蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

神話「蜜から灰へ」を構造主義で分析する 6

2018年06月25日 | 小説
(6月25日)

文化(culture) とは人、自然(nature)は畢竟、動物界であろう。この二者はかつて融和し同盟(allience婚姻)を結んだ。自然からの動きとは、誠実な男にMaba(蜂蜜の精)を妻として与え、美しい娘にSimo(蜜蜂の化身、狩の名手)が言い寄った。しかし同盟は瓦解した、すべては人側の失策であった。伝えてはならない本名Mabaをうっかり洩らした夫、止めてくれと乞う遊びの掛け水を被り身を焼いたSimo。
ふんだんに用意されていた蜜酒と肉、近隣を呼んで夕餉の酒盛り、食卓のあの時の様をレヴィストロースは黄金時代(age d’or)の追憶と形容した。(以上がこれまでの内容)
手が届かなくなった自然を人は今、どの様に受け止めるのか。Du miel aux cendres 蜜から灰へに戻る。

神話番号M238 Warrau族(現在のギアナに居住していた)折れた矢(fleche brisee)
前段のあらすじ;3人兄弟の末弟は狩が下手、兄二人が毎回、獲物を肩に意気揚々と帰るが、彼はいつも獲物無し。お荷物の弟を兄達はジャガーの森に置き去りにする。そして森の怪物と出会ってしまった。
A la vue du monstre l’Indien prit la fuite, le jaguar le pouchasseit et ils se mirent tous les deaux en courant autour d’un arbre enorme>>(144頁)
訳;ジャガーを目にしたその男、慌てて逃げたもののジャガーは追いかけた。いつのまにか巨大な樹の周囲、ぐるぐる回りの二人に果てた>>
狩は下手だが逃げ足が速い、追われる男が追うジャガーに追いついて、後ろ足ひかがみ(jarrets)を切り裂いてジャガー成敗に成功した。男の勇敢さが村中に知れ渡り嫁を貰えるまでになった。ジャガー仕留めの手順はかく編みだしたが、それでも男は満足しない。すべての獣を狩る秘訣を探りたい(Mais l’homme voulait etre consacre grand chasseur de toutes les autres especes d’animaux)
Wau-uta(カエル)にその秘訣を伝授して貰おうとそれが棲む木の前で一晩泣いて懇願した。
許されて登った樹上から見下ろす草むら動物が通り抜ける。
Une troupe d’oiseax apparut, ranges par ordre de taille , de petit au plus grand. L’un apres l’autre ils picoterent ses pieds a coups de bec pour le rendre habile a la chasse. Apres les oiseaux vinrent les rats par ordere de taille, suivs par acouri, le peca, le cervide, le cochon sauvage>>
拙訳;鳥の一群が見えた、小鳥、中くらい、大鳥の大きさに順に目下に行列する。嘴で足元を突きうろつく姿勢から易しく狩りとれる姿を見せていた。鳥の後にネズミ、同じく小さいモノから大きな個体へ順に行進。続いてacouri(ネズミ属?)、paca天竺ネズミ、鹿属, 野豚と続いた>>
挿入の絵はジャガー、レヴィストロースの著作Lecruetlecuitから。

行進は続く、大蛇を最後に夜が明けた。すると見知らぬ風体が男に近づいた。Wau-utaだった。一本の矢を手にしている。それは見たこともない奇妙な形状だった。
Wau-utaはRegarde plutot ton bras, deepuis l’apule jusqu’a main.>>まずはお前の腕、肩から手までを見てご覧と命じた。男が何気なく見ると苔が密集していた。L’homme recla toute la moissiture, car c’etait la cause de sa malchance.男は「それが失敗の原因」と指摘されぬぐい取った。原因はもう一つあった。男の持つ矢は矢軸が壊れているからだった。Wau-utaは己の矢との交換を命じた。そして、
Dorenant, il lui suffirait de tirer en air n’importe ou. L’Indian s’apercut sa fleche atteigait toujours quelque gibier>>(145頁)
拙訳:男は空に向かって矢を放つだけでよいとのWau-utaの説明通りで、以降、矢を放てば必ず獲物に当たった。

この筋には色々と疑念が湧く。投稿子は幾度か読み返してそれらの解を考えた。
なぜカエルに狩の伝授を願うのか。これは易しい、Warrau族の信心ではカエルは動物界の長である。その長が許せば成功は疑いない。
なぜ、動物の行進が小さい種から始まり、種のなかでも小さい個体からより大きなものへ、そして最も大きな蛇で終わったのか、行進中に鳥のついばみに同期するのか、それぞれの動物が警戒を解き、餌探しに夢中になっている無防備の行動を見せた。狩人には正に好機の姿勢である。
この解、Wu-utaが男に見せたのは動物界の秩序である。それは連続(小から大へ)、規則(種族)、調和(無警戒のゆとり)に特徴づけられる。
なぜ腕に苔がむしていたのか。常に苔がむしている、それを男がしらないだけで、Wau-utaに指摘されたこの場で男は気づいた。矢軸の破損が幾箇所か、それも男はしらなかった。すなわちaprioriにもposterioriにも人は狩が下手なのである。Aprioriとは弓を引こうにも鈍る腕。鈍りに原因にも気付かない感性。そして入念に制作したところで、狩の道具には瑕疵が至る所にある。それを識別して修正する能力を持ち合わせない、これがposterioriの不能である。
カエル特製の自然界公認の矢を持つに至った男。
目に見える獲物に狙いを定めて矢を飛ばす、いわばこれが人の技術で、男の今までのやり方。ここには問題がある。もしそれで、一匹の獣が刈り取られたら、小から大へと隙間見せずに揃う自然の調和を、人がかき乱すことになる。
そして狙わずに空に放った矢が地に落ちる、その場に獣がいたならば、それは自然の都合である。その獣の代替は即用意されるか、いずれにせよ人に罪は生じない。
これがWau-utaの人に教えた最大の秘訣である。

神話「蜜から灰へ」を構造主義で分析する 6 の了次回は6月28日を予定

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