と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

栄町市場おばぁラップ/栄町市場おばぁラッパーズ

2015年02月11日 23時41分21秒 | 民俗与太話にムチュウ

栄町市場おばぁラップ/栄町市場おばぁラッパーズ

最高ですね~。

おばぁ。

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「手入れ」が一番大切ですねぇ~

2015年02月11日 08時47分05秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 

手入れの袋を増やしていきまひょ

 

 

オンナは、なぜ毎日飽きもせず化粧なるものをしているのか。毎日、1時間も2時間もしている。一般的にである。一般的。それを時々不思議に思うことがある。すっぴんというものを、極端に嫌う。ま、それはそれでいいだろう。オトコにはわからない心理であろうから。

化粧というのは「手入れ」である。つまり放っておいたら、悪化するから。オンナがそうだといっているのではない。放っておいたら荒れるのは、「大自然」の方である。田んぼもそう。畑もそう。放っておいたら、草ボウボウになる。それが悪化しているということに当てはまるかどうか、もしかしたら草ボウボウの方が自然なのかもしれない。しかし、私は「適度に」「手入れ」されているということを問題にしたいのだ。

だからどうなんだ?と叱られるかもしれない。

しかし、田舎暮らしをしていると、しみじみ大自然のありがたさがよくわかる。都会には無い魅力がたくさんある。太平洋もきれいである。晴れていれば。だいいち、天候次第で見え方が違う。これが最大の魅力である。しかも、九十九里浜の隣はアメリカなのだ。

時々、冗談でいうことがある。「隣はアメリカで~す」って。だいぶ遠いが。で、私の居住地でそんなことをいったらバカにされる。そんなの当たり前だからだ。

じゃ、どこでそういうバカな冗談をいうか。

都会である。たまに出かけて行く。そして、宴会があったときに言っていた。「隣はアメリカで~す」って。相手が都会人だとウケた。

しかし、もう宴会にも縁が無くなってしまった。そうなのである。Alcoholが嫌いになったのだ。去年の11月からである。体調を崩した時から一滴もである。においも嗅がない。嗅いだら死んでしまう。オンナの香水と一緒である。さらに、Doctorにもalcoholと離婚するようにとありがたくないadviceをいただいたからだ。ま、自業自得である。仕方がないから、呑まない。

さて、里山も大自然である。

しかし、太平洋とはちょっと違う。規模が違う。それに、里山は「手入れ」がなされている。適度にである。これがいい。これがあるから、森林が活きる。適度に活きる。だから、水がきれいになる。知ってのとおり、森林があるから、昆布がうまくなる。川もそうだ。川の両岸に適度に森林があるから、川も美しくなる。森林がないと、泥だらけの川になる。黄河が有名である。日本では中途半端な川が泥だらけになる。つまり田舎の度合いが中途半端なのだ。もっと言えば、都会化が中途半端だということである。しかし、私は、都会化というのがあまり好きではない。自然がない。どこに行っても、アスファルトである。道路がである。あれじゃぁ面白くもなんともない。

地面は柔らかいから楽しいのである。毎日のwalkingでも柔らかい地面を踏みしめて歩くから楽しいのである。足にもいい。クッションになる。ただし、雨が降ったらしょうがないから、避けて通るしかないが。

そういうのを考えると、人間なんてちっぽけな存在であるし、大自然に生かされているってことである。よく考えるのだ。そういうことを。

都会の人間は大自然ということを考えることがあるのだろうか。

メリットとか、デメリットとか、そういうことしか考えていないのではないのか。ずっと疑問に思ってきたことである。利益があがることが最優先というのでは、なんとも寂しい人間観ではないのか。デメリットがあるからやらないと堂々と言っていた輩もずいぶん知っている。否、知っていた。もう私の周囲には、そんなことを言う輩はいない。

生涯学習をやり始めた時には言われた。今更、そんなアフォ~なことをやってメリットがあるのか?って。時間と銭の無駄だって。

その時からずっと大笑いしていた。じゃぁ、おめぇーさんのメリットってなんじゃ?と。

出世か?

