団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

「羆霧(くまぎり)」
「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
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「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「懐石料理の起源」について考える

2011-11-20 06:06:35 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

本日より3日間は、「懐石料理の起源」、「懐石料理の作法」、「会席料理の起源」について書いてみたいと思います。

古くから、寺院では、獣肉、魚、鳥をさけた料理がつくられてはいましたが、「精進料理」として確立を見たのは、鎌倉時代の禅宗においてでした。

これには、道元禅師の功績も大きかったのです。

どうげん〔ダウゲン〕【道元】

12001253]鎌倉前期の禅僧。京都の人。日本曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。諱(いみな)は希玄。比叡山で修学し、のち入宋して天童如浄の法を嗣()いだ。帰国後、建仁寺に住し、京都に興聖寺を、さらに波多野義重の請により越前に永平寺を開いた。勅諡号(ちょくしごう)、仏性伝東国師・承陽大師。著「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」「普勧坐禅儀」「学道用心集」など。

大辞泉

この料理は、禅宗とともに、中国から輸入されたものであったが、その禅宗とともに、日本的なものとなりました。

Photo_2

懐石とは、「懐(ふところ)に石を抱く」という意味です。懐石料理は文字通りの事に起源があります。それは、修行中の禅僧に由来します。

もともと修行中の禅僧の食事は、午前中に一度だけと決められていました。そのため当然夜になるとお腹が空き、体温が下がってきます。そこで、「温石(おんじゃく」)温めた石を懐に抱いて飢えや寒さをしのいでいたのです。

これから、懐石(かいせき )と申せば、禅僧を指した。また、「懐石」という言葉は、「わずかながら空腹を満たし、身体を温める質素な食べ物」を意味するようになりました。

禅宗には、「薬石」という言葉があります。「薬石」とは厳しい戒律で修行僧が空腹に耐え切れぬ夜に食べる事を許された「お粥」の事です。

Photo_4  その後の安土桃山時代に茶道と禅宗が結びつき茶道が確立していきました。その中で茶道の創始者である「千利休」が禅料理の精神をさらに追求し茶道に取り入れ、狭い茶室でも簡単に食べることができる「懐石料理」を完成させました。

懐石料理とは、日本古来の「一汁三菜(いちじゅうさんさい)」という食法を基本にした料理で、通常は茶の湯の席でお茶をいただく前に出されるものです。

いちじゅう‐さんさい【一汁三菜】

日本料理の献立の一。汁一品に膾(なます)・平皿(ひらざら)・焼き物の三品を添えたもの。

大辞泉

Photo_3

一汁三菜をもう少し詳しくいうと、ご飯、お吸い物(一汁)、菜三品、香の物(漬物)を基本とした献立の事です。汁とは味噌汁の事を指し、菜三品とは膾(なます:生魚を切り刻み酢で味付けしたもの)・煮物・焼き物の三種を指します。

茶会の席上で空腹のまま刺激の強い茶を飲むことを避け、茶をおいしく味わう上で差し支えのない程度の和食コース料理を指しています。

また、料亭や割烹などの日本食を扱う料理店で懐石料理を提供するところが増え、茶事における懐石を特に「茶懐石」と表わして区別することもあります。

懐石料理には、「旬の食材」「素材の持ち味を活かす」「親切心や心配りをもった調理」という三つの大原則があります。この原則にも「千利休」の「侘びの思想」が色濃く反映しています。

わび【侘び】

《動詞「わ(侘)びる」の連用形から》 茶道・俳諧などにおける美的理念の一。簡素の中に見いだされる清澄・閑寂な趣。中世以降に形成された美意識で、特に茶の湯で重視された。(さび) 閑寂な生活を楽しむこと。 思いわずらうこと。悲嘆にくれること。

大辞泉

 「懐石料理」というと、高級な日本料理のイメージがありますが、けっしてそうではないのです。

禅僧の「精進料理」に端を発し、「千利休」の侘びの心を持って完成された質素な料理なのです。

Photo 

したっけ。

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「正座という座り方」について考える

2011-11-19 10:25:11 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

正座」は一般的な生活のなかでは文字通り「正しい座り方」だと思っている方が多いと思います。

Photo_3 正座は、古くから日本人の正しい座り方として普及していたものではないそうです。

かつて日本人は時代や身分、着ている物、座る床によって「胡坐(あぐら)」、「立膝(たてひざ)」、「横座り」など様々な座り方をしていました。そして、各々正しい座り方として普及していたそうです。

