徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

アンパンー後編

2020-05-16 11:12:27 | Weblog

 昨日、クマガイソウと一緒に撮った浅間ウラジロヨウラクを載せます。ドウランツツジに比べて、華やかさには欠けるが、山野草らしい品がある。一時期、山野草に詳しい知人に同行し、浅間、鹿沢、バラギ、万座、白根とデジカメを持って歩いた。

 組織を解散に持ち込めた達成感と、早期退職での生活不安に揺れるなかで、山野草の魅力に気付いた、というところだ。

 先日、前のパソコンを整理したら結構な枚数が残っていた。ホームページ「嬬恋物語」を飾った写真だが、気に入っているものもあるので、素材に詰まったら投稿する。

 昨日のつづきを掲載します。

  アンパン―後編
  友は川崎市の高校に入学していた。彼は私と違って一発で目標の付属高校に合格し、私と同じように学校の近くに間借りしていた。彼の下宿には電話があり、呼び出して貰う事が出来た。試験が終わってホットした私は、故郷の同級生が懐かしくなり、赤電話に十円玉を数枚投入し、彼からの手紙に記された電話番号を回した。公衆電話を使う事にも慣れた。家主の奥さんだろうか。電話口で女性の声がした。私は名前を名乗り友に繋いでくれるようお願いする。たまたま、彼とは苗字が同じだったので、親戚と思ったのか愛想良く友を呼び出してくれた。
 私は渋谷に出て東急東横線に乗った。渋谷方面は初めてである。渋谷の駅は若者で溢れている。日曜日の昼下がり、流石は渋谷だ。東京には大分慣れたとは言え、むせ返るような雑踏の中に入ると、私はやはり田舎者だ。友とはM駅で落ち合う事になっていた。渋谷の混雑とは裏腹に、電車は空いていたが、私はつり革につかまり、ぼんやりと流れていく風景を眺めていた。東京に出て3ヶ月が過ぎようとしている。この先には私と同じように東京に夢を求めた同級生がいる。電車がゆっくりと渡っているのは多摩川のようだ。堤の下の家並は軒を寄せ合っている。
 駅から数分歩いた路地の奥に下宿先はあった。車がようやく通れそうな狭い路地の両側に、民家が折れ重なるように並んでいる。木製の電信柱が路上にはみ出し、うっかりすると体がぶつかりそうだ。友が格子戸を開ける。鈴がなる。そこに玄関があった。きれいに掃除されている。廊下を歩いた奥が彼の部屋だ。4畳半である。やはり私の3畳と比べると広い気がする。しかし2つの窓の外に見えるのは板塀だけだ。天気が悪ければ昼間でも灯が必要な気がする。部屋の真ん中には座卓があり、そこにはアンパンが2つ乗っていた。昼の食べ残しだと言う。仕送りが底を突くとアンパンだと友が笑う。私は頷く。

  2006/09/11

  浅間ウラジロヨウラク

  


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