蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

レヴィストロースを読む 神話と音楽 ボロロ族の歌 4

2017年10月20日 | 小説
(2107年10月20日、首題の過去投稿は10月13、16、18日)

レヴィストロースの構造神話学、その嚆矢となる<Le Cru et le Cuit="生と調理">を解説しています。神話(M)の1,2は近親姦にまつわる主人公の冒険譚、分かりやすい流れですがM3(ボロロ族、洪水の後)になって民族の間引き、殺戮の場面と「贈り物が少ないから殺した」の族長ボカドリの不吉な言い訳が出てきました。それが「連続」対「不連続」なのだと尊師は教えます。
この意味合いを考えます;
本書に頻繁に出るnature とcultureの対峙がヒントです。
natureを投稿子は「自然、天然」と反射的に捉えました。自然とは本来、調和、美しいなど前向き含意を思い浮かべます。するとcultureは文化と解釈します。これでは前後文章の解釈が至らない、この意味づけが間違いと思い直した。さらに冷静なるレヴィストロースにおいては用語に感覚的好悪を意味づけするなどの俗っぽい手段など、あくまであり得ません。
少しも分からないなあ、でも気を取り戻しnatureを辞書で開くと一義は大自然の自然、二義にcaracteres innes生まれついた性状、さらにce qui est inne, oppose a ce qui est aquit 生まれつきのもの、獲得したものとの対比(=petit robert)とあります。用法に彼(彼女)の本来の性向だよ(悪い性格を批判する用法)。白水社の大辞典では「奔放」の意をも加えています。そこで本書でのnatureとは「手つかず、ほったらかし」が正しいとする。ではcultureとは;robertを開いても農耕、知識、教養などしか出てこない。頼みの白水大辞典も同様。そこで投稿子は勝手解釈で奔放の正反の「人手の加わった状態、介入」と理解するとします。農耕とは人手を加える、耕すが原義なので的はずれでもない。

nature とcultureの対峙とは、放りぱなし(連続)に対するお節介、介入(不連続)が真意となります。

それでもM3のみでは族民の殺戮、間引き神話は理解できない。そこで他民族の神話を介し、パラダイム手法(paradigmatique)を通して解釈を進めます。このparadigmatiqueは構造言語学者ロマン・ヤコブソンの用語です、範列的との訳語が当てられます。「似たような神話を引っ張り出して比較する」手法と投稿子は理解します。彼もその事情を下記に打ち明けています。
<Limitee aux Bororo, l’interpretation est fragile. Elle acquiert cependant plus de force quand on la rapproche de l’interpretation analogue de mythes provenat d’autres populations>(61頁)
抄訳;ボロロだけで解釈しても弱いから、似たような神話を拾って比較する。

比較したのはボロロ族の親戚筋、ジェ語族のOjibwa族とTikopia族。本文の引用は省略されて解説のみ。Ojibwaでは洪水の前に6の支族が「接続」して居住していた。各支族は盲目(に扮する)先祖神を奉るが、一の神がバンドを外し盲目でないと表明してしまった。五の神は彼を支族の民とともに追い出し、五の支族の構成に縮小して、不連続域を創成した。
Tikopia族の手法は「これまでは食べ物はその種類が数えられない状態だった。これを脱出するには食べ物の数に制約を入れて、支族をその数に合わせよう」
選んだ数は四、無数の支族を消滅させて(殺戮して)四支族の構成に「正した」。
ボロロ族のやり方は上記2部族とも異なる。
「連続している理由とは人口の多さなのだけれど、突き詰めれば小さな支族が数多くあるから。故に弱小を殲滅して、8の上位支族だけにすれば不連続世界となる」とボコドリ(ヒーロー)がわざと乗船に遅れるなど策略を巡らせた。贈り物が少ないとは弱小なのでボコドリが期待する質と数をまとめきれなかった為である。優勢、有力を生き残りの基準点にしたボロロの知性が光ります。

写真は本著書から。3部族の間引き方法、左が洪水前の連続居住。右に間引き後の形態。ボロロ族は最下、無数の支族が8に集約されています。

ボロロ、それに近隣の部族にしてもなぜ連続性を嫌うのか。前回に引用した上念司氏の米国加州での山火事解説に戻ります。「先住民は小さな山火事を発生させて、大災害を防いでいた」焼き畑農耕かと推測します。放置すれば発火しやすい灌木林を、焼き畑によって一部を灰野に化して、自然に不連続を生じさせ、全山の火災を防いでいた。もし人口が過密となれば、この一部の灰野が造れません、全森林を焼き畑にするしかない。翌年は飢餓に見舞われる。こうした、連続の不具合を先住民は知っていた。ボロロ族と同じ知性です。

不具合は焼き畑に限りません。
M1では成人の通過儀礼を控える子がヒーローです。
彼は、儀礼に使う装身具(ペニスケース)を採取するために母が森に入るのを見て、母を追い犯します。母との断絶を拒否し「連続=姦淫=親子婚ははこたわけ」を選びました。父に放逐され、山上でハゲワシについばまれて死にます。M2では本来は生まれの女屋から出て男屋に居住しなければならない兄弟が、姉妹(ヒーローの妻)を森で姦淫した(水平婚いもせたわけ)、原因は男が生家との連続を希求したためでした。
連続の不都合は食物摂取にもあらわれます。トカゲ、魚の生食、食べ過ぎ、病気の発生がM1,2に語られています。
M1,2,3はそれらを通して一つの神話とすべきで、これら3の流れ(sequences)と符号化(codages)を読み取ることで、全体の骨格(armature)が浮かび上がります。
骨格の思想がscheme(スキーム)であるとは前々回にも語りました。M1,2,3のそれはnature対cultureに他なりません。次回はschemeを取り上げます。
(ボロロ族の歌4の了、次回投稿は10月23日を予定)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« レヴィストロースを読む 神... | トップ | レヴィストロースを読む 神... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

小説」カテゴリの最新記事