と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

職員数2000名だって!

2015年02月13日 09時15分39秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

私も、これからその病院に行く

 

 

昨日、ふるさと歴史講座というのに参加させていただいていた。都合七回くらいある講座である。居住地の歴史を教えていただく講座で、楽しみにしていた。昨日が最終回であった。全部出席させていただいた。皆勤である。皆勤。皆勤賞をもらいたいくらいである。誰もくれないだろうけれども。

そもそも講座の存在は昔から知っていたのだが、平日にあるので、現役で仕事をしていたときはなかなか参加出来なかった。退職したら参加しようと思っていたので、最終回まで参加できたことに満足している。講師は、松井安俊先生である。郷土史家で、大家である。尊敬している方である。80歳を過ぎられても、まだまだかくしゃくたるものである。頭脳の冴えがあるから、非常に印象として若い。エネルギッシュである。見習いたい先生である。

明日、千葉市でまた先生の講演を拝聴する。千葉県郷土史研究連絡協議会の会である。文化講座というのである。千葉パルコの道を挟んだ前にある千葉市文化センターというところである。その後に、さらに古文書講座がある。上級編であるから、かなり難しい。しかし、チャレンジしよう。爺になっても、楽しいものは楽しいからだ。それに、居住地で初級の古文書講座にも参加させていただいている。土佐日記である。こっちも楽しい、楽しい。完全に趣味だから楽しいのである。まったくこんな老後が待っているとは、予想もしなかった。

で、松井先生である。先生は居住地にある巨大病院の確か審議委員とか言った役職もされている。この病院は、何度も拙ブログで取り上げてきたが、日本一を通り越して東洋一である。なにしろ大きい。東大系の優秀な医師がそろっていて、設備・施設も実にすばらしい。公的病院だから、安心でもある。

いや、話はそんなことではない。昨日、松井先生が講座の中でふともらした言葉が実に印象的であったからだ。「病院には、2000名の職員が働いている」と言われたのだ。大きいとは思っていたが、これほどとは思わなかった。「看護師だけでも800名」とつぶやいておられた。「正確には798名・・・」と言われたような気がする。ここんとこだけ、ボールペンを落っことしてしまったからだ。えっ!となったからだ。

私もお世話になっている病院である。実は、これから再検査で行くのだけれども。11月に入院してお世話になってから35日に一回呼ばれるのである。

おそらく、生涯お世話になるだろう。死ぬときは、この病院である。私のデータが、それこそこの巨大病院のビッグデータとして記録されているから、おろそかにはできない。人間ドックもお世話になっていた時があるから、そのデータも入っているらしい。らしいというのは、ドクターがその時のデータを知っているからである。恐ろしい程の、正確さである。なんでも知っている。ドクターではない。ビッグデータがである。

マイッタね。まったく、マイッタ。こんな案配だと、私の死ぬときももしかしたら知っているのかもしれないですなぁ~。そんときは、死ぬしか無い。(^-^)/

 

 

老人問題とか、高齢者問題とかマスコミでよく言われる。

東京の巨大団地で、高齢者しかいなくなったとか天下のNHKでも放送される。これ、修士をとったときの大学の「老年学」というのでもやったことがある。教授が書かれたテキストをベースに、高齢者問題を扱っておられた。それはそれでなかなか勉強になった。

5通くらいレポートを書いて提出した。高齢者問題ということについてである。

今、まさに私は高齢者になった。予備軍から、高齢該当者である。

で、思うことがある。

それは「そもそも年をとるとはどういうことか」ということである。

身体の部品が壊れてしまうということなのか?

ちょっと違うような気がする。

自動車と同じか?

これもまた違うような気がする。医師ではないので、正確な知識はないが、経験上違うような気がする。心臓が部品であったとしたら修理して取り替えれば、いいのか。そもそも生物学的には、どうなのだろうか?

よくわからない分野であるから、黙っていることにする。しかしである。乏しい知識で考えても、細胞レベル、あるいは遺伝子レベルで部品が壊れるというのはあり得るのであろうか。

なんてことを考えていたら、「遺伝子は永続するが個体は壊れる」と書いてあった書籍を思い出した。なんの本だったか忘れてしまった。読書カードを見ていたら、そんなことがメモしてあったからだが、杜撰な性悪爺だから忘れてしまった。

なるほど、そうなんだ。

個体は壊れるが、遺伝子は永続するってかぁ~。

ならば私でもわかる。

個体が壊れるから、生殖細胞をつくり、子どもを残していくのだという。妙に納得した。

個体とは遺伝子の運搬手段にすぎない。だから、死んじゃうのである。もう賞味期限がすぎたということなのだ。お役御免である。さよならである。去らねばならないのだ。そうなったら。

いくらジタバタしたって、50年後に私が生きているということはない。

還暦を過ぎたのである。それが、50年後にかくしゃくとして生きていたら妖怪である。今の高齢者は全員いなくなる。

昔から、日本社会は高齢化社会であったのだ。田舎に行けば行くほどそれがよくわかる。昔から、田舎には爺も婆もたくさんいたのである。深沢七郎はそのあたりを、あの冴え渡る文章で描いたのだ。だから私は、深沢七郎が大好きなのであるが。