「胡坐」は、現在では男性の座り方という印象が強いですが、平安・鎌倉時代には宮廷につかえていた女官たちも胡坐をかいていたそうです。その後、1467(応仁1)年から11年間続いた「応仁の乱」以降、社会全体が疲弊、衣料も欠乏し(ついでに儀式のやり方も忘れられた)男性も女性も「袴(はかま)」を穿かなくなります

男性は正式な場所への外出は袴を着用したが、女性は町方・武家ともに着流し状態になります。そのような服装の変化から胡坐をかくと秘部があらわになる危険が生じたため、女性の間では正座が広まったそうです

「正座」は芸道・武道の分野では作法の祖形、身体訓練の出発点だそうです。この座り方は同一姿勢を維持することで腹筋と背筋を鍛え、また肩の力を抜いてゆっくり呼吸すれば、精神を統一し、心に平静さを与えてくれるといわれています。

よく、罰として「正座」をさせられることがありますが、「精神統一」などの意味があったのです。

今で言う正座の姿勢は本来「かしこま・る(畏まる)」と呼ばれ、神前・仏前や茶室での儀式的な場面で用いられ、また主君に対して家臣がかしこまる姿でした。

かしこま・る【畏まる】

[動ラ五(四)]1 身分の高い人、目上の人の前などで、おそれ敬う気持ちを表して謹んだ態度をとる。「陛下の御前に・る」「・ってあいさつする」2 謹みの気持ちを表し堅苦しく姿勢を正して座る。正座する。

大辞泉

Photo_4 そんな一部の場面でしか用いられなかった正座は、いつ頃一般に普及し始めたのでしょうか。はっきりとはわかっていませんが、寄生虫学や脚気の研究で貢献した医学博士・「入澤達吉(いりさわたつきち:1865-1938)」の論文「日本人の坐り方に就いて」(史学雑誌第三十一編第八号 1920)によると江戸時代の元禄享保頃(16881736)に広まったと推測されています。浮世絵などには胡坐をかく美人画もあります。

その後、明治時代の学校の教科書には正しい座り方として掲載され、推奨されていたようです。

1889年(明治22年)に出版された辞書『言海』にも「正座」という言葉が出ていないことから、「正座」という観念は明治以降、ごく最近に生まれたと考えられています。

昭和中期まで、一般家庭の家には畳が敷かれ、卓袱台(ちゃぶだい)、文机(ふづくえ)がありました。日本人は頻繁に正座する環境に生活していたのです。

私も子どもの頃は、「正座」をして食事をしていました。

しかし現在は、西洋文化の浸透により椅子に座ることが多くなったため、正座をする機会は少なくなってきています。

Photo_5 正座は、長時間続けると疲れるものだと思っている方が多いようですが、足の親指を少し重ね、かかとに尻をのせず外側に向け足裏を自然に寝かせる感じにすることで、しびれが多少回避できるといわれます。

弓術・馬術などの一派で、その礼儀作法が明治初期の学校教育にも採用された「小笠原流」では正座の正しい座り方を提唱しています。それによると正座をすることで、体全体の筋肉が緊張し、脳に刺激を与えて頭の回転がよくなるそうです。

どうですか、正座をして脳に刺激を与えてみませんか?

Photo_2

したっけ。

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「座布団の起源と作法」について考える

2011-11-18 10:17:49 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

「座布団」は現在でも和室での作法の1つとして、古くからの伝統が残っています。

現在の住宅で日常的に使われる座布団には、中身とカバーが別物として存在しています。和室であれ洋室であれ、部屋の雰囲気に合わせた外観のものが使い分けられています。

「座布団」は、クッションとしての役割はもちろん、和室での作法の1つとして重要な役割を果たしています。

Photo_2 座布団は畳に由来します。元々、畳の上に「(しとね)」を敷いていました。茵とは、薄畳に布の縁をつけた正方形の敷物で、位の高い貴族が使用していPhoto_3 ました。これと、社寺などで使われていた「円座(えんざ)」が合わさって、現在の座布団へと発展しました。円座とは、ワラやイ草をうずまき状に編んだ敷物のことです。

