高山病でボリビアの首都ラパス滞在の二晩は食事抜きであった。が少し元気になる。
ペルーの空港の標高は3248mとある。

クスコの町の高台にある「サクサイアマン要塞」

夕食は、♪「コンドルが行く」♪、この篠笛は肺活量が大きいかも。

マチュピチュ行きの列車。

終点からバスで登る。下に見える川から、つづら折れの道路を登る。

料金所から最初に見える風景。

前方の山の斜面にも段々畑がある。文字がなく、紐の結び目での伝達しかないので、近年まで謎の文化として知られる。

マチュピチュから首都リマに向かいます。数年前日本大使館がテロに襲われ、銃弾の跡などが残っている。
リマからセスナ機で、ナスカの地上絵へと向かった。

ダラス、そしてサンノゼ経由で帰国した。2000年~2001年の9日間のツアーでした。
※ペルー・ボリビアのblogの全文は、
2012-11-23~2012-11-27と
2012-12-21~2012-12-29
でアップしています。
ペルーの空港の標高は3248mとある。

クスコの町の高台にある「サクサイアマン要塞」

夕食は、♪「コンドルが行く」♪、この篠笛は肺活量が大きいかも。

マチュピチュ行きの列車。

終点からバスで登る。下に見える川から、つづら折れの道路を登る。

料金所から最初に見える風景。

前方の山の斜面にも段々畑がある。文字がなく、紐の結び目での伝達しかないので、近年まで謎の文化として知られる。

マチュピチュから首都リマに向かいます。数年前日本大使館がテロに襲われ、銃弾の跡などが残っている。
リマからセスナ機で、ナスカの地上絵へと向かった。

ダラス、そしてサンノゼ経由で帰国した。2000年~2001年の9日間のツアーでした。
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2012-12-21~2012-12-29
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水などは確保できたんでしょうか
都市よりも高い山々があって、雪解け水でしょうね。アメリカや、日本も、色々な援助をしています。橋を造ったり、飛行場を造ったり。
大晦日の町中で上がる花火は、綺麗でしたよ。
攻められないために、いところに作ったのでしょうか。不思議ですね。
何か国にいっているのでしょう。行ってない国のほうがすくなそう。
映画が好きで、外国の風景にあこがれていた少年時代後半でしたね。
年金暮らしになって、じかんによゆうができたもので、ついつい、出かけてしまいました。
ネイチャー冒険物の映画が影響していたかもしれませんね。
けっこう長く川沿いを列車に乗って、
けっこうな高さにつづら折りの道をバスで登って、
石積みの町というか村というかの遺跡へ・・・。
長時間かかっても、来てよかったと思いましたね。
石積みの遺跡が多くて、その石積みの技術がすごいんですよね・・・。
ロープでツずった情報交換の理解できる人が連れ去られたのが残念でしたね。謎の文明ですね。
何故?とばかりでした。
インカ帝国は立派な一大王国だったことでしょう。
行ってよかった~。
いつまでも、このままの姿で残ってほしいですね。
デジカメなら、もっともっと、写真が撮れたと思います。
HPにはアップしています。こちらのDATAには残っていますが、どうかすると呼び出せるかもしれません。大同小異ですよ。