つまり、高齢者問題というのは、都会に住んでいる人々が初めて知ったことで「高齢化が都市に及んだ」というだけなのだ。そういう視点が都会人には無かったということである。まさか、利益追求だけをしてきたオノレが、爺や婆になるとは想定していなかったからである。

多摩のほうにある巨大団地なぞ、若い夫婦と子どもたちという設定しかなかったのではないのかと、ふと思う時があるからである。

都市に高齢化が押し寄せてきたから、初めてジャーナリズムが騒いだだけである。

ジャーナリズムもまた都市に住んでいる方々のつくり上げた分野であるからだ。

高齢化問題というのは、結局「待つ」しかない。50年後に、みんないなくなってしまう。みんなである。みんな。

 

さ、私も、これから病院に行く。血圧と、血液検査をしてくる。あまりにも巨大過ぎて、患者がたくさんおられる。途中帰ってきて、お昼を家でいただいて、それからまた行く。会計があるからだ。薬ももらってくる。その代金も払う。

巨大病院も、待っているしかない。「待つ」という姿勢は、この病院から教えてもらったような気がする。

 

じゃぁ~。そろそろ出かけます。

 

(^_^)ノ””””

 

 

 

 

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2月12日(木)のつぶやき その2

2015年02月13日 08時49分31秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

ツァラトゥストラの弟子たちは、別れのしるしとして彼に一本の杖を贈呈したが、その杖の金の握りには、図柄として一匹の蛇が太陽に巻きついていた。ツァラトゥストラはこの杖を喜んで、それに身を支えた。-ツァラトゥストラ-※ギリシャ神話の医神アスクレーピオスの持つ杖(医師・医術の象徴)に類似

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

[私が提出する]問題は、価値のより高い者、より生きるに値する者、未来をより確保する者として、如何なる型の人間を育成すべきか、意欲すべきか、ということである。-反キリスト-

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

「精神」という我々が用いている概念、我々の文化概念は、イエスが生きている世界においては全く意味を成さない。-反キリスト-

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

罪と罰の概念、「道徳的世界秩序」と呼ばれるものの全体は、科学を敵と目して編み出されたものである、――僧侶からの人間の解放を敵と目して発明されたものである。-反キリスト-

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

私を大いに信頼してくれていた小さな大学に損害をかけてしまった私は、その損害に酷く心を痛め、結局、私は――いつもその都度色々と顧慮した結果、念頭に浮かんでくるような決心、――そうした決心へと追い込まれることになりましょう。(リヒャルト・ヴァーグナー宛の手紙1872年11月中旬)

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極北の民:古代ギリシア人たちにその存在を信じられていた、遥か北方の地帯に居住する種族で、Hyperboreoi(「北風boreasの彼方の住民」の意)のこと。四時光明に輝く白昼の国で、気候温和、人々は正義を愛し、平和を守り、常にアポロン神を讃える頌歌の声に満ちる、と言われた。

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我、汝らにかく忠告する、我が友たちよ、処罰しようとする衝動が強大であるような、一切の者どもを信用するな!これは劣悪な種族と血統の徒輩である。彼らの顔つきには、死刑執行人の、また探偵の気配が現れている。-ツァラトゥストラ-

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精神性の最上の諸価値は罪深いものであり、人を惑わすものであり、誘惑であると感じるように説き聴かせることによって、キリスト教は、最強度の精神力に恵まれた人々の理性をも破壊してしまった。-反キリスト-

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【公演情報】
「自主公演 法政能」
2015年3月28日(土)13時開演
於 靖國神社能楽堂
番組 能〈巻絹〉、舞囃子〈田村〉、ほか仕舞多数 pic.twitter.com/4x3hn08pWM

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2月12日(木)のつぶやき その1

2015年02月13日 08時49分30秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

加上説というのにはマイッタ

現在流布している学問というモノは、以前あった考え方というもの、あるいは説というものに加えてい... blog.goo.ne.jp/tym943/e/692dc…


日本三大奇祭の一つ「黒石寺蘇民祭」 goo.gl/86wgUB


「それでも前へ進む」(伊集院静)の項をめくる。
著者のエッセイを読む度に上手く書くものだな、と感心する。
そして、著者の歩んできた人生をうらやましく思う。
自分はいつまでも未熟なままで、
人を思いやることができない。
電車に乗り、どこまでも窓の外を眺めていたくなった。

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伊集院静さん著『それでも前へ進む』読了。悲しいこと、苦しいこと、理不尽。これらが人生を深く、強くする。だから、前に進もう?

