昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

法華寺(国分尼寺)

2010-02-16 | 歴史・文化遺産
2008.11/19-20に秋色の法華寺をアップしています。

 天平元年(AD729)聖武天皇の皇后として、藤原不比等の娘の光明皇后が就きました。民間からの皇后は最初です。

 
 光明皇后は、国分寺を全国に設立されたことに鑑み、国分尼寺を全国に設立しました。今年は光明皇后が亡くなって、1250年忌に当たります。 





彼女は、悲田院や施薬院を建立して、庶民の病人治療・孤児救済・貧困者の救済などを実施しました。その第一号の国分尼寺が法華寺です。総国分尼寺でした。





丁度、白梅が一輪咲いた2/8の頃でした。





天平の大屋根は堂々たる物です。スキーでも出来そうなほどのスロープを持っています。






明治時代の小説家、高山樗牛(ちょぎゅう)の作品に出てくる「滝口入道」と「横笛」の悲恋物語に登場する横笛は、ここ法華寺で出家し、行い澄ましていたといいます。





法華寺の総門から約50m外に出たところに、何と「横笛地蔵菩薩」のお堂がありました。これまで気付かなかったものでした。

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6 コメント

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おはよう(^o^)丿 (アガリ)
2010-02-16 05:38:17
昔は尼寺が病院や福祉施設の役割をしていたんですね
勉強になりました
光明皇后 (地理佐渡..)
2010-02-16 06:18:51
おはようございます。

まさに歴史の勉強のようです。
奈良時代。今から遙か昔の
王朝貴族の時代ですね。
国分尼寺なんて今は現存する
ものがあるのかと思っていま
したが、あるんですねぇ。
アガリさんおはよー (tetu)
2010-02-16 10:24:09
 まさに女性は母の優しさでしょうね。最近はわが子も手にかけると言う話もありますが…。

 それと、この時代、男尊女卑のような感覚はなかったと思われます。
 天皇は男でないと駄目だと言う考えもなかったのでした。
 聖武天皇が幼いので成長するまで、女帝が続くなど、何の違和感もなかったのでしょう。

 あっ!脱線しました。
地理佐渡..さんへ (tetu)
2010-02-16 10:29:40
 国分寺は、遺跡が全国多数残っていますが、同時期に発案された国分尼寺の総代でした。

 なかなか尼寺は、一般公開が難しく、法華寺でも厳しいものがあるようです。
う~ん (旭川3sen6gouの まりあ)
2010-02-16 14:37:21
1250年忌ですか~!

旭川は今年たったの開基120年なんですよ~・・。
旭川のまりあさんへ (tetu)
2010-02-16 20:27:07
 TVで見ましたよ。旭川120年記念。

 比布神社で、開拓者魂で、切り開いていった時代を思い起こしました。

 アメリカの西部開拓に教会は不可欠、シベリアの開拓でも同じで、キリストのイコンを手にして励みにしたようですね。

 神社が心の拠り所になったのだと思うと、現在の人たちは罰が当たりそうですね。 

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