蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

ヘーゲル精神現象学 仏語版 解説投稿 予告 上

2024年08月12日 | 小説
(2024年8月12日)本ブログに接近していただく皆様に深く感謝いたすとともに、残暑お見舞い申し上げます(ペコリの部族民通信一同、画像なし)。

ヘーゲルの「精神現象学」の仏語書 La phénoménologie de l’Esprit (全2巻)、その導入部Introduction紹介に挑戦します。哲学者にして教育家Hyppolite(Jean、1907~1968年フランス、高等師範学校長、フランス学院哲学教授など歴任)訳を原本に用います(出版は1939年、写真)。本書でヘーゲルはヒトが「絶対知=Savoir absolu」(原本が仏語なので用語は以下、仏語となります。なお部族民渡来部はドイツ語を知らない)を獲得する過程を精神作用として追求した。精神(頭脳)に舞台を置いたその活動の有り様を「現象」として書き綴った作品となります。
2巻の全ページ700超の紹介は不可能ながら、導入Introductionはページ数にして12、コレは可能かと思い込み、数回に分けて動画投稿する予定です。
ここでヘーゲルなど全くの門外漢の部族民(蕃神ハカミ)が、無謀にも、解説を投稿するに至る裏を―。前回投稿は「仏語哲学書の読み方」、鍵語を色分けして、語義を確定して解釈にたどり着く―だった(蕃神はSNS露出を避けるのでYoutubeでの解説は渡来部)。友人から「レヴィストロースはやはり人類学者、純粋な(形而上学の)哲学ではない。正統哲学書に鍵語色分けの手法をガチ展開してくれ」半ば脅迫がメールの依頼で寄せられた。思い出したのが蔵書のヘーゲル本。さらに頃は夏、猛暑に外出する機会から疎外される我が身ならば、本でも読もうかと投稿に進んだ次第です。

最終文節に結論(おそらく本書全体の結語)がまとまっているので、まずはこの部を以下に引用;
C'est pourquoi les moments du tout sont des figures de la conscience. En se poussant vers son existence vraie, la conscience atteindra un point où elle se libérera de l’apparence, l’apparence d'être entachée de quelque chose d'étranger qui est seulement pour elle et comme un autre; elle atteindra ainsi le point où le phénomène devient égal à l'essence, où, en conséquence, la présentation de l'expérience coïncide avec la science authentique de l'esprit; finalement, quand la conscience saisira cette essence qui lui est propre, elle désignera la nature du savoir absolu lui-même. (page77)

(前文に精神作用の節目(Moment)には悟性(Conscience)が湧き上がる現象)について、なぜその様になるのか。それら節目節目が、悟性の形態化(Figures)となるからです。己存在の真実を勝ちとるため悟性は、それらの節目を通して、ある一点に到達できる。その点とは、不要の外部要素に滲みこんでいる自身の表層、それは自身のためでもあり他者に向かうものでもあるが、悟性はそれを脱ぎ捨てるに至る。現象が実質(Essence)に同等となる到達点である。この流れにおいて(弁証法の)経緯(Expérience)は精神の正統なる理性(Science)一致する。最終的に悟性はこの、そもそも彼にふさわしい実質を具有するとなり、そこで知の絶対savoir absoluを悟性が取り込む事となる。

解説 : 精神の現象で主役を務めるのが悟性、悟性にはそもそもの基準が自身に具わる。精神舞台に知(Savoir)によってもたらされる対象(実在する外部のモノ)の真実を捉えんと、検査Examenに入る。しかし真実は捉えられない、なぜなら対象を舞台に持ち込む知はそれ自身の基準を持つから、知の基準が対象に投影されるから、悟性が対象の真実を捉えるとは限らない。検査の節目に異なる基準同士がすり合わされ反作用を生む(Expérience経験として表される、訳者HyppoliteはExpérience=Dialectique弁証法と解説する)。幾節かの反作用をへて、絶対知を悟性が獲得する。
この12ページの要約における悟性、理性、知など個別を700ページ渡って詳細記述した力作が本書です。Hyppolite版についてフランス知識界隈の評価は;
Il faut se rendre compte de notre chance : cela ne fait que quelques dizaines d’années que le texte de la Phénoménologie de l’esprit peut être lu en français. Il a fallu attendre plus de cent trente ans pour que la première traduction voie le jour : c’est celle de Jean Hyppolite, en 1939-1941, qui a eu le courage de s’attaquer à ce monument. Jusqu’alors, en France on ne connaissait surtout Hegel que par l’Encyclopédie des sciences philosophiques(ネットサイトLes Philosophes.frから引用)我々(フランス人)の幸運に気付いてください。本書がフランス語で読めるようになったのは幾十年かの前からです。本書原典が刊行されて130年を経て、Jean Hyppoliteの最初の訳本は1939~41年にが出版された。まさに渾身の記念碑とも言える。それまではフランス人はヘーゲルを哲学百科事典から知るのみだった。
部族民所有の本原典(写真);


本書表付け、表題の下にHyppoliteが記される


2巻、革はセーム、


赤革の装丁の豪華本。ローマ数字を解読すると出版は1939年となる。1939年は二次大戦戦争が勃発した年で、40年にはフランスは降伏した。ナチスのフランス進駐などの混乱からこの初版は絶版となり、47年に復刻本が出版された(題名に生成と構造Genèse et structureが加わり、難しい限りの初版に専門家の解説が加わった。故に復刻ではなく別本の出版と扱われる)。
この個体は稀覯書であり貴重である。ネット(アマゾンなど)で調べても、この初版本は出てこない。世界の図書館情報を開けるとパリ国立図書館、マルセイユエックス大学図書館など数か所が蔵書するのみ。

部族民入手の経緯;
2016年前半、友人から「ある方が終活で貴重蔵書を手放す。コレを買ってくれないか」と打診がきた。それがこの本。古くの格言は「奇貨おくべし」を教えるから、いつ読むかわからないが買っておくと決めた。ある方の名は分からずじまい、しかしこれだけの書を持ちかつ愛読(ママ)していた方ならそれほどの人物かと想像する。諭吉先生一枚の価格。今にして思う「奇貨おくべし」は奏功したノダ。上の了(8月12日)

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