蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

黄色カバーのランドセル(夕日の下)最終回

2020年06月03日 | 小説
3例目の夕日は東京日野市。本年(2020年)5月の初旬の話です。

世の中未だ新型コロナ感染防止の緊急事態宣言が発令中。
密接、密閉、密集の3密を避けるが国民に要請された。学校会社も閉鎖され誰もが家庭に逼塞していたまっさかり。ネットを開くと散歩、ジョギングなどの体調管理のために外出するは可とあった。その日の昼過ぎ、私蕃神は愛車(スポーツ自転車)を駆って遊歩道をサイクリングとしゃれ込んだ。
出発点は日野市南平の丘陵。
七生丘陵と伝わる丘を下り街道を越す。公営アパートの脇道から浅川土手に入る。しばらく一般道路。中学校裏の信号を越して浅川遊歩道に乗り込む。下り快適がしばし、落川で四谷橋を渡って多摩川に入る。タマサイこと多摩川遊歩道を漕ぎ続けて府中のグラウンド裏のたまりが終点。ベンチとテーブルで小休止。
復路は今来たこの道かえりゃんせ。往復30キロの一汗流しです。

帰り道には「ふれあい橋」たもとで一休止を習いとす。
ふれあい橋とは何か?

この橋は撮影スポットでもある。人気タレントが来橋するときには大勢のギャラリーが集まる。

京王線特急停車駅「高幡不動」は浅川の右岸。左岸には万願寺なる住宅地。この地と駅を結ぶ歩行者専用橋である。
府中休息たまりから一気に上ってきた。額に浮く汗と塩は拭わんと、チャリを止めた。橋下には河岸テラス、土手は階段状のギャラリー。

小筆は階段を3段下りてチャリを片ペダル落としで留めた。どっかと座わる間際に振り返ると土手道だった。
トボトボとちっちゃなお嬢さん、ランドセルを背負い歩いていた。駅と橋の間の小学校の学童である。背の開きは黄色いビニールの覆い、被る帽子の鉢も黄色カバー。黄色は交通災害から一年生の防ぐ安全色である。ならばこの女の子は一年生。

小学一年生の女児。ネットから採取。

私の視線が土手道に水平、その目がお嬢さんと出合った。「やっと叶った小学校の入学と授業、その帰り道」さぞかし嬉しかったと推察したし、目と目の出会いだって他生の縁のはずだから声を掛けた。
「学校が始まったのだね。良かった」
「学校はなかった」

落胆の様が声に聞こえた。視線の沈みこみに気落ちの深さが察せられた。私は胸が詰まり、励まそうともとっさの慰め言葉を選ぶ能に欠けた。言葉は出なかった。
男の子が走り寄った、お兄さんらしい。4年あるいは5年生かと見える。背にはデイバック。女の子の言を補填する云いぶりは、
「自主登校なので、授業はないのです」
4年生ともなれば言葉遣いが明瞭。聞いた妹はまた目を地に伏した。兄妹さんとの会話はここで終わった。

テラスと階段。学校が再開されているから、親子連れの姿はテラスに見えない。私が座していた辺りから兄妹が帰りあぐねていた階段に向けて撮影、6月2日。

私はチャリ脇の階段に腰をおろし、吐息がホー、口先に漏れた。
風が強く吹いて片ペダル止めのチャリが倒れた。立て直しとギアの確認に手間がかかった。ワイヤーの調整が終わってさあ帰ると乗りかけた時、橋の欄干、その真下に目が移った。
階段に兄妹が座っていた。
対岸を黙って見つめていた。そして立ち上がり手を繋ぐのでもなく、寄り添う風でもなく「ふれあい橋」をとぼとぼと渡った。5月の夕日が傾く空は西、ふれあい橋の真向かいの中空。そこにかかる夕日の勢いは燦々と、まばゆいまでの差し込みを二人に注いでいた。サドルに跨りペダルを踏んで私は浅川に帰路をとった。

兄妹はなぜ土手の階段に座っていたのか、なぜ帰宅の路を続けなかったのか。一年生の妹さんの落胆の様とお兄さんのしっかり応答に答が見えると感じた。

今年、一年生は入学式を体験できなかった。
4月が始まっても自宅に籠もっていた。買いそろえてもらったランドセル、服、靴、ソックスを枕元においても、通学の機会は訪れなかった。それらを着し親に手を引かれふれあい橋を渡り小学校にたどり着く、あこがれ一日のハレを経験できなかった。
妹さんはこの日にやっと「登校」が叶った。自主の意味合いを理解するには一年生ではまだ早い。期待を胸にふくらませ学校に着いたけれど何もなかった。
先生はいない、それらしい女の方がいるのだけれど目につくのはでっかいマスクと目玉だけ。授業はない、コクゴサンスウシャカイというのを教わるはずだったのに、放り出された教室のがらんどうには怯えるだけだった。
それらにも、何にもましてがっかりは、入学式がなかった事だった。

階段に座り込んでいた理由とは、家に戻って母親にこの気落ちぶりをなんと話そうか。答は見つからずお兄さんと一緒に夕日を見ていた。
入学とは「校長先生のお話をしっかり聞くのよ」「脇見してはいけない」「教室にはいったら先生が出席をとるから、名前を呼ばれたらしっかりハーイと答えるのよ」と聞かされていたし、この日にその一連があると信じていた。それらを全てこなしてこそ一年生になれたはず。この喜びを母親に伝えるはずだったのに。
何も起こらなかった。
入学式の一日は子にとって通過儀礼であったのだ。
儀礼を授けられなかった悲しみを、母に何として伝えられようか。それに悩んでいたのだ。こんな辛さは式の当日に破談された花嫁にしか理解できない。

日野市では6月から学校が再開されている。あの子はき二月遅れの入学式をっと、無事に通過したと信じている。了


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