ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

各国立大学は、緊急アピールに引き続いて地域の声を集めよう

2010年07月08日 | 日記
先日のブログに対して、“しみず”さんから有益なコメントをいただいたので、再度各国立大学に呼びかけをさせていただきます。

“しみず”さんからのコメントを再掲します。

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緊急アピールは、大学単位では効果が薄いと思います。政治の側が知りたいのは、大学の意思ではなくて、大学を取り巻く社会の意思です。大学の意思形成も大切ですが、大学を取り巻く社会の意思形成に取り組むべきと考えます。県単位でよいから、我が県の国立大学を考える県民フォーラムを、早急に企画する必要があると思います。そこでは、国立大学に対する激しい非難が出てもよい。そういったものを出し尽くして、我が国立大学はこの地域でこのようにやってきた、そしてこの地域でこれからこのようにやっていく、ということこそ、大学単独としてより「我が県の国立大学を考えるフォーラム」として「アピール」すればよいと思います。
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私も、“しみず”さんのおっしゃるように、地域の声を何らかの形で集めることが大切であると思います。アピールだけだと組織の保身のためだけの当事者のアピールと思われる恐れもありますからね。しかし、そうかといって黙っていてもやはり理解されないので、第一段階としてはアピールする必要があると思います。

私が三重大学長の頃、平成19年に緊急声明を出した時は、三重県知事さんや津市長さんが、すぐに動いてくれました。地域の方々が動いてくれたのは、三重大学がそれまで果たしてきた地域貢献活動を、地域の人々からそれなりに評価していただいた賜と思っています。

三重大学に限らず法人化前後から各大学ともかなりの地域貢献努力をしてきたし、その情報発信もしてきたと思っています。各大学の地域貢献や教育研究に関する新聞記事も、以前に比べるとかなり増えていると思います。ただし、大学の有する教職員数や予算にも限りがあり、ある程度の余力がないと地域貢献もできないので、まだまだ地域の人々が望んでいる地域貢献とはズレがあるかもしれません。ただ、そのような大学の限界も含めて、この機会に大学の役割について地域の人々とフランクなコミュニケーションの場をもつことは、“しみず”さんのおっしゃるように大切なことと思います。