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裁判所は12日中にすべての罪状について量刑を決定する見込み⇒大韓航空「ナッツリターン」事件、前副社長に有罪判決
on.wsj.com/1B0WDxp pic.twitter.com/BgTjagHOp6

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誤った因果性の概念、継起と結果の概念の混同。[…]クサ・カフェル族の王は漂着した錨の一部を取り外した。そして、その後間もなくして死んだ。それ以後、全てのカフェル人は、錨を生命ある存在とみなして、彼らは錨に近づいた時には即座に恭しく錨に敬意を表している。-ギリシア人の祭祀-

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人は女を深いと思っている。-何故か?女を相手にすると決して底を踏めないからである。女というのは、まだ浅いというまでにも至っていないのだ。-偶像の黄昏-

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大いなる正午とは、人間が自分の軌道の真ん中にあって、動物と超人との中間に立ち、自分が歩み行くべき夕暮れへの道を自分の最高の希望として祝う時である。というのは、それは或る新しい朝への道だからだ。-ツァラトゥストラ-

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復讐の耽溺。――がさつな人々は、侮辱されたと感じると、侮辱の度合いをできるだけ酷く受け取ったり、強く誇張した言葉でその原因を話して聞かせたりするものだ。それは、ひとたび目覚めさせられた憎悪感や復讐感にすっかり耽り尽くしてそれを卒業しえんがためにすぎない。-人間的、あまりに人間的-

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女が男の徳を持っていると、男の方で逃げ出したくなる。そして女が男の徳を持っていないと、女の方が自ら逃げ出してしまう。-偶像の黄昏-

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罪と罰の概念、「道徳的世界秩序」と呼ばれるものの全体は、科学を敵と目して編み出されたものである、――僧侶からの人間の解放を敵と目して発明されたものである。-反キリスト-

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大いなる健康。我ら新しい者、名のない者、理解され難い者、まだはっきりしない未来の早生児たる我々――我々は新しい目的のために、新しい手段をも必要とする。即ち新しい健康を、これまでのあらゆる健康にもまさって強壮な・才気縦横な・しなやかな・大胆な・活き活きした健康を。-悦ばしき知識-

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真理の敵。――諸々の信念は、嘘よりも危険な真理の敵だ。-人間的、あまりに人間的-

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偶像を崇拝するくらいなら、少しばかり歯をガチガチさせる方がマシだ!それが我が性質の望むところだ。-ツァラトゥストラ-
tinymsg.appspot.com/j0T1 ←『マタイによる福音書』「盛大な婚礼の譬」22章11-14節

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神は権力への意志の発展における一点であり、この一点から、それ以前の発展、そこまでの発展と同じく、それ以後の発展も説明されるであろう。-権力への意志-

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雪嵐の中で視界を失い道に迷って、自分の小屋の小口を去ること数フィートに過ぎぬ雪の吹き溜まりのなかで非業の死を遂げる哀れな羊飼いの運命は、人間の状態の一つの象徴である。(エマーソン『エッセー』)

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実直なる車夫諸君、諸君の上に祝福あれ、
常に「長ければ長いほど気に入る」性分にして、
その頭と膝は硬ばりゆく一方、
感激なく、諧謔なく、
不壊金剛の凡庸ぶりにして、
天才ナク、且ツ才気ナシ(sans génie et sans esprit)! -ダーウィンの弟子たちに寄す-

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自分の同情の上に、更に一つの高みを持たないような、全ての愛する者たちは、災いなるかな!
かつて悪魔が我に向かって次の如くに語った。「神もその地獄を持っている。それは人間たちに対する神の愛だ。」-ツァラトゥストラ- ow.ly/6OXEg

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諸々の大きな恩義は、それを受けた者に感謝の念を抱かせないで、復讐心を燃え立たせる。-ツァラトゥストラ- 私達は決して与える者を赦さない。私達に食物を与える手は噛まれる危険を免れない。(エマーソン『エッセー』)

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俺達は無限の虚無の中を彷徨するように彷徨っていくのではないか?寂寞とした虚空が俺達に息を吹き付けてくるのではないか?いよいよ冷たくなっていくのでないか?たえず夜が、ますます深い夜がやってくるのでないか?白昼に提燈をつけなければならないのでないか?-悦ばしき知識-

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我々は目覚めている時でも、夢見ている時と同じ事をやる。つまり我々は、我々と付き合う人間をまず創作し、でっちあげる、そしてすぐこれを忘れてしまう。-善悪の彼岸-

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君は一緒に行きたいと思うか?それとも先頭に立って行きたいと思うか?或いは自分ひとりで行きたいと思うか?…人は自分が何をしたいと思っているかを知っていなくてはならないし、また何かをしたいのだということを、知っていなくてはならない。第四の良心の問題。-偶像の黄昏-

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パーントゥプナハ 2013 逃げるお巡りさん

2015年02月13日 07時22分11秒 | 民俗与太話にムチュウ

パーントゥプナハ 2013 逃げるお巡りさん

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【恐怖の奇祭】宮古島のパーントゥ・プナハ映像

2015年02月13日 07時20分40秒 | 民俗与太話にムチュウ

【恐怖の奇祭】宮古島のパーントゥ・プナハ映像

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/