鎌倉時代になると、綿の輸入の再開と、生産技術の向上により、側地に布を使うようになり、江戸中期頃には記事の中に綿を入れたほぼ現在の形になりました。しかし庶民に普及したのは、大正時代になってからのことです。

もともと、位の高い貴族が使用していたことから、「座布団」は、相手を敬いもてなすという意味を持ちます

Photo_4 あらかじめ来客用に相手に座布団を敷いておく場合にも、向きや、裏表を間違えると失礼に当たります。また、座布団を出されたときの作法も重要で、相手の好意を踏みにじらないように行う必要があります。

座布団は、四方の内、一方だけ縫い目の無い向きが正面です。また、中綴じの所で、糸の房が出ているほうが表になります。

訪問先で、和室に通された場合は、座布団に勝手に座ってはいけません。畳に座って待つか、案内人に進められた席の座布団に座ります。このとき、足の裏ではなく、膝から乗って正座をします。

案内された時にすすめられた場合には、「失礼します」と会釈をして座布団に上がって構いませんが、先方が来られて挨拶する時には座布団を下りて行います。

案内時に何も言われない場合には、座布団の横(下座側)または後ろに座って待ちましょう。 

座布団の横(下座側)または後ろに、爪先を立てて膝をつく姿勢になり、軽く握った両手で体を支えるようにしながらにじり上がります。爪先を立てて膝をつく姿勢を跪座(きざ)といいます。

座布団から下りるときも、同じようににじり下がります。

いずれの場合も座布団を足の裏で踏まないのが作法だそうです。

Photo

したっけ。

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初雪が降りました2011.11.17

2011-11-17 13:39:30 | ニュース

20111117

夕べ遅く、初雪が降りました。去年より4日早い初雪です。

粉をまいたほどです。

すぐに融けてしまいました。

本格的な雪はまだまだ先のようです。

したっけ。

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「温泉は、熱めがすき?ぬるめがすき?」OCNブログ人投票箱:今週のお題

2011-11-17 09:20:12 | トラ場(ブログ人投票箱)

寒くなってくると、温泉が恋しくなる方も多いのではないでしょうか。

さて、温泉といえば、場所や源泉によって、温度がまちまちだったりします。

熱めがすき、ぬるめが好き、それぞれ好みがあるかと思います。

そんな熱い想い、ぬるい想いを、ぜひお聞かせください。

いやいやいや・・・。こういう質問は大好きだよ。突っ込みどころ満載じゃないですか。

『あたたかい温泉は、心までぽかぽかにしてくれます。』って言っておきながら、「ぬるい想い」って何だよ。文章が矛盾してるじゃないですか。大体「想い」って漢字は「イメージ」の意味に使うんですよ。この場合は「思い」のほうがいいと思うよ。

それに、「熱い思い」って言葉は聞いたことがあるが、「ぬるい思い」って言葉は聞いたことがない

ま、温泉に洒落てみたんだろうからいいとするか

『熱めがすき、ぬるめが好き、それぞれ好みがあるかと思います。』

そうだよ。好みはありますよ。「熱め」ってことは、「好みより熱いってこと」だろ。「ぬるめ」ってことは、「好みよりぬるいってこと」だ。だったら、「熱め」も「ぬるめ」も好みじゃないってことになる。

ちょうどいいのが好みだって言ったらどうする

酒の燗じゃないんだ、ぬるめも熱めもないんじゃないか・・・。

それと、『熱めがすき、ぬるめが好き』。どうして熱めのほうは、漢字の「好き」じゃなくて、ぬるめだけ漢字なんですか。

こういうのを、「言葉尻を捉えて揚げ足を取る」といいます。

()げ足(あし)を取・る

《技を掛けようとした相手の足を取って倒すところから》人の言いまちがいや言葉じりをとらえて非難したり、からかったりする。

大辞泉

ダメだよ、子どもは真似しちゃ・・・。

ちなみに、うちの風呂の温度設定は42だよ。これは、熱めでしょうか?

