ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

地方国立大学に想定される厳しいシナリオ(その2)

2013年01月24日 | 高等教育

 前回のブログでもご紹介しましたように、1月22日私学会館で開催された日本私学連盟の学長会議で、無事に講演を済ませてきました。約80名の私学の学長さん方たちがお集まりになりました。

 上の写真は最初のスライドですが、「文部科学省『大学改革実行プラン』をどう読むか」という、私学連から頂戴したテーマを書き、その下に「~特に地方大学の立場より~」と断り書きをいれました。

 さらに「本稿は豊田の所属機関とは無関係の私的な感想である」と断りを書きました。このブログでも毎回同じような断り書きを書かせていただいていますね。実は、当日知ったのですが、新聞社の方も聴衆として来ておられましたので、この断り書きを入れておいてよかったなと思いました。

 準備したスライドの数はいつものように、講演時間からするとはるかに多い103枚。僕はついついスライドを多く作ってしまう癖があるんですね。30分の講演なので、かなり端折りました。

 そんなことで、ブログの読者の皆さんにも、かなり端折って、また順序も適宜変えてお話をすることにしましょう。

 まず目次のスライド。私大連からの僕への依頼状にあったことがらをそのまま書きました。

 最初は”「大学改革実行プラン」をはじめとする高等教育政策の動向と国立大学の対応”ということですので、 2004年の国立大学法人化の頃からの流れを簡単に振り返ることにしました。僕の今までのブログでも同じものが出てきますがご了承ください。

 

 

  一口に高等教育政策と言っても、大学設置基準の大綱化・設置認可の弾力化や大学認証評価制度の導入、教育GPなど、いろんなことがあるのですが、「緊縮財政+重点化」という視点に絞って、その流れを上のスライドにまとめてみました。

 2004年の国立大学法人化はたいへん大きな出来事でしたが、「緊縮財政+重点化」という潮流は、それ以前から始まり、その大きな潮流は変わることなく、さまざまな表現型で国立大学(一部私立大学)に波のように繰り返し押し寄せていることがわかりますね。

 この日の講演では、この「緊縮財政+重点化」という大きな波に焦点を絞って、どのように国立大学が対応してきたのか、そして、今後、どう対応すればよいのか、ということをお話することにしました。「緊縮財政+重点化」政策ということになると、最も大きな影響を受けることになるのは、当然のことながら上位の大学ではなく、下位の大学、そしてその多くは地方大学ですので、「~特に地方大学の立場より~」というサブタイトルをつけさせていただいた次第です。

 まずは、国立大学法人化に先立って発表された、いわゆる「遠山プラン」ですね。

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 小泉改革の一環として、トップダウンで唐突に発表されたので、国立大学関係者はとまどい、また、大きな危機感を持ちました。 

 この間の状況や心配されたシナリオについては、前回のブログでご紹介した天野郁夫先生の論説によく書かれています。「国立大学の構造改革」(http://www.zam.go.jp/n00/pdf/ng001003.pdf)

 国立大学の動きとしては当時の鹿児島大学の学長さんを中心として反対の動きをされましたが、国立大学協会の中ではマジョリティーにならず、法人化を受け入れることになりました。

 僕は、法人化前夜の2003年に、いくつかの事情があって三重大学長に立候補することになったのですが、その時の選考会議に提出した所信表明の一部分を下にご紹介します。

 

 都会の大学に比べて、地方自治体と連携をとりやすいことが三重大学の強みの一つなので、地域連携を重点的に推進するべきこと、そして、三重大学の存続が問題にされる時が来る可能性があるので、その際、地域住民から三重大学の存続を求める声があがってくれないようでは困ることになることを訴えています。

 2004年4月に法人化と同時期に三重大の学長を拝命し、さっそく地域連携の推進に取り組みました。今から思い起こしても、我ながらおびただしい地域貢献政策を実行に移したと思っています。

 実は、この講演に三重県の皇学館大学の清水清学長も聞きに来ておられたのですが、あの時の豊田の地域連携をつぎつぎに実行していく姿は、そばから見ていてもすごいと感じたとほめていただいたので、第三者からもそれなりのご評価をしていただいていたのかな、と思っているのです。

 

 このような、さまざまな地域貢献、あるいは教育改革は、三重大学だけではなく、多くの地方国立大学でなされました。

 そのような頃、経済財政諮問会議(今回の第二次安倍政権で復活しましたね)の場では、国立大学の重点化の議論、つまり地方大学切り捨ての議論が進んでいたのです。 

 そして、僕が学長になるに際して、心配していたことが現実のものとなりかけました。朝日新聞に「競争したら国立大学半減?」「三重など24県で消失」という見だしの記事が出たんです。どうして、ここで「三重など」と三重大学が名指しで書かれたのかは、よくわかりません。

 

 

 下が財政制度等審議会に出された資料で、科学研究費取得額により、国立大学の運営費交付金を配分するという試算ですね。そうすると、三重大学をはじめ多くの地方大学で交付金が半減することになります。

 

 

 

 これでは、三重大学がつぶれることになると、僕は緊急記者会見を行い、三重大学がいかに地域に貢献をしているのかということを、記者の皆さんに訴えました。

 

 また、ちょうどこの頃に出された、第一次安倍政権の教育再生会議の報告でも、大学について「選択と集中による重点投資」「運営費交付金については、大幅な傾斜配分」と書かれていました。

 

 

 

 

 そしたら、当時の三重県知事や津市長が、ただちに行動を起こされ、県議会や市議会での運営費交付金削減反対決議がなされ、同じような動きが全国にも広がり、近畿知事会、全国知事会でも反対の決議がなされるにいたりました。

 

 

 

 その結果、骨太の方針の素案の中に記載されていた、運営費交付金の「大幅な傾斜配分」という文言が急きょ「適切な配分」に書き換えられたのです。

 地方自治体が、地方大学のために最大限行動を起こしてくれたのは、まさに、各大学が地域貢献に努力した賜物だったと思っています。このおかげで、急激な運営費交付金の削減は、とりあえず避けることができました。しかし、運営費交付金の削減は引き続き継続され、真綿で首を絞めるように、国立大学、特に余力の小さい地方国立大学を苦しめていくことになります。

 法人化そのものが国立大学に対する大波の第一波だったとすると、この事件は第二波と言えるものであったと思います。

 次のブログでは、第三波以降の波についてのお話になります。

(このブログは豊田の所属する機関の見解ではなく、豊田の私的な感想である。)

 

 

コメント (5)
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