(2024年1月15日) 日野市を縦貫する北野街道、その道筋の理髪店、屋号はオーボエ。見習い理髪師のヨシオと客の会話は意味をなさない。「頭」を遣うのだが意味が食い違っている。同じ語なれどその意味するところの不整合が対話不成立の原因に辿れる。4千年前、今のイラク、バベルで発生した狂乱が令和の世、多摩の日野市で再現してしまった。
諍いの最中、ゲーセン遊びを切り上げたサトシが紛れ込んだ。
「吹いている。血しぶきや。角刈りが血染め、頭の怒りがイェーィの血だるま」
「小僧、お前まで俺をバカにしている。てことは床屋の味方をしてるな。お前も血だるまにしてやるぞ」
男はヨシオが手にしているカミソリをもぎ取ろうとしたが、秘蔵村辻を他人の手にさせるものか、ヨシオの渡さじ決意も固く、二人がカミソリを巡ってのもみ合いが始まった。
「ヨシオ頑張れ、その角刈りがカミソリを握るとオイラが血だるまだから」
「そしたら頭の見本は直ぐにクビ」
日野市北野街道沿いの床屋でバベル狂乱が再発した。
偶然見つけた街道沿いの床屋(本文の内容とは関係がありません)
親方が出てきた。
「旦那さん、落ち着いて」白い粉を傷口にふりかけた。
「傷は治まりました」
白い粉はひげそり泡をたてる粉シャンプー、業界でレッシブと呼ばれる。床屋用には血止め効果も加味される。こんな事態が起こるかとのメーカー気配りかもしれぬ。蒸しタオルを頭に被せ拭き上げると、角刈りの血染めももとに地黒に戻った。
「これでオーケー、1日2日すれば傷口が固まりますよ。それにしても...」
思わせぶりに口を止めた親方、次の言葉はなにかを皆が持ち受けた。しかし思惑は異なる。客は「床屋が客を傷つけた。失点はこいつにある、慰謝料だ」。ヨシオは「頭を切れと言われたからその通りに切った。失点はこの男の曖昧用語」「この事件を言いふらすはもってのほか。口止め料はこれだ」大きな額の一枚はいけるとサトシは勘定した。
親方の続く文句は誰も想定していないほど意外だった。
「立派な傷痕だ。惚れ惚れする切り様だな。傷口がスッパとしている。痛みはでない」
「そんなことはないぜ、痛かったぞ」
「切られた途端にわずかの一瞬だけ痛い、これはどんな傷でも言える。ワシが言ってるのは痛みが後を引きずらないってことだ」
親方の説明が続く。
「鈍い刃物で下手な傷をつけると、傷口の左右壁がしわる。肉壁の部分破壊、時には全面破壊をもたらす。傷口を合わせても、左右の壁ひだが噛み合わない。ひだ同士が押し合いへし合いするんだ。これが後に引く痛さの原因ですわ」
ナマクラの赤イワシで傷を受けた日には、いつまで経ってもグズグズ痛さに悩まされるーと創痛の起源を皆に教えている
「そうなったらお終いですぜ。ところで旦那さん、頭の周りをエクストラクラニアルと云うとはご存知ですかい。そこは神経叢がゴゾっと揃ってる。すべてが中身イントラクラニアル、脳みそを守るためなんです」
「シンケイソウて何だい、エキストラ暮らしにくいとは」
「そいつらは業界の専門用です。頭の周りは神経だらけと受け取ってください。その分、痛みもすごい。髪の毛を引っ張ると痛いよね、ホレホレ」
「イテテ、引っ張るな痛い」
「傷の痛さはもうないよね」
「そう言われたら痛くなくなった」
鋭利な刃物で戸惑いなくスッパと切る。切り壁の神経、毛細血管もスッパと切られる。左右を合わせると、神経、血管が繋がる。それらはそもそも同根、さっきまでは相棒だからいかなる違和感、排他根性などは湧き立たず、分離は一時でも今は一緒に戻った、良かったねと癒着する―痛さの起源の親方の論説。
ヨシオに振り向いて「お前のカミソリも中々のモンだ。それにな、デコ部に切りを入れている。ボコには刃が入ってない」
「手加減したんです。本気入れたら骸骨が二分に割れます」
「危なかった」と頭を擦る客。
「デコのみスーッと入れるのは、ワシが櫛の歯先を凸凹頭にどう当てるかの教えを体得したからだ。デコを凹ませボコを立たせる。床屋の極意だな」
「そう云えば親父も云ってた、デコを抑えボコに盛り込む、一気に均すのだ、これが左官の極意だと」
「お前の親父さんは左官だったのか、そこまでの口を叩くからにはさぞかし腕の立つ職人だっただろうよ。名号を聞きたい」
「へえ、いろいろ名乗っていたようですが最後には左…で幾分は世間様には知られておりました」
客は「ウゥー」の唸りでのけぞり椅子から転げ落ちてしまった。うつ伏せでも口がくぐもってもこれだけは、この今の瞬間に、その一言が客から、
「名人の息子とは」
客とヨシオ父の好は本題からずれる。結末、角刈り客はカミソリ疵も閉じて上機嫌で帰った。
語り終えて川本老人、「下手な言葉遣いすると痛い目に遭う。住みにくい世になったものだ」と溜め息を付いた。
さて、客とヨシオの食い違いはなぜ起こったのか。言語意味論Univoque/Équivoqueを出さねばならない。