銭か?

生きがいか?

・・・・・・・・・・・違う、違う。

メリットだけで生きていったら、実に侘しい人生である。そのままの人生がいいと言っているのではない。適度な「手入れ」がある人生の方がいいというだけだ。

手入れというのは、生涯学習とある意味、通じるところがある。それはオノレのアタマである。アタマを手入れしていれば、毎日が楽しい。

あ、カミの毛の「手入れ」ではない。私にはそんなもん、まったく無い。縁もゆかりもない。ナイナイのパーである。

ハゲはどっから見ても、ハゲである。だからまったく気にしない。誰かが、私のアタマを見ても、気にならない。気にしないから「手入れ」をしない。する必要もない。

そういうことではない。

アタマの表面ではない。

そうなのだ。中身である。アタマの中身。確かに記憶力が衰えてきている。(もともとそうだけど)

なかなか他人の名前が覚えられない。特に、美女の名前と顔が一致しない。なぜか。それはそういう美女と出会う機会がまったくないからである。ただの田舎爺であるから、パーティなんていうのにも行かない、行けない。そういうチャンスもないし、自分から求めていないからだ。そんなの関係ねぇ~である。

英語もそうだ。

中国語もそうだ。

覚えた気になっても、すぐ忘れてしまう。

ノートをとっても、ノートをどこに置いたか忘れてしまう。だから、目的別に袋を用意している。それぞれの袋に参考書とノートが入っている。塾専用というのもある。在籍大学専用の袋もある。古文書専用というのもある。講師専用というのもある。だんだん少なくなっていくだろうけれども。4月からの老人大学専用というのが、増えるか。楽しみである。楽しみ。老人クラブというのも増えるなぁ。オトコの料理教室というのも増えるな。みんな楽しみじゃ。

 

結局、「手入れ」ということはそういうことなのである。

手入れの袋が増えることである。

高齢者生活を生き延びることのコツである。

 

じゃぁね~!

(^_^)ノ””””

 

 

 

 

 

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2月10日(火)のつぶやき その2

2015年02月11日 07時51分54秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

併し、單に門(カド)ぼめを「中門口(チユウモングチ)」の主體と見ることは出來ぬ

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

後世風に考へれば、「中門口」は寧、千秋萬歳の方に屬するものと見える

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

服裝・舞ひぶりは勿論だが、此「中門口」に到つては、殊に著しい

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

田樂法師と千秋萬歳法師との間には、どちらから影響したか問題であるが、類似が澤山ある

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

田樂師(デンガクシ)の演奏種目の中、古くからあつて、今に傳へて居る重要な「中門口(チユウモングチ)」と言ふのは、此「門入り」の儀の藝術化したものなのであつた

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

武家の時代になると、中門が塀重門と名稱・構造を變へて來たが、尚、普通には、母屋の前庭に出る門を中門(チユウモン)と稱へて來た

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

平安中期以後の家屋は皆此樣式で、極めて尊い訪客は、中門から車を牽き入れて、寢殿の階に轅を卸すことが許されて居た

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かくて貴族の家々に中門(チユウモン)の構造が必須條件となり、中門廊に宿直人(トノヰビト)を置いて、主人の居處を守ることになる

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此神人――中臣・齋部の官人を尊者と稱することはせなかつたけれど、祓へをすました後、事に與つた人々は、それ/″\饗應せられて別れる定めであつた

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

大殿祭の日の明け方、神人たち群行(グンギヤウ)して延政門に訪れ、門の開かれるを待つて、宮廷の巫女なる御巫(ミカムコ)等を隨へて、主上日常起居の殿舍を祓うて※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)るのであつた

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尊者の「門入り」の今一つ古い式は、平安の宮廷に遺つて居た

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他の列座の客人・宴席の飾り物・食膳の樣子・酒席の餘興などの起原に就ては、自ら説明する機會があるであらう