したっけ。



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「緑茶、ウーロン茶、紅茶の違い」について考える

2011-11-16 10:22:23 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

お茶を飲むのは日本人だけではないことは、誰でも知っています。世界各地で喫茶の習慣があります。

中国人は4000年も前からお茶を飲んでいたとされ、喫茶の元祖とも言われています。

中国から、製法も飲み方も教わって、独自のお茶を作り出したのが日本人です。遣唐使が往来していた奈良・平安時代に、最澄(さいちょう)、空海(くうかい)、永忠(えいちゅう)などの留学僧が、唐よりお茶の種子を持ち帰ったのが、わが国のお茶の始まりとされています。

また、ヨーロッパでは300年ほど前に、お茶を発見したそうです。特にイギリス人は、1800年代にインド東部のアッサム地方で発見された現在の「アッサム茶」を知ってからというもの「五時のお茶」という優雅な習慣を生み出したほど紅茶好きだそうです。

Photo_2茶葉の発酵の度合いによって、様々なお茶になります。

もともとは同じ「お茶の樹」の葉からつくられています。3種類の違いはつくり方です。

発酵させてつくるのがウーロン茶と紅茶です。ここでいう発酵は、皮をむいたリンゴが茶色に変色していくのと同じ、酸化の一種です。

ウーロン茶は発酵を途中で止め紅茶は完全に発酵させてつくります。それに対し、緑茶はまったく発酵させずにつくるところが大きな違いといえます。

全発酵させたお茶(紅茶)は葉の色が黒っぽく変わります。そこで、この葉の色から西洋では紅茶のことを「ブラックティーblacktea:黒茶)」というそうです。

紅いお茶だと思っているのは、日本と中国だけで「紅茶」は万国共通の名称ではありません。

「緑茶」は、その製造工程の初期段階(蒸熱)で酸化酵素の働きを止めるため、「カテキン類」の重合(いわゆる合体)はほとんど起こらず、カテキン類は減少しません。

じゅう‐ごう【重合】

[名](スル)一種類またはそれ以上の単位物質の分子が、二つ以上化学的に結合して、もとのものより分子の大きい化合物をつくること。付加重合・共重合・縮重合など。

大辞泉

Photo_3 それに対して中国茶(烏龍茶)や紅茶は、酸化酵素の働きにより、茶葉中の成分が変化し、独特の風味・香味が生まれます。また、カテキン類の重合が起こり、カテキン類は減少します。

紅茶やウーロン茶などの製造過程には発酵があり、このため茶葉に含まれるポリフェノールオキシダーゼの作用によりカテキンが酸化重合し、「テアフラビン」と「テアルビジン」が生成されます。

Photo_4 紅茶やウーロン茶には「テアフラビン」と「テアルビジン」の2種類の色素成分が含まれています。

テアルビジン」は紅茶やウーロン茶に含まれる渋味成分の1つで、抗酸化作用をもつポリフェノールのフラバノール類(カテキン類ともいう)に分類される橙赤色の色素成分です。テアフラビンには抗酸化、抗菌、高血圧脂肪吸収の抑制などの作用があります。

「テアフラビン類」は、紅茶の重要な水色成分です。紅茶からは現在4種類のテアフラビン類が分離されていて、紅茶に0.32%程度存在します。烏龍茶は発酵度合いが低いので、テアフラビン類は検出されたとしてもごくわずかしかありません。

テアルビジン類はテアフラビンと異なり、多くのカテキン類が重合したものです。

この重合ポリフェノール(合体ポリフェノール)の保健作用に関する研究は、まだ進行途上ですが、「カテキン」と同様に抗酸化作用抗菌作用を有することなどが解明されつつあります。

Photo_5 「緑茶」に含まれるポリフェノールの一種のカテキンやカフェインは、過剰になったヒスタミンを抑え、アレルギーや花粉症予防に働きます。

カテキンは緑茶独特の渋み成分のもとで、活性酸素を除去する働きに優れています。ですから、老化防止になるのです。

Photo

したっけ。

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「名刺が名紙でない理由」について考える

2011-11-15 06:57:09 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

 「名刺」は世界中で使われており、その歴史も各国独自で発展してきたようです。しかし、「名刺」は、何故「名紙」ではないのでしょう。

そもそも「名刺」の起源は中国だと言われています。すでに710世紀(唐の時代)の書物にも登場しているそうです。当時は訪問先が不在のときに「木や竹の札」に自分の名前を書き、戸口に刺して訪問したことを知らせていました

