ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

かげろう絵図

2007-05-04 05:00:00 | 読書
先日の『ぼくらが惚れた時代小説』で私が読みたいと書いた本のうち山本一力さんがベスト1に選んでおられた松本清張著『かげろう絵図』を読みました。

時は徳川家斉の時代、ですから先述『大黒屋光太夫』と同じ時代です。
光太夫は帰国後、将軍家斉に拝謁していますが、当時家斉は未だ若かったらしい。

          

すでにこの本では家斉は68歳、それでも多喜という側女に懐妊させていた。
多喜と言う側女は家斉に特に好まれ、それまで寵愛されていたお美代の方の対抗意識は高まる一方であった。

家斉は多喜を優越させるため、花見を催し、そこで歌比べをさせるという。
和歌は多喜の得意とする所存であった。

ところが、その家斉の計略が裏目に・・・歌比べに勝った多喜に短冊を桜の木に吊るすよう命じたことが、多喜の足を踏み台から滑らせ、流産そして多喜自身も亡くなってしまう結果を見ることになってしまったのであった。

この踏み台を機転を利かせて用意したのが登美という下女であったが、踏み台には蝋が塗られてあり、事件後すばやく隠したものの、それをお庭番の久蔵というものに隠されてしまう。

登美はお美代の方の危機を救ったとして、大奥に出入りする女中になるが、それは登美自身が狙っていることであった。

ここまではホンの序です。

ここから大奥での権勢を我が物に引き続かせようとするお美代の方と手を組む中野石翁一派と、大奥が世の風紀を乱しているとする水野忠邦一派の対決となっていく。

勿論家斉の後の世継問題、お美代の方の実父=家斉の庇護のもと栄えた法華宗『日啓』の鼠山感応寺での風紀の乱れなども絡み、あら筋を説明するのは容易ではない。

この小説の主人公的存在は島田新之助という若者、この侍の活躍で石翁達は窮地に陥っていき、最終的には水野忠邦による『天保の改革』が実現するわけなのだが、松本清張は最後に新之助にこう言わせている。
『水野越前にしたところで、自分が石翁や林肥後の大屋台をひっくり返した気でいなさると大間違いだな。仕組みが変わるのは、人間ひとりの力じゃない。人間の力ではどうにもならぬ別の仕組みがひっくり返すのだ。仕組みと仕組みの喧嘩さ・・・』

確かに水野越前守は自らの性急な改革で失脚してしまうのだが、今の時代はなかなか権力の挿げ替えは起こらないなぁ。

しかし、天保の時代の話は多いですね。つい最近の『うそばっかり・えどのはなし』も天保の話、史料がたくさん残っているんでしょうね。