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だから、尊者は、饗宴の唯一の對象であり、中心であつた

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

後世、饗宴の風、其宴席の爲に正客を設け、名望ある長老を迎へる事を誇りとする樣になつたが、古代には尊者の爲の饗宴であつて、饗宴の爲の正客ではなかつたのである

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後に言ふ朝覲行幸・おめでたごとと同じ系統の壻入りをうちゃげ(宛て字宇茶下(ウチヤゲ))と美濃國で稱へてゐたと言ふのは、疑ひもなく拍上(ウタ)げである

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其が饗宴全體を現し、遂には饗宴の主要部と考へられる樣になつた酒宴を示す樣に移つて來たものと思はれる

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併し、宴はじまつて後の手拍子を斥(サ)すのでなく、宴に先だつての禮拜を言ふ語であつたのである

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うたげは「拍ち上げ」の融合なることは、まづ疑ひはない

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

CiNii 論文?-? 『看聞日記』における病と死(1) ci.nii.ac.jp/naid/110004302… #CiNii

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

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2月10日(火)のつぶやき その1

2015年02月11日 07時51分53秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

「説明されればわかるだけの能力がオレには、アタシにはある?」

説明されればわかるということがよく言われるようになってきた。世間では、説明責任が流行している。特にお偉いさ... goo.gl/7AhYAi


Facebookのアルバム「オトコの料理講座 平成27年2月10日(火)」に写真を5枚アップロードしました fb.me/3pbUU1ia0


13:25帰ってきました。

ケガ無く帰ってきました。

それがなによりであります。

痛い思いはしたくなかったので。

全部で21名。高齢者ばかり。

むろん男子ばかり。 goo.gl/ipCOqg


世界の製造業 「拠点」が中国からベトナムに?=中国メディア - Infoseek ニュース fb.me/7hfQtSjYc


此等の民謠は、新甞の夜の民間傳承が信仰的色彩を失ひ始めた頃に、民謠特有の戀愛情趣にとりなして、其樣子を潤色したのである

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家人の外に避けて居るのは、神の來訪あるが爲である

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處女であることも、主婦であることもあつたであらう

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にへする夜の物忌みに、家人は出拂うて、特定の女だけが殘つて居る

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羽前庄内邊で「にはない行(ギヤウ)(?)」と言ふのは、新甞の牲(ニヘ)と見るより寧、にへなみの方に近い

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鳥取地方には、今も「刈り上げ祝ひ」の若衆の宴をにへと稱へて居る

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大甞(オホムベ)は大新甞、相甞(アヒムベ)は相新甞で、なめが獨立して居ないことは、おほなめ・あひなめと正確に發音した文獻のないことからも知れる

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此宛て字を信じるとすれば、なめといふ語の含蓄は、極めて深いものとせなければならぬ

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此行事に關した物忌みが、にへのいみ、即にふなみ・にひなめと稱せられて、新甞と言ふ民間語原説を古くから持つて居る

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にへは神及び神なる人の天子の食物の總稱なる「贄(ニヘ)」と一つ語であつて、刈り上げの穀物を供(クウ)ずる所作をこめて表す方に分化してゐる

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此二首の東歌(萬葉集卷十四)は、東國の「刈り上げ祭り」の夜の樣を傳へてゐるのである

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にふなみに、我が夫(セ)を行(ヤ)りて、齋(イハ)ふ此戸を

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此家の戸(ト)押(オソ)ふる

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にほどりの葛飾早稻(カツシカワセ)をにへすとも、彼(ソ)の可愛(カナ)しきを外(ト)に立てめやも

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奈良朝或は其以前に溯つても、實際の民俗にも、其傳説化した物語にも、同樣の風のあつたのがありありと見られる

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何故、此樣に「門入り」の式を問題にしたものであらうか

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此が門ぼめの形式に移つて行つたので、寧、庭中・屋内のほめの儀が重んぜられて居たものと見るべきである

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ともかくも、尊者系統の訪れ人が、中門におとなふ民間傳承から出たものに相違はないと思ふ

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

くちを、今も「語り」の意に使うてゐる所から見ると、「中門口」の動作と言ふよりも、中門での語りを意味すると見る方が、聊かでも眞實に近い樣だ

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/