める。認めざるを得ない。所詮、まともではない。まともでないから、こうなったのだ。
なにも後悔はしていない。
結局体調を崩して、挫折したけれども。挫折だったら、若い時からなんどもしてきたから慣れている。失恋も何回もしてきたしねぇ~。成就したことはまったくない。その度毎に笑って過ごしてきただけである。
挫折ばかりだったから、プライドがない。だから、異分野でもなんでも、いろいろなことに突っ込んでいく。祭りもそうだし、日本の芸能にも。ここ数年は中国福建省の目連救母劇にも関心があって、来月中国ではないが、台湾に民俗舞踊を見にいく。それもまた趣味である。知らないから行くのである。
健康だったら中国福建省の厦門大学に短期留学したかったが、それも不可能になってしまった。通院しなくてはならないからである。そのためにと思って、中国語講座も受けたのだ。幸い、在籍大学は国際人が多い。留学生もたくさんいるかから、いろいろ教えていただいた。結局、それにも挫折したけど。
しかし、駄文は書かせていただいている。日中芸能比較である。楽しいからやっている。ある研究誌に出るか出ないか、まだわからない。しかし、希望は持っている。
わからないからやっているのである。
先日、県立美術館に平山郁夫を見にいったけど、あれもわからないからである。なんにも知らないから見に行くのである。もっとも古女房ドノがそういう絵画とかが好きだから、ただの運転手で行っただけだ。
そして、古女房ドノと離れながら受付に行ったのである。シッシッと追い払われたからである。なんのことはない。私のような爺と一緒にいると格好がつかないからだ。しかもハゲである。こっちは。
で、受付で、「大学生です」と私は申し上げたのである。そしたら、「えっ?」となった。そうなのだ。大学生だと、400円になるのだ。一般は、800円である。なんと50%引きである。しっかり古女房ドノから言い渡されていたから、きちんとそう申し上げた。だって料金は、彼女が払うことになっていたからである。
そしたら、係の女性がもう一人出てきた。
「大学生?」
「はぃー(^-^)/」
とか細い声で申し上げたのである。そこで初めて気がついた。信用されていないってことに。
しょうがないから、かなり立派な学生証を提示した。しげしげと見られた。見るついでに、私の顔をじっと見た。
やっと信用されたようであった。
で、大枚400円を支払って見たのである。
そしたら、やっぱり知らないことだらけであった。仏教とも関連が深い。これは、これは。わからないということは、不幸なのか、幸福なのか。相当はまった。平山郁夫に。面白いのだ。
ついでに、本もかなり買った。
家に帰ってきてからもAmazonで購入した。
いいもんである。
こういう体験も。
マジに。
さ、これから在籍大学経由、中央博物館経由で、千葉市文化センターに行く。
楽しみじゃな。
(^_^)ノ””””