神話北上説の追記
部族民通信は昨年のホームサイト(WWW.tribesman.asia)投稿にモンマネキ、月の嫁の両神話を比較している(食事作法の起源の続き1、2019年10月15日投稿)。サイトに入って確認いただきたいが、時間のゆとりある方は少ないので、その頁の要約PDFをデジカメで画像化して本ブログに貼り付けた。不鮮明画像で申し訳ない、鮮鋭なるPDFはサイトに入ってPDF頁に移り、PDF#13(モンマネキと月の嫁)を開けてください。
このPDFはfinaleのレヴィストロース記述(両神話は筋立ては逆立、意味は同一)を知る前だったから、部族民蕃神の独自(勝手)解釈に基づいている。分析の手法に共時因果(分析的理性)を横に経時因果(弁証法的解析)を縦にとる。

共時に家族の孤立、文化基盤を持つも踏み出すに不備(食事作法の未完成、周期性の不備)、同盟構築の希求を上げる。両の神話はこれら横の並びで統合されるとの意味合いを表に持たせた。
神話の意味をレヴィストロースはschemeスキームと表現し、部族民は共時因果、分析的理性としているが、両者共に同じ事を述べている。(またレヴィストロースはlangue(言語)とparole(言葉)のソシュール用語を引き出し、共時と経時に当てはめている=裸の男finale566頁)
両神話が筋において同一とのレヴィストロースの指摘は部族民蕃神において、共時因果の共通性に反映されている。これは同意見。
いっぽう経時因果、これはあらすじに他ならないが、それぞれが共時因果との絡みで経時展開を見せるとして、縦列に記載した。同盟結成、5回の失敗のあと村を去り、新天地に向かうまでがモンマネキ神話の筋である。月の嫁では月の神の娘さらい、食べ方コンクール、子の誕生が筋となる。レヴィストロースが指摘する神話の逆立とは、正逆に進む筋であるが、部族民の解析ではその思考はまったくに薄い。

PDFの全体
蕃神は筋立てに置いても両神話はベクトルを同じくするとしてしまった。どちらが説得力に秀でるかとふと迷うが、そうした優劣の比較は意味がないと気づいた。
レヴィストロースは神話筋立て、あるいは登場人物の性格行動などを幾つかの神話で比較し、同一(identique)、半分だけ一致(congurance)、逆立(inverse)に組み分けしていた。判断とは同意か反論か、プラトンの対話discours以来の智の伝統に受け継がれた解析法を彼が神話に使ったと見る。
一方、根っからの日本人なる蕃神は原人以来の包括思考、別の言い方では「何もかも一緒くた」に骨も身も浸かる訳だから、かの毅然を得られない。異質の裏に同一を探るのが智とする。レヴィストロースの指摘と部族民PDF表との食い違いは、智の有様と分析目的の差異が現れているだけと感じ入る次第です。
最後列に「預言者」とある。モンマネキ老母と舅(天上の神)が当てはまる、機会に現れてはことごとく「説教」を垂れる。モンマネキでは「ムカデゲジなどは文化食い物」でないとして、カエル嫁を追い出すなど。月の嫁では舅が息子二人に周期性を求め、嫁にはさわりは月に一回、子は十月十日(新大陸先住民は十月と数える)で胎から出でるを知れ...など小言らしきを曰う。二人を「預言者」とした、神の言葉を伝えるが預言で予言と異なる。
一神教の故地から遠く離れた新大陸でかような機能を持つ人に出会うのは驚きだが、これ以上踏み込めない。いずれなんとか「新大陸預言者」の起源を掴みたい。

レヴィストロース若かりし頃。
了
追記:Finale については一旦終了、しかし「構造主義」については未了です。しばらく書を漁り(といっても2~3冊)構造人類学をまとめてみたい。乞うご期待。
部族民通信は昨年のホームサイト(WWW.tribesman.asia)投稿にモンマネキ、月の嫁の両神話を比較している(食事作法の起源の続き1、2019年10月15日投稿)。サイトに入って確認いただきたいが、時間のゆとりある方は少ないので、その頁の要約PDFをデジカメで画像化して本ブログに貼り付けた。不鮮明画像で申し訳ない、鮮鋭なるPDFはサイトに入ってPDF頁に移り、PDF#13(モンマネキと月の嫁)を開けてください。
このPDFはfinaleのレヴィストロース記述(両神話は筋立ては逆立、意味は同一)を知る前だったから、部族民蕃神の独自(勝手)解釈に基づいている。分析の手法に共時因果(分析的理性)を横に経時因果(弁証法的解析)を縦にとる。

共時に家族の孤立、文化基盤を持つも踏み出すに不備(食事作法の未完成、周期性の不備)、同盟構築の希求を上げる。両の神話はこれら横の並びで統合されるとの意味合いを表に持たせた。
神話の意味をレヴィストロースはschemeスキームと表現し、部族民は共時因果、分析的理性としているが、両者共に同じ事を述べている。(またレヴィストロースはlangue(言語)とparole(言葉)のソシュール用語を引き出し、共時と経時に当てはめている=裸の男finale566頁)
両神話が筋において同一とのレヴィストロースの指摘は部族民蕃神において、共時因果の共通性に反映されている。これは同意見。
いっぽう経時因果、これはあらすじに他ならないが、それぞれが共時因果との絡みで経時展開を見せるとして、縦列に記載した。同盟結成、5回の失敗のあと村を去り、新天地に向かうまでがモンマネキ神話の筋である。月の嫁では月の神の娘さらい、食べ方コンクール、子の誕生が筋となる。レヴィストロースが指摘する神話の逆立とは、正逆に進む筋であるが、部族民の解析ではその思考はまったくに薄い。

PDFの全体
蕃神は筋立てに置いても両神話はベクトルを同じくするとしてしまった。どちらが説得力に秀でるかとふと迷うが、そうした優劣の比較は意味がないと気づいた。
レヴィストロースは神話筋立て、あるいは登場人物の性格行動などを幾つかの神話で比較し、同一(identique)、半分だけ一致(congurance)、逆立(inverse)に組み分けしていた。判断とは同意か反論か、プラトンの対話discours以来の智の伝統に受け継がれた解析法を彼が神話に使ったと見る。
一方、根っからの日本人なる蕃神は原人以来の包括思考、別の言い方では「何もかも一緒くた」に骨も身も浸かる訳だから、かの毅然を得られない。異質の裏に同一を探るのが智とする。レヴィストロースの指摘と部族民PDF表との食い違いは、智の有様と分析目的の差異が現れているだけと感じ入る次第です。
最後列に「預言者」とある。モンマネキ老母と舅(天上の神)が当てはまる、機会に現れてはことごとく「説教」を垂れる。モンマネキでは「ムカデゲジなどは文化食い物」でないとして、カエル嫁を追い出すなど。月の嫁では舅が息子二人に周期性を求め、嫁にはさわりは月に一回、子は十月十日(新大陸先住民は十月と数える)で胎から出でるを知れ...など小言らしきを曰う。二人を「預言者」とした、神の言葉を伝えるが預言で予言と異なる。
一神教の故地から遠く離れた新大陸でかような機能を持つ人に出会うのは驚きだが、これ以上踏み込めない。いずれなんとか「新大陸預言者」の起源を掴みたい。

レヴィストロース若かりし頃。
了
追記:Finale については一旦終了、しかし「構造主義」については未了です。しばらく書を漁り(といっても2~3冊)構造人類学をまとめてみたい。乞うご期待。