創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

トンカチ頭はカエル

2016-06-03 03:47:21 | Weblog

 おはようございます。先生稼業の人はトンカチ頭、頭の固い人が多いようです。特に学校の先生は井の中の蛙大海を知らず。その井の中で勝者になった校長はお化けガマガエル、自来也の乗り物かも。そうですね。長をカエルしかないのかも。さて昨日の続き。1000字への圧縮の挑戦をしましょう。4項目の素案を並べます。論旨は良さそうです。行数も良さそう、でも素人には分かりにくいかも。これでは上司はリジェクトか、はたまた落第か最低線の合格レベルかも。(笑)

「中村洋四郎、元富士通のシステム開発担当取締役は挑戦と努力と結果が好きでした。監修中村、著者小寺、編集鈴木の新刊本の発刊が間に合わず、お亡くなりになったのは残念でした。

 私は修士2年の夏、同級生3人と該社の川崎工場を見学しました。4人全員が開発思想に惚れ込み、就職を希望、該社と共同研究を始めました。でも、私だけは日立、東芝の共同研究に変更し、留学も可との東芝に志望変更しました。中村さんに出会ったのは断りに行った日、修了年の3月末、当時、中村さんは新任の課長でした。プレゼンが抜群でした。企業資源計画、ERPシステムの開発計画案、私は感銘しました。中村さんの課への配属を条件に、願書をその場で書きました。そして無事入社。新人研修も5月に終わり、約束通り、システム開発課に配属されました。驚いたことに、中村さんは所属員150人以上の課長でした。同期は30人以上、中村さんは雲の上の人でした。なお、彼の部下の時より、私は退社後もお付き合いをさせて頂きました。プレゼンは全て即興の創作と言われて、二人で大笑いしたことがありました。 

 私は奈良から柏に転勤し、念願の女子大非常勤講師をしました。教科書を書き、富士通の同級生に売り込みの電話をしました。中村さんが体調を壊し、現役から退いたと言われました。富士通高専の校長になり、暇ができ、面談しに来いと言われました。面談し、大学の新学科長と中村さんの奥様は同期同窓だったことをお伺いしました。当時富士通はメインフレームと専用線ネットワークにビジネスの基盤があり、行き詰っていたようです。中村さんは私に、情報通信技術市場の動向の本を書くように薦めてくれました。こうして師匠が監修、私が作者となり、自信作になりました。パソコン事情雑学事典の命名は売るためでした。本当は高度な狙いを持った本。この本は著者小寺の本としては珍しく売れました。中村さんが教科書にしてSEインターネット教育を開始したからでしょう。色々な物語が私と師匠の間にあるのです。

 UNIXは凡そ15年、その他25年近く、たくさんの失敗をしてきた私が、失敗にめげず、挑戦し続けている鈴木氏の、仕事をさせて頂いているのは宿命かもしれません。」

 今日はここまでにします。校正は最低線、簡単に済ませました。ブログですから、真剣度が違うようです。すみません。

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4項目以外切り捨て

2016-06-02 03:47:17 | Weblog

 おはようございます。

 要求条件は色々な立場からの願望をまとめて体系化しますが、ブログの記事ではお見せするのは大変です。1年から3年かけて、しかも組織として複数の人が担当します。今回の10項目ほどの思いついた箇条書きは直感で絞り込みます。

 試験用の小論では短時間に切り捨てるのが良いからです。試験時間内に分かりやすい文章を書くのが大事だからです。そう言えば、同じようなことを言う若手弁護士がいました。彼は友人に論述試験の合格の秘訣をボランティアで指導していたのです。

 10項目もあるといろいろストーリーができそうですが、それに応じて選択する項目は変わってきます。私は師匠との運命的な出会いを隠れた論旨にしたいようです。ですから下の4項目にしてみます。主題に沿って書きやすく絞り込むのが大事であり、合否で言えば何でも良いのです。

 ・栄養大学データベース論の教科書を高専校長になった中村師匠に一番に届けた

 ・大学の新学科長は中村師匠の奥さまの東大時代の同級生、私の先輩だった

 ・師匠は富士通高専の教科に本の内容の講義と、パソコン組み立てを導入した

 ・パソコン事情雑学事典を使い師匠は富士通SEインターネット教育を開始した

 私は奈良から柏に転勤し女子大の非常勤講師をしました。そのために教科書を書き、富士通の同級生に売り込みがてら、電話をしました。そのとき中村師匠が体調を壊し、現役から退いたことを知りました。定年まで富士通高専の校長でしたので時間もあり、面談を希望されました。師匠に会い、この教科書には奇跡の出会いがあったことを知りました。私の大学の新学科長は師匠の奥様の同期同窓生でした。師匠はこの本の内容に沿い、高専を運営されたようです。当時富士通はメインフレームと専用線ネットワークにビジネスの基盤があり、行き詰っていたようです。私にコンピュータ市場の今と動向を本にして欲しいと言われました。事実、インターネットに対する取り組みは遅れていました。師匠が監修し、私が作者で書くことになり、使いやすい教科書を目指し自信作ができました。編集者は売るためにパソコン事情雑学事典としました。高度な狙いの本が好き者向けの本になったよう、悲しい気がしました。このパソコン事情雑学事典は私の本の中のベストセラーです。富士通はこれを使い、SEインターネット教育を開始しました。あっという間にこの研修事業は利益率の高い事業になりました。色々な物語が私と師匠の間にありました。

 ざっと書くとこんなところになります。ここから400字の普通の文章はきつい作業です。さらに全体をつなげて1000字以下に仕上げるわけです。今日はここまでにします。

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中村洋四郎師匠の監修

2016-06-01 14:13:27 | Weblog

 こんにちは。

 今、バドから帰りお酒を美味しく飲めました。転寝し、お風呂に入り、休憩をかねてブログの記事を書き始めました。疲れると新しい記事を書いています。疲れが取れるように感じているからです。多分、好き勝手に他人を褒めたり腐したりできているから癒されるのでしょう。腐される人へ、ごめんなさい。(笑)

 さて本論です。3段落目の「本を中村洋四郎師匠と一緒に出版した」になりました。この話でもたくさんのことがありました。順にまず箇条書きします。

・栄養大学データベース論の教科書を高専校長になった中村師匠に一番に届けた

・大学の新学科長は中村師匠の奥さまの東大時代の同級生、私の先輩だった

・師匠は富士通高専の教科に本の内容の講義と、パソコン組み立てを導入した

・師匠はこの教科書が好きになり、新しい私の教科書の監修者をしたいと言った

・データベース論と市場情報論のためにまず2冊の本を書き、監修いただいた

・パソコン事情雑学事典を使い師匠は富士通SEインターネット教育を開始した

・師匠が新規事業企画の成功学を提案され、共同執筆原稿を大手出版社に提案した

・悲観的を理由に却下され、原稿を新規商品企画と新規事業の要件に分けた

・師匠が昔から付き合いのあった財団法人の出版部門からこの2冊を発刊した

・新規商品企画の成功学は栄養大学の教科書に使い、講義教科書の実績があった

・今すぐ新規事業を始めなさいは創造性開発と発揮の結論だったが売れなかった

・転職の多いSEのために、転職本の執筆を師匠に勧められ、出版した

 ざっと箇条書きしたらこんなものになりました。これら一つ一つに思い出があり、書きだすとどんどん増えてしまいそうです。400字程度に短くまとめるのは大変です。簡単にできそうもありません。今日はここまでにします。

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