テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 



昨日のレッスンから新しい曲に取組むことに。前日、前々日と最近の例にもれず、なにかとばたついており、じっくり練習できないまま、またもやレッスン当日になってしまった。
ポジションの再確認を会社から池袋までの電車のなかでやっている始末。回りの目など気にせず、楽譜見ながら指を折ってポジション確認したりする。
私自身が今回の曲で実現したいのは「大きな音程跳躍をできるだけやさしい音で優雅に鳴らしたい」ということである。

レッスンでは、いきなり先生に「今日はこれを」と楽譜渡してしまう。先生も「これまで弾いたことがない曲」とおっしゃる。それでも、初見で演奏できてしまうところがすごい。
いつも思うことだが、師は、自らに課している要求レベルが高い。演示の際にしばしば、自らの演奏に自ら厳しくダメ出しをされる。私には先生が自らに出すダメの何がダメなのか全くわからないことも多い。

私ら生徒には先生というよきお手本があり、目標があることがいかに楽かを思う。そもそも「どーせ素人だし」、というダメモト的感覚がある(私だけか)。
頂点に立つものはさらにその上にいくために、素人には判別できないほどの厳しい自己への基準を持っているのだろう。
ロシアでの師匠はそのまた師匠(リディア・カヴィナ)と共演し、「私も頑張っているが、師匠もさらに進歩している。」とおっしゃていた(私にはどっちが上とかいうレベルではなく、お2人タイプの異なる巨匠が並んでいると感じたが)。

上には上があり、その上の人もさらに自らの努力でもっと上へ上っている。恐るべし。

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