日野市床屋はバベルの狂乱 了 (黄金時代とバベル異聞に続く、18日投稿開始予定)
注:本投稿内容はノンフィクションではありません。
諍いの最中、ゲーセン遊びを切り上げたサトシが紛れ込んだ。
「吹いている。血しぶきや。角刈りが血染め、頭の怒りがイェーィの血だるま」
「小僧、お前まで俺をバカにしている。てことは床屋の味方をしてるな。お前も血だるまにしてやるぞ」
男はヨシオが手にしているカミソリをもぎ取ろうとしたが、秘蔵村辻を他人の手にさせるものか、ヨシオの渡さじ決意も固く、二人がカミソリを巡ってのもみ合いが始まった。
「ヨシオ頑張れ、その角刈りがカミソリを握るとオイラが血だるまだから」
「そしたら頭の見本は直ぐにクビ」
日野市北野街道沿いの床屋でバベル狂乱が再発した。
偶然見つけた街道沿いの床屋(本文の内容とは関係がありません)
親方が出てきた。
「旦那さん、落ち着いて」白い粉を傷口にふりかけた。
「傷は治まりました」
白い粉はひげそり泡をたてる粉シャンプー、業界でレッシブと呼ばれる。床屋用には血止め効果も加味される。こんな事態が起こるかとのメーカー気配りかもしれぬ。蒸しタオルを頭に被せ拭き上げると、角刈りの血染めももとに地黒に戻った。
「これでオーケー、1日2日すれば傷口が固まりますよ。それにしても...」
思わせぶりに口を止めた親方、次の言葉はなにかを皆が持ち受けた。しかし思惑は異なる。客は「床屋が客を傷つけた。失点はこいつにある、慰謝料だ」。ヨシオは「頭を切れと言われたからその通りに切った。失点はこの男の曖昧用語」「この事件を言いふらすはもってのほか。口止め料はこれだ」大きな額の一枚はいけるとサトシは勘定した。
親方の続く文句は誰も想定していないほど意外だった。
「立派な傷痕だ。惚れ惚れする切り様だな。傷口がスッパとしている。痛みはでない」
「そんなことはないぜ、痛かったぞ」
「切られた途端にわずかの一瞬だけ痛い、これはどんな傷でも言える。ワシが言ってるのは痛みが後を引きずらないってことだ」
親方の説明が続く。
「鈍い刃物で下手な傷をつけると、傷口の左右壁がしわる。肉壁の部分破壊、時には全面破壊をもたらす。傷口を合わせても、左右の壁ひだが噛み合わない。ひだ同士が押し合いへし合いするんだ。これが後に引く痛さの原因ですわ」
ナマクラの赤イワシで傷を受けた日には、いつまで経ってもグズグズ痛さに悩まされるーと創痛の起源を皆に教えている
「そうなったらお終いですぜ。ところで旦那さん、頭の周りをエクストラクラニアルと云うとはご存知ですかい。そこは神経叢がゴゾっと揃ってる。すべてが中身イントラクラニアル、脳みそを守るためなんです」
「シンケイソウて何だい、エキストラ暮らしにくいとは」
「そいつらは業界の専門用です。頭の周りは神経だらけと受け取ってください。その分、痛みもすごい。髪の毛を引っ張ると痛いよね、ホレホレ」
「イテテ、引っ張るな痛い」
「傷の痛さはもうないよね」
「そう言われたら痛くなくなった」
鋭利な刃物で戸惑いなくスッパと切る。切り壁の神経、毛細血管もスッパと切られる。左右を合わせると、神経、血管が繋がる。それらはそもそも同根、さっきまでは相棒だからいかなる違和感、排他根性などは湧き立たず、分離は一時でも今は一緒に戻った、良かったねと癒着する―痛さの起源の親方の論説。
ヨシオに振り向いて「お前のカミソリも中々のモンだ。それにな、デコ部に切りを入れている。ボコには刃が入ってない」
「手加減したんです。本気入れたら骸骨が二分に割れます」
「危なかった」と頭を擦る客。
「デコのみスーッと入れるのは、ワシが櫛の歯先を凸凹頭にどう当てるかの教えを体得したからだ。デコを凹ませボコを立たせる。床屋の極意だな」
「そう云えば親父も云ってた、デコを抑えボコに盛り込む、一気に均すのだ、これが左官の極意だと」
「お前の親父さんは左官だったのか、そこまでの口を叩くからにはさぞかし腕の立つ職人だっただろうよ。名号を聞きたい」
「へえ、いろいろ名乗っていたようですが最後には左…で幾分は世間様には知られておりました」
客は「ウゥー」の唸りでのけぞり椅子から転げ落ちてしまった。うつ伏せでも口がくぐもってもこれだけは、この今の瞬間に、その一言が客から、
「名人の息子とは」
客とヨシオ父の好は本題からずれる。結末、角刈り客はカミソリ疵も閉じて上機嫌で帰った。
語り終えて川本老人、「下手な言葉遣いすると痛い目に遭う。住みにくい世になったものだ」と溜め息を付いた。
さて、客とヨシオの食い違いはなぜ起こったのか。言語意味論Univoque/Équivoqueを出さねばならない。
日野市床屋はバベルの狂乱 了 (黄金時代とバベル異聞に続く、18日投稿開始予定)
注:本投稿内容はノンフィクションではありません。
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