ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

政策・政治リスクへの対応(大学改革の行方その17)

2012年10月12日 | 高等教育

 国立大学の政策・政治リスクへの対応について、科学研究費獲得額による運営費交付金配分試案の一件と、附属病院に対する経営改善係数という2つの例をあげてお話をしましたが、今日は、政策・政治リスクの話のまとめです。

 この二つの事例以外にも、国立大学の政治・政策リスクの事例はたくさんありますね。たとえば、2010年の「元気な日本復活特別枠要望」に対してパブコメが求められた一件も記憶に新しい事例でした。

 これは国の財政難から、10%マイナスのシーリングがかけられ、特別枠を設けて各省からの要望を集めて、パブコメを参考にして一部の予算を復活させるという概算要求の方式が実施されたんでしたね。

 この時、国立大学の皆さんは大きな危機感を抱き、パブコメを必死になって集めました。

 福井大学長の福田先生は、自ら福井駅の街頭にお立ちになって、市民にパブコメを出していただくようにお願いされました。学長が街頭に立って、道行く市民にお願いするなんて、今までの常識では、とても考えられない光景が実際に展開されたわけです。

 そして、全189事業に対して36万件のパブコメが集まったのですが、そのうち文科省関係の事業に、実に28万件のパブコメが集まったんです。その中で、「小学校1,2年生における35人学級の実現」という事業を除けば、大半は高等教育や科学技術に関する事業でした。

 この数字から、大学関係者がいかに大きな危機感を抱いたかがわかります。そもそも、大学人というのは、いろんな考え方を持つ多様な人々の集まりであり、まとまって動くことが非常に苦手な人種です。にもかかわらず、小中学校の事業に対するパブコメよりも多数集まるとは、誰も想像できなかったと思います。

 この文部科学省関係の事業への突出したパブコメ数に対して、一部のマスコミや財務省は、組織票であるとして痛烈に批判しました。そして、財務省は文科省の要求に対して特に厳しく査定する旨の文書を出しましたね。

 先ほどもご説明したように、大学人は基本的には自由人的な性格の人が多く、特定の組織が幅を利かせているわけではなく、いわゆる”組織票”というものはないはずなんですけどね。

 僕は、これだけのパブコメ数に対しては、たとえ、大学人が一般市民にもお願いをして、パブコメの記入を呼び掛けたということがあったとしても、政治家や政策決定者は無視できるものではないと思いました。このような”良い意味での政治力”を持つことは、僕は非常に重要なことであると考えています。最終的に政策を決めるのは”政治”ですからね。

 このような、政策・政治リスクは、「緊縮財政+選択と集中」政策の潮流のなかで、様々な表現型で断続的に押し寄せてきます。今までに断続的に押し寄せた波を以下にまとめてみました。

  国立大学は国から守られている存在ですが、一方ではこのような政策・政治リスクの波を受け続けており、将来の見通しが立たず、一部の大学を除いては存在基盤がきわめて弱く不安定な状況に置かれているという感じがします。

 このような政策・政治リスクへの対応としては、まずは、データに基づいて主張することが重要です。今回、データの収集分析がいかに大切かということを、2つ例をあげてご説明しましたね。特に、国立大学附属病院においては、しっかりとしたデータベースセンターが設立され、国民にとって非常に有益な、大学病院のデータが集積されて、分析されています。このデータは、各大学病院の経営改善に役立つばかりではなく、適切な政策決定の根拠となるデータを提供しています。

 次に、政策・政治リスクに対して、大学が自己保身と受け取られる主張をしても通りません。あくまで、国民や地域のための主張をするべきです。大学は国民や地域のために存在するわけですから、仮に、国民や地域から役に立たないというような評価を受けたならば、大学はいさぎよく消滅するべきです。しかし、大学が実際には地域に非常に大きな貢献をしていても、それに気づいていただけずに、間違った政策判断がなされると、国民や地域のためになりません。

 そして、最終判断は政治がする、つまり、国民が決めるわけなので、一般の国民の皆さんにマスコミやSNS等を通じて大学の価値についてご理解を得る努力をするとともに、国民や地域の代表者たる政治家の皆さんのご理解を得ることが重要なプロセスになります。


 最後に、今回、文部科学省が出した「大学改革実行プラン」に対して、国立大学はどのように対応するのか、ということについて、まったく殴り書きのようなスライドですが、思いのほどをぶつけてみました。

 今の日本の、すべてが縮小して沈滞するしている社会状況において、大学に対する国民の期待は大きく、それと裏腹に大学に対する見方も厳しいものがあります。国民や政治家には、社会を変革するエンジンとしての大学に大きな期待をするとともに、大学にまかせておくと動きが遅くていつまでも待っておれないという焦りがあるようです。つまり、社会が期待する改革のスピード感とのずれが大きい。

 そのような切羽詰まった状況で出されてきたのが、今回の「大学改革実行プラン」なのでしょう。

 つい先日も、国立大学のミッションの再定義についての、文部科学省の説明会があったばかりですね。

 ミッションの再定義は、各学部ごとにミッションを再定義し、各大学の強みをエビデンスにもとづいて明確にするということのようです。地方大学においても、それなりに世界と戦える、あるいは地域に貢献のできる”強み”があるはずですからね。その強みをさらに伸ばして、場合によっては複数の大学で連携・統合して強みを合わせれば、世界と戦える大学や、より地域に貢献できる大学をつくることができるかもしれません。

 そして、「国立大学改革プラン」なるものを来年度半ばには、文科省がまとめるということのようです。

 でも、2004年の国立大学法人化で大改革をやって、各大学とも改革疲れとも言われる状況も生じて学術論文数が停滞~減少し、交付金は減らされ続けて人も給与も減らし、それぞれの大学が持てる資源の中で一生懸命がんばって現場が疲弊しているにもかからわらず、なぜ批判され続けなければいけないのか?もう、いい加減にしてくれ、というような大学関係者の声が聞こえてきそうな気もします。下手をすると、大学の皆さんがやる気をなくしてレイムダックになってしまうリスクもあるのではないかと、ちょっと心配になりますね。

 今回の国立大学の給与削減の影響もあると思いますが、ぼちぼち、海外の大学や私学へ転出する国立大学教員が増えているというようなうわさも聞こえてきます。(きちんとしたデータがあるわけではありませんが・・・)


 一方、僕の感覚では、文科省が「国立大学改革プラン」をまとめるなんて、大学としてはちょっと情けない気もします。改革って、国に言われてから受けて立つものではなく、大学の側からどんどんと積極的に政策提言をして、現場から国を動かしていくものではないんでしょうかね?

 極めて個人的な思いとしては、大学に「この国と地域のことは俺たちに任せろ。その代わり財務省は他の予算を削ってでも金を出せ!!」と言えるくらいの気概をもってほしいですね。

 (このブログは豊田の個人的な感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

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