「名刺」という呼称は、その「木や竹の札」を「」と呼んでいたことに由来するそうです。

し【刺】

1 突き刺すもの。とげ。はり。2 なふだ。名刺。

大辞泉

他にも、官僚社会では地位のある人にお会いする際の取り次ぎとして用いたり、何かの正式な席に欠席しなければならない場合にも挨拶代わりに使用したりしたようです。

ヨーロッパで最初に「名刺」が使われたのは16世紀のドイツだと言われています。ドイツでも訪問先が不在だったときに、訪問したことを知らせるために自分の名前を書いたカードを残すという使われ方をしていたそうです。

Photo_2 どちらも、自分が訪問した足跡を残すために使われたのです。

その後18世紀には「名刺」はヨーロッパの社交界では欠かせないものとなります。当時はすでに形式や使い方のマナーもありました。この頃の名刺には華やかな図柄が入っており、特に銅版画を入れたのもが多かったようです。

また、19世紀の中頃には写真入り名刺が登場しています。フランスの写真家「アドルフ= ウジェーヌ・ディスデリ」が名刺サイズのポートレートを発明しました。この写真のサイズが57mm×82mmだったそうです。よって、現在もヨーロッパの名刺と日本の名刺は大体同じような大きさのようです。日本の名刺のサイズは91×55 mmが標準サイズです。

Photo_3 日本で名刺が使われ始めたのは江戸時代で、和紙に墨で名前を書いたものだったようです。当時の使い方は今とは違い、中国やドイツと同じで訪問先が不在の際に、戸口の隙間に挟んで来訪を知らせる目的で使われたそうです。

現代の形に近い印刷された(おそらく、一枚の木版で刷られた)名刺を使うようになったのは幕末開国(1860年代)の頃からだといわれています。自分の名前の上に紋所が入り、使い方も役人たちが外国人と接するために使うようになりました。明治時代(1868-1912)以降にはもっと盛んに使われるようになり、鹿鳴館時代(1851-1854)には日本の社交界でも必需品となりました。

その後、一般の人々の間でどう普及していったかはよくわかっていないそうです。

名刺交換はまず先に目下の人が目上の人に渡します。ただ、先方への訪問の際は、「お邪魔します」という意味を込めて訪問者が先に出します。

また訪問者の方が明らかに目上である場合は、訪問を受けた側が先に出します。

弔事で渡す場合は、右上に「弔」や「謹弔」と書き、左下の角を表側に折っておきます。慶事の場合、右上に「御祝」「御年賀」などと書き、左下角は折りません。

日本人は面倒くさいことを考えます。

「名刺」とは、「戸口に刺すもの」だったので「名紙」ではなく「名刺」だったのです。

Photo

したっけ。

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「打ち合せとは何を打つのか?」について考える

2011-11-14 07:58:29 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

物事の進行や段取りが順調にいくように、あらかじめ話し合っておくことを「打ち合せ」といいます。

2 Photo_2 Photo_3 「打ち合わせ」の言葉の始まりは平安時代までさかのぼります。宮廷では竹管を組み合わせた「笙(しょう)」、主要な旋律を奏でる「篳篥(ひちりき)」などの管楽器に加え、「琵琶(びわ)」などの弦楽器、「太鼓(たいこ)」、「鉦鼓(しょうこ)」、「鞨鼓(かっこ)」などの打楽器が演奏される雅楽が貴族たちの趣味として存在していました。どんな名手でも奏者が複数いる場合は事前に演奏してみないと本番で、うまくいきません。

Photo_4 「打ち合わせ」は、もともと雅楽の演奏に用いられた音楽用語なのです。 雅楽では、メロディーを演奏する笙(しょう)などの管楽器、太鼓などの打楽器(打ち物)が使われる。それらのリズムを合わせるために、「笏拍子(しゃくびょうし)」などの打ち物を打ってあらかじめ拍子を合せて合奏の練習をすることを「打ち合せ」といったそうです。

