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蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 16

2019年02月21日 | 小説
(2月21日)
M475神話(Menomini族、東の空の姉妹(同書286頁から)を続けます。
若者が妻に選んだ老女が実は、もっとも若く美しく、その上、心遣いの優しさまで兼ね持つ。姉らが殺した9の同胞の心臓の隠し場所を教えた。夫はそれらを盗み取り、亡霊共を蘇生させた。裏切りーと夫婦は鬼天女に追われる。夫は先頭にたった鬼の義姉、長女の膝を打ち跛行者とさせた。村に戻ると蘇生させた9人実は兄、も戻っていた。兄弟はようやく10人にそろって東の空は鬼天女の住むところ、復讐に向かう。跛行者は数に入らないから、相手は8。これは弱い。(姉達とは別の悪の根源)の鬼を順に殺し、母も嘆きのあまり息絶えた。若者は兄達に配偶の9鬼天女を東の空に残し、西に向かい雷となれと指図した。

この神話を前回(2月19日投稿)で留意点とした1~4と対照すると、次の指摘が挙げられる;
1 成員10番目となる末弟に課せられた試練は常に厳しい。M475での試練とは見た目の醜い老女を嫁にせよと迫られる。というのは9の姉はすでに9の男を誘惑して心臓を抜き取っているから。勇気ある末弟は尻込みせずこの試練を受けて立ち、結果として麗しい妻を得ることとなった。(劣位を選択して幸を得る、先住民の多くの神話モチーフに見られる。日本民話に舌切り雀、花咲じいさんなど散見するが、新旧大陸、世界中に広まっていると言えようか。投稿子はこの辺りは素人なので)
2 末弟は9の亡霊を復活させて、己とあわせて数は10となった。兄弟集団の統治は末弟に移る事となる。
3 よみがえった9の男達は兄弟で若者が末弟であったとは、村で一同が会して確認できた。10にそろえば<<plenitude en puissance>の条件がそろった、復讐せむとまとまる。10の力は偉大なり。
4 10の姉妹が10男の心臓を必要とした。同盟の否定である。10番目が成人になったから達成する手筈が整った。しかしその若者の機転で失敗した。前回紹介のM476神話では10兄弟は10の姉妹を求めた。こちらは同盟の模索である。

写真:先住民は大きな数を数えられないと伝わるが、これは能力の差ではなく数進法の「思想」が異なるからである。Tukuna族の家族。

これら神話の紹介を経て皆様にして(先住民の考える)10の偉力に納得がいったと思います。2の数進法に戻ります(2月19日に一部解説)
助数詞とは数えの順番で、その中には数量の意味はない。Wikiで調べたら日本語は助数詞が発達していない言語の一典型なので、我々には理解が難しい。そこで「チュウ、チュウ、タコ、カイ、ナ」を助数詞とした。順番のみを規定する数なのでチュウもタコも含意は序列。すると個別での使用はあり得ない。3姉妹と聞いたら意味は明瞭だが、タコ娘などと個別の使用となったら意味不明なうえ、否定的に誤解されてしまう(あえて伝えるとするは5姉妹の3番目。前回にこの点は言及した)。

一方数量を規定する基数詞(基本数詞)の本来の使用法は個別です。5人男、100万都市、1000万と雖も我行かんなど、かく個別に使用しても意味が通る。これは100、1000などの基数詞には絶対数量の「100」「1000」が思想として含意しているから。レヴィストロースは以下に説明します;
<<Entre le nombre ordinal et le nombre cardinal, la somme arithmetique assure une sorte de mediation, puisqu’elle permet tout a la fois aux nombre de paraitre l’un apres l’autre et d’etre present en meme temps>(289頁)
訳;序数詞と基数詞には、算術的合計が仲介役としてはたらく。なぜならこの合計を通して数詞とは順列であると同時に、同時に出現するを許すからである>
解説;基数詞は個別使用としたが、序数詞的にも使用される。イチ、ニ、サンと順番に数える。これは常にその時点での算術合計を認知したいとの希望があるためである。序数としてタコとはサンにあたり、その仲介者(medeiateur)は3という絶対数であるとレヴィストロースが教えてくれている。「数え方始め」で列を作る成員が右から左に「イチニサン」をつなげ、15で終われば、列の絶対数はたちどころに15と掴める。
これは基数詞を序数化する例である。

新大陸先住民は(神話で読む限り)数のまとめを序数に置いている(レヴィストロースはそこまで論じていないが、論理の成り行きで投稿子はそう感じる次第)。序数にあたる1,2,3....に固有の数詞を当てはめ(例えば長兄、次兄、タコ兄などか、6兄までの固有数詞が再現されているらしい)あくまで順列に重点を置いている。そして重要な数詞は物事の始まりとしての長兄と締めくくりの10番目の末弟、benjaminとなる。神話の骨子はおおむね、末弟が試練かいくぐり、統治を委譲させるが長兄の反逆となる。その間2~9成員は希薄である。

<<Nous avons souligne cette difference entre pensee scientifique et pensee mythique : l’une travaille avec des concepts, l’autre avec des significations ; et si le concept apparait comme l’operateur de l’ouverture de l’ensemble, la signification apparait comme l’operateur de sa reorganisation>(290頁)
訳;科学的思考と神話的思考の差異はすでに説明したが、これは(科学思考は)コンセプトに基づいて働き、一方(神話的)は意味合いで働く。コンセプトは集合体の開示として現れ、意味合いは再構成として現れる。
解説;数進法での科学思考とは基数詞優先、それを序数としても用い、その思想の「絶対数」を常にコンセプトとして内包する。神話的とは1~10の順列を優先し、それぞれの数詞に持たせるが、10には特別の意味合いを持たせる。10に達して集合体が動き出す。2の数進法における「思想」の差異を説明している。

レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 16の了
(次回予定は2月23日)
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