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蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 14

2019年02月15日 | 小説
(2月15日)
M465神話のあと数進法に論点が移ります。各地の神話の主人公の兄弟姉妹の数から5進法、6進法などの例を挙げるが、民族名など投稿子は門外漢なので字面を斜め読みすると、北米でも10進法が支配的として;
<< Quelle valeur s’attache a la dizaine.? Bien que les connaissances sur les systems numeriques des indiennes laissent beaucoup a desirer, on sait que les systems decimaux reganaient en Amerique du Nord. En revanche, a l’ouest des Rocheuses, on trouvait des systems tres divers:>(同書276頁)
訳;10のまとまりの価値とはなんだろうか。アメリカインディアンの数システムについては十分な知識が集められている訳ではないが、北米では10進法が主流。しかしながらロッキー山脈の西では他の数進法が用いられている。それらは<<quinaires-vigesimaux, quinaires-decimaux, decimaux purs, ou quternaire>の進法である。
見慣れない語が並びます。辞書に照らすと5進20進法、5進10進法、純粋10進法、4進法など。そこで数進法の理論が紹介される。

<<On a propose (Salzmann) de classer les systems numeriques en function de trois criteres> ザルツマン氏は世界中の数進法を3の基準を設け分類したと。1 constitution基本。これは数を示す用語が還元(termes inirreductibles)できないか、派生(合成derives)されているかを識別する。すなわち十進法では1~10までは還元できない固有の語(イチニィサンシ…)かまずあって、10を超してから派生語ジュウイチ(10+1)ジュウニ(10+2)が出てくると分析できる。
(ちなみにフランス語では11をディス(dix)アン(un)とはせずonze(オンズ)と言う。onはun 、zeはdixの短縮と考えられる。以下12douze、13treize。この辺りはetymologie語源学の分野にして小筆は門外漢なので当てずっぽうです)
2サイクル。特定の数字が「折り返し点」となり一から始める仕組み。イチニィ…は10,20,30…で折り返す。 3オペレーションメカニズム。これは例えばニジュウニなる意味が数量として22であることを担保する仕組み。足し算の原理と理解すればよろしい(と解釈した)。投稿子は10進法に生きてきたから、上記1~3はすんなり理解できる。
しかしレヴィストロースは<<D’autres auteurs ont objecte que cette reforme laissait encore trop de champ aux interpretations subjectives.訳;この立て直し作業(Salzmannの説そのもの)は主観的解釈の余地を残すと幾人かの研究者(レヴィストロースのこと)からの反論を呼んだ。

尊師レヴィストロースはここで奇妙な数え方を報告する。eskimo, athapaskan, penutien族(エスキモはご存じ、アサバスカはエスキモの隣接部族。アラスカ、カナダ北東部に居住。ぺニュチアンはgoogleで探査出来ず)。彼らは1から6までを特定する用語を持つ。それら1~6は還元できないから(6=5+1と表現しない)基本とサイクルで6進法となる。しかし3のオペレーヨンメカニズムで狂ってくる。7を指す数値を6+2とする。以下8=6+3、9=6+4と数える。

写真:アサバスカンの男たち。彼らが7=6+2と表現するのは折り返しの6を超すと6の充満性が欠けると考えたのか。ネットから採取。

これは足し算の原理に反している。どの先住民にしても、おそらく、7=6+1の原理は知るだろう。しかるに7=6+2とするのは数進法のあり方、言うなれば数の単位とそれに結びつく「思想」に対する定義が、彼我で異なるのだ。レヴィストロースは示唆する。(「数とは物」と「定義には思想が含有する」)を対峙させている。これは構造主義としての解釈です。Salzmann(合理的解釈の)定義では7=6+2の論理は説明できない。となると人類学の基本に戻るべき;
<<Dans le domaine de numerologie comme ailleurs, il faut determiner l’esprit de chaque systeme sans introduire les categorie de l’observateur> 訳;それ以外分野でも同様のことが指摘出来るが、特に数進法においては、観察者の持つ定義づけを導入せずに、それぞれ(先住民の)システムについての「理念、エスプリ」を解明すべきだ。人類学者として自身の方向をかく定めた。独特の数進法を展開する;

<<Entre le nombre ordinal et le nombre cardinal, la somme arithmetique assure une sorte de mediation,puisqu’elle permet toute a la fois aux nombres de parraitre l’un apres l’autre , et d’etre presents en meme temps>(289頁)
訳の前に若干の解説を。
観念的に数詞を捉えると1量を表す数詞。これをnombre cardinal白水社の大辞典で基本数詞とする。GRに当たるとgrandeur mathematique, puissanceその数字が表す大きさとある。これに対峙するのがnombre ordinal(序列数詞、le rang d’un element dans un ensemble bien ordonne.一つの集合体の中での数え方の順番。出典は同)とある。白水社ではun1をcardinal、premier最初をordinalと分かりやすく例証している。より分かりやすい例を挙げると1,2,3,4,5はnombres cardinauxである。チュウ、チュウ、タコ、カイ、ナ(5を数える古来の手法。チュウで1をとってナで終われば5となる)は順番の規則性を持つが数量は示さない。故にnombres ordinauxである。
2通りの数詞に加えレヴィストロースはla somme arithmetique 足し算合計なる概念を導入した。cardinalの1,2,3自体が合計(数量)の概念を含むのだが、あえてsommeを別だしとした根拠とは1,2,3は表面的言い回しでその奥に思想に(数量)が潜む。(またまた)構造主義を持ち出した。そしてcardinalに潜む数量には不均衡、未達成、均衡、飽和などの概念が加わるとも(後の段で)展開する。
以上を予備知識として前引用を訳す;序数詞(チュウチュウ…)と基本数詞(1,2,3…の間)には合計数量が仲介役として働いている。なぜなら、この合計数を持ってして、数とは順繰りに出てくるし(最初の次が2番目、その次が3番目を規定する)、それまで出現した序列数詞は必ず(同時的に)存在するからである。数進法をsyncronie(共時性)とdiacronie(経時性)として説明しています。
そして<<la notion de decade nous a suggere qu’elle exprimait la plenitude>(288頁)
訳;10日間(あるいは兄弟10人の単位など)の思想は充満、横溢を表していた。

Salzmannの数進法解説では先住民が数値に抱くcardinal(基本数)の思想を解明できないとの指摘です。

レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 14の了
(次回2月18日を予定)
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