しゃく‐びょうし【笏拍子/尺拍子】

神楽(かぐら)や催馬楽(さいばら)などで用いる打楽器。長さ約36センチの笏を縦に二つに割ったもの。主唱者が両手に持って打ち合わせる。さくほうし

大辞泉

それが転じて、打ち合わせは「物事がうまく合うようにする」といった意味になり、さらに転じて、現在使われている意味になったのです。

うち‐あわせ〔‐あはせ〕【打(ち)合(わ)せ】

[名](スル)

1 前もって相談すること。下相談。「仕事のをする」

2 衣服の、前身頃(まえみごろ)の重なったりする部分。うちあい。「コートのが浅い」

3 雅楽で、打ち物だけの合奏。

4 地歌や箏曲(そうきょく)で、同一または類似した旋律を半拍または1拍ずつずらして合奏すること。また、同じ拍数の、別の2曲を合奏すること。

5 能で、両手を大きく左右に広げてから前ではたと打ち合わせる型。

6 物と物とがうまく合うようにすること。似合うこと。

「宮仕の極(きま)りがてら、すりこぎと聞こへしもとにの夫婦とはなりける」〈鶉衣・摺鉢伝〉

大辞泉

Photo

したっけ。

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「ごろつきの語源」について考える

2011-11-13 06:47:02 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

  「ごろつき」という言葉は聞いたこともあるし、意味も大体わかります。しかし、何故「ごろつき」なのでしょう。

 Photo_2 「ごろつき」は、動詞の「ごりつく」が名詞化したものだそうです。「ごろ」は「ごろごろ転がる」の意味で、「つく」は擬態語に付く接尾語だそうです。「うろうろ」が「うろつく」、「むかむか」が「むかつく」、「びくびく」が「びくつく」、「まごまご」が「まごつく」、「がさがさ」が「がさつく」などと同じです。

 「ごろつき」は江戸時代後期から使われ始めたようで、当時は住所や仕事が定まらず、他人の家を回って歩く者を蔑む言葉として用いられたようです。

 Photo_3 つまり、あっちへゴロゴロ、こっちへゴロゴロとして居所が定まらないということです。

 そのような人間は収入がありませんから、脅しやたかりをするものが多かったことから、成らず者、やくざ、無法者、悪漢、無頼漢などの意味を持つようになったようです。

 なお、漢字では「破落戸」と書きます。

 「破落戸」には、「落ちぶれた旧家。また、その弟子」の意味もあるそうです。

ごろ‐つき

一定の住所、職業を持たず、あちこちをうろついて、他人の弱味につけこんでゆすり、嫌がらせなどをする悪者。無頼漢。ごろ。◆ 「破落戸」とも書く。

大辞泉

 さらに、「ごろつき」は「雷」の別称でもあります。

 しかし、雷のように大きな声で脅すから「ごろつき」ではありません。

 ちなみに、「ヤクザ」の語源は花札の「カブ」に由来します。「8・9・3」の組み合わせが「20」になり「無得点」になるからだそうです。

 また、役に立たない。役が座っているから「役座(やくざ)」というものもありますが、眉唾物です。

Photo

したっけ。

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「ろくでなしの語源」について考える

2011-11-12 08:25:15 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

Photo_2 「双六(すごろく)」という遊びをご存知ですか。この「双六」は「賽子(さいころ)」を振って「上がり」を目指す遊びです。当然、一番大きな数の六の目が出て欲しいのですが、そうは簡単には出ません。

「六」が出て欲しいと祈りつつ賽子を振って、一の目が出たときなど、「この六でなし」と罵ったことに由来するという説があります。

つまり、「六」以外の「一、二、三、四、五」は「六でなし」だというのです。

また、他の説では、漢字で「陸でなし」と書き、「のらくらしていて役に立たない者をいう」言葉です。「碌でなし」と書くのは当て字で、元々は「陸(呉音・ロク)」と書いたのです。

「陸」とは、平らであることを表しているそうです、このことから、まっすぐで正しいことを意味しました。それを打ち消した表現が「陸(ろく)でなし」で、そこから「まともではない、性格が曲がった者」という意味となり、人を悪く言う言葉として用いられるようになったのです。

ちなみに、最初の説は後から出来た洒落であって、「陸でなし」が正しい説です。間違えて覚えないでください。

Photo

したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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