東京五輪・パラリンピックの混迷が止まらない。大臣が「呪われた東京五輪」と放言し、波紋が広がったが、次から次へと難問が出てくる。新型コロナ騒動は誰も想像できなかったことで、そこは仕方がないが、その後の見通しに政治家の思惑や駆け引きが過ぎたのかも知れない。
予定通り7月に開催できると思うか、と聞かれれば「ううん」と首を傾げたくなる。少なくても、新型コロナウイルスの感染が収束し、国民の不安な気持ちが払拭されないと難しい、と考えざるを得ない。世論調査の結果で言えば私は多数派だ。
前回の東京オリンピックは、私が15才で上京した翌年の秋だ。経済成長が始まり、新幹線も開通し、東京の街が急速に変化し、東京が化粧したと感嘆した。誰もが豊かさを求めて働いたが、東京五輪を機に、敗戦から立ち直り先進国への仲間入りを果たそうとする夢や希望があった。
私は、バレーボールの決勝を三畳一間の下宿で聞いていた。大家がテレビを見ないかと誘ってくれたが、一人で戦況に浸りたかったので遠慮した。日本中が心を一つにした試合だった。当時は連帯感に溢れていたような気がする。今はなあ。
ミャンマー シュエタリアン・パゴタ 右手前が私 平成26年2月15日撮影
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます