2008.11/19-20に秋色の法華寺をアップしています。
天平元年(AD729)聖武天皇の皇后として、藤原不比等の娘の光明皇后が就きました。民間からの皇后は最初です。
光明皇后は、国分寺を全国に設立されたことに鑑み、国分尼寺を全国に設立しました。今年は光明皇后が亡くなって、1250年忌に当たります。
彼女は、悲田院や施薬院を建立して、庶民の病人治療・孤児救済・貧困者の救済などを実施しました。その第一号の国分尼寺が法華寺です。総国分尼寺でした。
丁度、白梅が一輪咲いた2/8の頃でした。
天平の大屋根は堂々たる物です。スキーでも出来そうなほどのスロープを持っています。
明治時代の小説家、高山樗牛(ちょぎゅう)の作品に出てくる「滝口入道」と「横笛」の悲恋物語に登場する横笛は、ここ法華寺で出家し、行い澄ましていたといいます。
法華寺の総門から約50m外に出たところに、何と「横笛地蔵菩薩」のお堂がありました。これまで気付かなかったものでした。
天平元年(AD729)聖武天皇の皇后として、藤原不比等の娘の光明皇后が就きました。民間からの皇后は最初です。
光明皇后は、国分寺を全国に設立されたことに鑑み、国分尼寺を全国に設立しました。今年は光明皇后が亡くなって、1250年忌に当たります。
彼女は、悲田院や施薬院を建立して、庶民の病人治療・孤児救済・貧困者の救済などを実施しました。その第一号の国分尼寺が法華寺です。総国分尼寺でした。
丁度、白梅が一輪咲いた2/8の頃でした。
天平の大屋根は堂々たる物です。スキーでも出来そうなほどのスロープを持っています。
明治時代の小説家、高山樗牛(ちょぎゅう)の作品に出てくる「滝口入道」と「横笛」の悲恋物語に登場する横笛は、ここ法華寺で出家し、行い澄ましていたといいます。
法華寺の総門から約50m外に出たところに、何と「横笛地蔵菩薩」のお堂がありました。これまで気付かなかったものでした。
勉強になりました
まさに歴史の勉強のようです。
奈良時代。今から遙か昔の
王朝貴族の時代ですね。
国分尼寺なんて今は現存する
ものがあるのかと思っていま
したが、あるんですねぇ。
それと、この時代、男尊女卑のような感覚はなかったと思われます。
天皇は男でないと駄目だと言う考えもなかったのでした。
聖武天皇が幼いので成長するまで、女帝が続くなど、何の違和感もなかったのでしょう。
あっ!脱線しました。
なかなか尼寺は、一般公開が難しく、法華寺でも厳しいものがあるようです。
旭川は今年たったの開基120年なんですよ~・・。
比布神社で、開拓者魂で、切り開いていった時代を思い起こしました。
アメリカの西部開拓に教会は不可欠、シベリアの開拓でも同じで、キリストのイコンを手にして励みにしたようですね。
神社が心の拠り所になったのだと思うと、現在の人たちは罰が当たりそうですね。