蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

日野市床屋はバベルの狂乱 上 

2024年01月13日 | 小説
(2024年1月13日)昨年末、東京は多摩地区日野市内、人にも知れず確認する者誰も残らず、ポツリ発生しジーンと終結し、しかし見事にまでの悲惨な爪痕を残した、その出来事を語ろう。報告するは部族民(蕃神ハカミ)、暮れもすっかり押し詰まった静かなその夕べは、南平駅(京王線)近くヤッチャン、これは焼鳥店の屋号、にて久方ぶり、サワー割とレバ焼きを前にして彼がくつろいでいた。久方とは昨年は愛知県のみよしなる辺鄙な街区、そこに本拠を置くしがない輸送機工場で期間工として、汗水垂らし食い扶持を稼いだ一年間、この間では焼き鳥ヤッチャンの空隙に嘆いていたからである。
隣の老人は当店の常連、以前は毎夕、顔を合わせていた。前にも記したが蕃神はその焼鳥店で皿洗い、串打ちなどの小手間作業のアルバイトで糊口を凌いでいた。コロナ騒動の前である。
割り込んだ途端に「久しぶりじゃねえか」は気安い、
「前はカウンターの内側だったよな、外側とは豪勢じゃないか」軽口の老人に共通する嫌味の一口。部族民は気に留めず、
「今年は目一杯働いたからな、今夜はサンザイしてるんだ」
「サンザイっても串が二本でチュウが一杯か」これで嫌味が二口め。
「正月は本物の豪勢に行くぜ、フクダでウナ重と決めてるから」
「床屋騒動知っているか」と切り出した。
知るも知らぬも昨晩戻ったばかり、近辺の噂話なんてすっかり疎くなっている。その旨を手短に蕃神が返すと、
「昨日、大変なコトが起こってな、オレもおったまげた~」
おっためげ~の割に表情は一向に変化しない。この無表情も老人にありがちの硬直顔面症候である。

市を縦貫する北野街道沿い、その街道筋、とある理髪店で発生した。。老人が告げる屋号に部族民は心覚えがあった。場所感を掴むと興味もます、老人の語り聞きを以下に述べるが、床屋惨劇に立ち入る前に、直前の理髪店の状況から始める。

「こうですかい親方」
「そこが違ってる、何度も言ってるじゃないか。こうだ」
親方とはオーボエ理髪店の店主。尋ねるたびにダメ押しで訂正されるのは見習いのヨシオ君。椅子に座り何度も頭を弄くられているのは近所の高校2年生サトシ。「タダにするから座っててくれ」で実験台、というか頭の見本役を引き受けた。
頭に櫛を当て櫛歯から抜け出た余分な髪流れを梳きバサミで刈り取る作業の伝授である。親方はその櫛を頭皮に当たるか当たらないか、まさに軽く置く。ヨシオの置き方は強すぎると諭すのだ。
そこでヨシオは櫛歯の先をほんの僅か中に浮かした。すると、
「それでも駄目」櫛を取り上げ、自らサトシ頭に当てる。
「早い話、お前はこんな風に櫛を入れている、ホレ」
「痛てて」
「客が痛いって悲鳴上げてる」
「大げさすぎるんだよ、サトシはいつもこれだ」
ヨシオは櫛を親方から取り戻し、櫛歯の先を「えいやっ、これが本当の痛さだ」とサトシ頭に強く押し当てた。
「キャーキヤ、散髪代タダじゃ安すぎる」


バベルの再現、舞台は日野市北野街道、南平4丁目地先から上り方向を撮影


「御免よ」
入ってきたのは30歳代半ばの風情、見慣れぬ顔。店主はとっさに「いらっつシャイ」が出た。「お前も客あしらいをしな」とヨシオに横肘を当てた。
「お客さん、なんの御用で」
床屋に入ってきたんだから髪を切ってもらう、当然だ。
「お前んとこ、床屋だろ」
「理髪店です、街道で一番の」
「ピンでもキリでもどうでもいいや。床屋に来る客はアタマを切ってもらいに来るんだ」
「エーッ、アタマですかい」
「当たり前よ。正月も近けえ、すっぱりやってくんな」

その男、年齢に割に背は五尺を三寸抜けたほど、幾分低い。肩幅広く胸板は厚い。袖口を二に折ってむき出した二の腕には筋骨の隆々様を見せつけている。競技者で語るとタパレスに近い。切ってくれとのアタマに角に切られた髪が伸び過ぎ。ボウボウ感が浮き上がる理由は、この年末の繁忙で床屋に行く時間もなかったのだろう。待ちベンチに移したサトシに親方は「ゲーセンで遊んでこい、しばらくして戻ってこい」と1000円札を握らせた。しかし表情は怪しい、訝しがるのか。「ああいうのが年に数回は」来るんだ。しかし「ここは口出さずヨシオの采配を」とっくり見定めるぞと独り言で決心し奥に引っ込んだ。

ヨシオは「頭ですね、切れですねよござんす。こっちも道具の揃えがあるから」
道具棚を引き出し一丁のカミソリを取った。
鞘を開くと背から腹にかけての青い刃身がスエーデン、鈍い光を放った。見習いだからこそ道具に凝らねば腕は上がらない、上塗り仕上げの見事さで名を残した左官父親の言い分をすっかり受け止め、なけなしの幾万円を叩いた逸品は村辻、その中古である。
右の手、刃元を指に挟み鞘は掌に納め、敬意を払うのか男の頭に合掌した。男は鏡を通し始終を見ていたが、流石に頭合掌には驚いた。床屋で手を合わされるとは、閉じた眼に浮かぶヨシオ眼差しの真剣さも重なって、不気味さの不審混じりを一瞬、感じた。
ヨシオ左手は当て櫛を持たない。カミソリのみで髪を切るのか、こんな芸当をモノにするには10年早い。それなら見習い、何事が起こすのか。

「旦那さん、よござんすね」
「ああ、用意はできてる、しっかり切ってくれ」
「覚悟が決まったと聞きました。一気にですぜ、手元を緩めると上手くは行かないんで」
男は「若造は一体何を企んでいるのか」先程の不審が不安に勝り身構えようにももう遅い、
「エイ―」
とばかりヨシオは村辻を空に一閃、そして男の頭にピシリと当てた。
「イテテテ」は男の悲鳴。頭を当てる、いやそれ凌ぐ一閃だ、頭皮を抉った。
「何するんだ、頭を切ったな」
「頭を切ってくれといったでしょうが」
「俺が言ったのは頭を切れってことだ」
「だからそうしたんで」

日野市床屋はバベルの狂乱 上 の了

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« LGBTの闇をYoutube投稿 | トップ | 日野市床屋はバベルの狂乱 下 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

小説」カテゴリの最新記事