おはようございます。先生稼業の人はトンカチ頭、頭の固い人が多いようです。特に学校の先生は井の中の蛙大海を知らず。その井の中で勝者になった校長はお化けガマガエル、自来也の乗り物かも。そうですね。長をカエルしかないのかも。さて昨日の続き。1000字への圧縮の挑戦をしましょう。4項目の素案を並べます。論旨は良さそうです。行数も良さそう、でも素人には分かりにくいかも。これでは上司はリジェクトか、はたまた落第か最低線の合格レベルかも。(笑)
「中村洋四郎、元富士通のシステム開発担当取締役は挑戦と努力と結果が好きでした。監修中村、著者小寺、編集鈴木の新刊本の発刊が間に合わず、お亡くなりになったのは残念でした。
私は修士2年の夏、同級生3人と該社の川崎工場を見学しました。4人全員が開発思想に惚れ込み、就職を希望、該社と共同研究を始めました。でも、私だけは日立、東芝の共同研究に変更し、留学も可との東芝に志望変更しました。中村さんに出会ったのは断りに行った日、修了年の3月末、当時、中村さんは新任の課長でした。プレゼンが抜群でした。企業資源計画、ERPシステムの開発計画案、私は感銘しました。中村さんの課への配属を条件に、願書をその場で書きました。そして無事入社。新人研修も5月に終わり、約束通り、システム開発課に配属されました。驚いたことに、中村さんは所属員150人以上の課長でした。同期は30人以上、中村さんは雲の上の人でした。なお、彼の部下の時より、私は退社後もお付き合いをさせて頂きました。プレゼンは全て即興の創作と言われて、二人で大笑いしたことがありました。
私は奈良から柏に転勤し、念願の女子大非常勤講師をしました。教科書を書き、富士通の同級生に売り込みの電話をしました。中村さんが体調を壊し、現役から退いたと言われました。富士通高専の校長になり、暇ができ、面談しに来いと言われました。面談し、大学の新学科長と中村さんの奥様は同期同窓だったことをお伺いしました。当時富士通はメインフレームと専用線ネットワークにビジネスの基盤があり、行き詰っていたようです。中村さんは私に、情報通信技術市場の動向の本を書くように薦めてくれました。こうして師匠が監修、私が作者となり、自信作になりました。パソコン事情雑学事典の命名は売るためでした。本当は高度な狙いを持った本。この本は著者小寺の本としては珍しく売れました。中村さんが教科書にしてSEインターネット教育を開始したからでしょう。色々な物語が私と師匠の間にあるのです。
UNIXは凡そ15年、その他25年近く、たくさんの失敗をしてきた私が、失敗にめげず、挑戦し続けている鈴木氏の、仕事をさせて頂いているのは宿命かもしれません。」
今日はここまでにします。校正は最低線、簡単に済ませました。ブログですから、真剣度が違うようです。すみません。
ところで、ちょっといたずらをしてみました。
最後の文を3通りに読点を変更してみました。
①原文のまま:失敗にめげなかったのはkoderaさんと鈴木さんの両方。
「UNIXは凡そ15年、その他25年近く、たくさんの失敗をしてきた私が、失敗にめげず、挑戦し続けている鈴木氏の、仕事をさせて頂いているのは宿命かもしれません。」
②失敗にめげなかったのはkoderaさん
「UNIXは凡そ15年、その他25年近く、たくさんの失敗をしてきた私が失敗にめげず、挑戦し続けている鈴木氏の仕事をさせて頂いているのは宿命かもしれません。」
③失敗にめげないのは鈴木さん
「UNIXに凡そ15年とそれを含めて約25年、たくさんの失敗をしてきた私が、失敗にめげず挑戦し続けている鈴木氏と一緒に仕事をさせて頂いているのは宿命かもしれません。」
読点の打ち方はときに文章の意味を変えるときがありますから、ビジネス文書ではあんがい大事なことです。
ちなみに、谷崎純一郎は『春琴抄』は読点を排除して小説を書いています。「句読点と云ふものも宛て字や仮名使ひと同じく、到底合理的には扱ひきれない」と書いてます。近いところでは丸谷才一が似たようなことを言ってます。
小説を書くわけではなりませんが、ビジネス文書でも読点は油断のならぬもののようです。(笑)
読む人によって、とらえ方が変わります。ヒアリングの手でもありました。数通りに読める文章を書く。しかも分かりやすく。
指摘の内容はすべて含んでいるのです。私が好きなら私、鈴木さんが好きなら鈴木、二人が好きなら二人となるのは私も気が付いたのですが、あえてそのままにしました。
鋭い突っ込みをした人は今までいなかったでしょう。実はこの例題は最初の数行の1段落が論旨の中核です。
そろそろこの思いを実名付の固有名詞付きで書き始めようと思っています。鈴木さんの現状が続いて、彼が体調を崩し、一家が悲惨になったら、今に見ていろ、なのです。
実は私は学校が嫌いになりました。ない方が日本の未来のためだと思っています。代わりに塾や大学が好きになったのでしょう。
父も同じ道だったのかと今は感じているのです。南無阿弥陀仏。