蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

ソフト・オン・クライムとLGBTQ、闇の相関 補記の中

2023年05月08日 | 小説
(2023年5月8日) 前回のBlog投稿(5月6日)でLGBTQとは性嗜好の「異常」を自認する者を、その異常の受け入れを社会に強要する運動とした。生物学的に決定した性状態(男は男、女は女)が正常であるが、その仕組みを否定し別の性(もともとは男が女に)を自認すれば女としての権利を認めろとの要求です。その権利とは巷間議論されているところでは、別性向け施設の利用を認めろ、自認女が女更衣室、女湯などを利用するのが権利だとする。(男を自認する女の男湯開放も当然あり得る)。こうした英断が差別解消と主張する運動です。
問題点が2挙げられる ;

1 異常とは自認し公言するものなのか
2 自認すればそれが正しい性として社会は受け入れる。これが正しいのか
逆の思考もありうる : 
1異常は詳らかにしない秘匿するが正しい 2異常を自認してはならない、なぜなら異常である状態を正当化するから

明らかに後者がこれまでの考え方で、前者はLGBTQあるいは「ソフト…」の主張とみなされる。しかしなぜ彼らは自認し公言し要求するのか。ここである一つのカラクリが彼らの行動の裏に隠れ、見える。「他責」である。私が生まれながらの性に安住できない理由は、生物学的性は個の性を決める仕組みではないにも関わらず、社会はこの決定を絶対としている。その社会が悪で、(男生まれの私が)女として行動できない元凶である。
これまでの「男に生まれた者は男」という常識を真っ向から否定している。言ってみると : 

自己の異常を社会の異常に転嫁している。

例を挙げる ; (法曹がVera Instituteの影響を受けているアメリカの州、市、郡では)「ソフト…」の適用が法制度、運用に仕組まれている。犯罪者が「歪な社会の犠牲者」と自認すれば起訴を免れる。実例がネットで報告されている。この自認という仕掛けが「犯した罪の責任は社会にある」とする主張と対を成し「ソフト…」の思想を支持する検察が犯罪者を「無罪」放免する。そうした地方単位では罪を犯しても問われず、犯罪が犯罪を生み、無法行為が増え続けている―とネットで見聞きする。
今にしても地元で評判が最悪のエマニュエル米大使、彼が市長を務めていたシカゴがその典型である。この責任転嫁の精神構造は正当といえるだろうか。今は答えを見合わせ、もう一つの課題「異常の自認」の問題に移る。

もし異常(性倒錯、犯罪下手人)は個人の責に帰さないとのお墨付きを貰ったら、それを自認公言して対応を社会に求める。すると自認女の男が女子スポーツに紛れ込むのを社会は見逃し、自認犠牲者の犯罪者が粛々と釈放される。異常が悪と思いとどまる歯止めなど、容易に乗り越えられる。外聞なる恥の思いは残るが、世間体に悪いからと思いとどまる国民は日本人くらいだろう。
上記の1自認し公言し2で社会の受け入れを要求するが組になったらとてつもない猛威を社会に撒き散らす。
こうした思考とそれに発する行動の根源にあるのが「個の無視」である。
LGBT運動は個を擁護すると思い込んだら罠に絡まる。


ネットで私(部族民)に近い主張を持つ方を発見した梁和生(ヤナカズオ)自民党衆議院議員

まさに議員の主張通りです。(肖像権はこの場合ないと判断して掲載した)

個が正常から異常に逸脱する境目で人は己に備わる思考、倫理で自省する。踏み出すか居残るかを思索し悩む。悩みの過程の長短、自省する中身の深さ浅さは人により異なるも、人であれば必ず自省し悩み、いずれかの方向に踏み越えていく。間違った側に越えると異常に陥ると認識するのは人の倫理なので、それを悪と知るから異常行為を犯した者はそれを隠す、刑事犯は逃げ回る。
しかしこうした異常に個に責はないと言い含まれたら、堂々と罪を犯す(あるいは異常性別を堂々と公言する)。そして社会へその異常を転嫁する。自認が免罪符となってこれら行動を後押しする。世の中は混乱します。実例を上げる。
未成年ながら死刑判決を受け、執行された永山則夫。犯した罪状はWikipediaに詳しいので参照してください。生い立ちの悲惨さは同情できる。一方で8人兄弟。長姉は精神を病んでいたのか不幸な結末だったが、残る6人はごく普通の小市民として、家を構え子を育て生を全うしている(していた)。決して「社会が悪い」などとうそぶいて悪に手を染めるなどはしていない。彼だけが人生の節目で、悪い曲がり角を必ず選んだ。彼の諸悪の事情はここに尽きる。
3回の人生挽回の機会を与えられていた(港湾労働などに正社員として就業)、その好機を裏切りで報いた。家庭環境が悪いから罪に走ったは言い訳、置かれた状況が己に好機であってもそれを押しのけ、異常(犯罪)を選び、悪の方角を選ぶ。悪に身を任せる永山が繰り返された。責任は永山自身に帰される、最高裁の判決(高裁無期の判決の差し戻し)には犯罪は個人責任、この思想が反映されている。

罪は個が犯しその責は個に帰す―と日本人は考えている。一時社会を風靡したBLM(Black Lives Matter)現象、黒人の人権を守る標語は正しいが過激だった。彼らにも「悪は社会」の責任転嫁が染み込んでいたのだろう。この運動が日本に定着しなかった理由は、日本人は「犯罪は個の責」がしっかり根付いているからだろう。LGBTQ法案が上程されるのか、可決するのかは分からない。しかしこの法の思想は個の主体性を否定するものだ。ある日私は女湯の前を通った、その途端に女と自認した、男性器はぶら下げているが女になって、女湯で覗き見放題の至福を堪能、陸上競技では優勝しまくり。
こんないかがわしい法は廃案にしてくれ、部族民は叫ぶ。

ソフト・オン・クライムとLGBTQの相関 補記の中の了

次回(10日)は「入管法改正」とLGBTの闇のつながり、乞う再帰閲覧。

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