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5 コメント

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アピール (しみず)
2010-07-08 16:31:51
国立大学として(これは、個別の国立大学としてと、国立大学全体としての、両方)のアピールと、国立大学を擁する地域社会としてのアピールと、両方必要だと思います。大学自身としては、これまでの実績(特に、世界に誇るべき成果と同時に、地元の地域社会への貢献)とともに、はっきりとした反省点、そしてそれらから導き出されるはっきりとした展望(欲望と言えるくらい強いものでよい)を、わかりやすく具体的に表明する必要があると思います。地域の側からは、まずは地元の国立大学について考えていただくのが先です。また、考える場や機会を設定する必要があります。県民全体というのは、理想ではありますが、事実上無理ですし、そういった全体集会も必要ではありますが、それは最後に、だと思います。その前に、県内のいろいろな団体やコミュニティーに(これは、大学職員全体や、附属病院職員全体といった団体も含みます)、問題提起をして考えてもらう、議論をする場を持つ、そしてそれらを取りまとめることが必要です。それぞれの団体(多様でよい、多様なほどよい)が、それぞれの団体の立場や関心で、地元の国立大学に対して、今までの業績として評価すること、不満や批判、そして今後どうあってほしいか、どうあるべきか、具体的に何を望むか、ということを、出してもらう。それを平均化するのではなく、分野別にまとめて、全体像を形作る。つまり、総論と各論としてまとめる。それを地域社会の総意として出す。県民全体を巻き込む必要がありますが、あくまで漠然とではなく、小さな単位から始めて、それらをまとめていく必要があると思います。大学職員も、附属病院職員も、地域社会の住民ですから、その見方からまずは考えて、やってみる必要があると思います。県立大学と国立大学は、立場と任務(使命)が違うと思っています。私は、県立大学の任務と役割に期待し、推進する立場にありますが(県立の方がその役割も使命もはっきりしていますし、大義名分も立てやすい)、「国立大学というもの」が(大都会を含めた)地方という場に存立するときの役割や使命とは何か、ということについて、大学自身とともに、地域社会自身が考えるべきだと思います。そのとき、これはとても言いにくいことですが、国立大学は地域社会に謙虚に頭を下げるべきだと思います。そして、地域社会は、国立大学をあたたかく迎え入れてあげるべきだと思います。
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専門部署 (しみず)
2010-07-09 11:31:31
各国立大学は、すぐに地域社会(都道府県民)に大学を理解し考えていただくための専門部署(組織)を立ち上げるべきだと思います。やる気の無いただのなんとか委員会とか、なんとか係ではだめです。必死な専門組織(専門家)として、です。そういった組織を作ること自体、わずかかもしれませんが、大学の姿勢のアピールになります。下世話な言い方かもしれませんが、「誠意を見せる」「やる気を見せる」こと、そして実際にやることです。その任務や必要性を、全教員、全職員に自分たちの問題として徹底させる必要があります。国際的な業績も大切ですが、業績の大きさ如何に関わらず、それを地域社会に対して、地域社会にわかるような言葉で紹介し、理解していただく努力を、果たして十分にしてきたでしょうか。これは、幼稚な説明をせよ、という意味ではありません。学者だって、専門外のことは、よくよく噛み砕いて説明してもらわないと、まったくわかりません。そのような努力が全然なされなかったとは言いませんが、まったくの不十分だったということも事実だと思います。どのように大学をわかっていただくか、これはもう立派な研究です。独立した講座や研究室としてもよい(ただし、大学として公の任務を負います)。そこでの取り組みや成果は、決してNatureやScienceには載らないものです。外国の雑誌に載せることも難しいでしょう。むしろ、国内雑誌、日本語雑誌にどんどん載せる方がふさわしい。でも、その取り組みや成果は、大学の運命を握ります。ひとつの大学のおいて、研究者や講座や研究室がばらばらにやっても効果は上がりません。だいたい、研究者は社会的なアピールや付き合いや礼儀が、非常に下手です。効率的効果的に伝え、効率的効果的に意見や評価や要望を取り込み、大学の運営に反映させる専門組織が必要です。大学や大学病院は、言ってみれば、個人商店の集まりです。それも、他のお店にはできるだけ干渉せず、他のお店のことはよくわからない、わかろうともしない、ばらばらのお店緒集まりです。これを「商店街」にしなければなりません。利便性のあるモールにしなければ、社会はその価値を理解できません。
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ビジョン形成 (しみず)
2010-07-11 10:59:32
今までの取り組みや業績は確かに大切ですし、大きな評価ポイントかもしれませんが、社会や行政は、ある意味では投資家ですから、国立大学は、今までの業績や反省を踏まえつつも、同時にそれらとは関係なしに、これからのビジョンをどれだけ描けるか、アピールできるかだと思います。そのビジョン形成は、今まではあまりにも大学の独善的で独りよがりな面があったように思います。「これこれが重要である」という表現を大学は好んで使いますが、「そんなことを思っているのは、あなただけでしょう」、「本当はあなた自身、そうは思っていないでしょう」というものが非常に多い。学問や研究というものが、なぜか錦の御旗のような感覚になっていた面もあります。今からは、このビジョン形成を、社会といっしょに、地域社会といっしょに行わなくてはならないのでしょう。決して、地域社会に尾を振れという意味ではありませんが、これができないと、行政も社会も投資してくれません。予算は過去へのご褒美ではない。これは、どう考えても「やらなくてはならない」ものですから、どうやったらよいかを必死に考える必要があります。そして、地域社会から、国立大学はどうしたらよいかの知恵やアイデアをいただく必要があります。どんなに非難されてもよい、ただし、非難するからにはアイデアを出してもらう。それには、大学をもっともっと知ってもらう必要がありますし、地域社会とのご縁を育てなくてはなりません。
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大学を大切に思うということ (三重大学卒業生)
2010-07-18 00:03:09
>三重大学に限らず法人化前後から各大学ともかなりの地域貢献努力をしてきたし、

確かに、三重大学が地域に貢献してきたであろうことは分かります。しかし、本当に大事なのはそういう利益・不利益ではなく、「三重大学が好きだから」という思いを持たせることだと考えます。

僕個人は三重大学が好きです。その理由の1つとして、ゼミの教授に本当にお世話になったと感じているからです。

ようは、確かに世間に声明を出すことも大事ですし、大学内のソフト・ハードの改善なども大事ですが、それと同じぐらい、学生や地域の住民と接する職員、教員の心構えを変えることも大事だと考えます。

例えば、三重大学職員の採用面接を受けた学生に、「あんな面接官のいる職場で働きたいと思わない」などと思われているようではダメだということです。

いかに「三重大学ファンを増やすか」も現場レベルで考えなくてはならないと思いますし、いざというときに助けてくれるのはそういう利害を抜きにして「三重大学が好き」と言ってくれる人たちではないでしょうか。
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ファン (しみず)
2010-07-19 08:03:25
先生の言われるとおりだと思います。そのためには、職員が自分の大学のファンになり、職員が地域社会を好きになる必要がありますし、またまたそのためには、職員が地域を知って地域を好きなる必要があります。地域の側も大学を知る(大学の職員と、その仕事・業績)必要があります。現状は、あまりにも、双方ともに知らなすぎると思います。三重大学でよい状態を先生が創り上げられたことは存じ上げていますが、返って私が今在籍する大学の現実を見てみると、「地域」なんて言った日には、白い目で見られ、おまえもとうとう第一線から脱落した負け組みになるのかと思われるのが関の山です。そんなこと、大学教員の仕事じゃないと思っている人間が圧倒的です。まして国立大学の仕事じゃない、と思っています。今や、大学の先生は、「研究員」であって、「学者」ではないという状態です。「識者」でも「文化人」でのないということです。当人も、まわりも、そのように思っていない。そして、地域から見ても、「国立」大学は「遠い」「立派な」「別世界」の存在です。このあたりを、どうしたらよいのでしょうか。先生は三重大で、そのあたりの意識をどう改革されたのでしょうか。そのあたりが、先生に提言していただきたいところですし、それができる先生はとても少ないと思います。



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