どの時点で日蝕の為に潮岬に行くと言う気分になって来たかは定かでない。
しかも南に行くほど空模様が怪しいと聞きながら、「えいままよ」とこだわったものです。
潮岬の燈台の近くの広場はまさにテント村だった。アルプスの涸沢のようなムードで、色彩も華やかでした。
とりあえず夜食を買う為に串本の街に出かけた。A-Coopがあって、食料を仕入れて戻るときに、大島の灯台付近はどうだろうと立ち寄り、結局は大島で、沈殿してしまった。
左:駐車場の看板 右:遊歩道の入口
串本町は、日食キャンペーンをやっていたようです。至る所で見かけた。観光客としては楽しいです。
大島の東の岬付近です。
目の高さ(4.5m)に見える燈台というのもあまり見かけませんが…。
明治三年、「かのえうま」の設立、6月10日、初照らし。石造の燈台で、現役としては最古だと言う。
ライトが廻りだした。巨大なレンズですね。34kmまで届くそうです。
石造りの技術は、やがて大きな高さの燈台を作ることになる。
人命救助で、赤十字の企画のモニュメントもある。壁画には遭難した様子の壁彫刻がある。記念館の外面である。
ここからの風景も朝日夕陽百選の一つです。
しかも南に行くほど空模様が怪しいと聞きながら、「えいままよ」とこだわったものです。
潮岬の燈台の近くの広場はまさにテント村だった。アルプスの涸沢のようなムードで、色彩も華やかでした。
とりあえず夜食を買う為に串本の街に出かけた。A-Coopがあって、食料を仕入れて戻るときに、大島の灯台付近はどうだろうと立ち寄り、結局は大島で、沈殿してしまった。
左:駐車場の看板 右:遊歩道の入口
串本町は、日食キャンペーンをやっていたようです。至る所で見かけた。観光客としては楽しいです。
大島の東の岬付近です。
目の高さ(4.5m)に見える燈台というのもあまり見かけませんが…。
明治三年、「かのえうま」の設立、6月10日、初照らし。石造の燈台で、現役としては最古だと言う。
ライトが廻りだした。巨大なレンズですね。34kmまで届くそうです。
石造りの技術は、やがて大きな高さの燈台を作ることになる。
人命救助で、赤十字の企画のモニュメントもある。壁画には遭難した様子の壁彫刻がある。記念館の外面である。
ここからの風景も朝日夕陽百選の一つです。
夕陽朝日の標識は、平板でなく、凹んでいるので、凹面鏡になっています。
百か所を廻る人がいてもいいのに、あまり聞きませんね。和歌山県の人なら巡回するかも…。
だから朝日も白日も夕日も海上に見えるのでしょう。
それからここからは夕陽も朝日も見られるんですね
羨ましいなぁ