ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

地方国立大学に想定される厳しいシナリオ(その1)

2013年01月16日 | 高等教育

 さて、新しい年になり、政権も新しく代わって、アベノミクスが円安や株価の上昇に影響を与えるなど、世の中が激動しているところで、僕の方はなかなかブログをかけずに1月も半ばになってしまいました。1月22日に日本私立大学連盟の学長会議でしゃべらないといけないのですが、なかなか構想がまとまらずに、ブログに手をつける気にならなかったこともあります。

 日本私学連盟の学長会議というと、早稲田や慶應といった日本の私学のブランド校の学長さんが一堂にお集まりになるわけで、これはたいへん緊張しますね。

 全体のテーマは「文部科学省『大学改革実行プラン』をどう読むか」ということで、金子元久先生(筑波大学大学研究センター教授)をはじめ4人がプレゼンします。僕のそのうちの一人です。このテーマは、昨年の9月の「大学マネジメント」誌に掲載された、僕と財務省神田主計官と、元文部科学官僚で立命館におられた本間政雄さんとの鼎談(本ブログでも紹介しました)と同じようなタイトルですね。

 たぶん、私学の皆さんも、その記事を読まれて、僕にも一度しゃべらせてみようと思われたのではないかと、推測しています。

 ただ、前政権の時に定められた『大学改革実行プラン』が、新政権でどのような扱いを受けるのか、よくわからない状況なのですが、僕は、さらに厳しくなることはあっても、緩くなることはないだろうと思っています。

 私学連の僕への要望事項は

 「国立大学の学長、私立大学の副学長、国立大学財務・経営センター理事長としてのご経験に基づき、『大学改革実行プラン』をはじめとする高等教育政策の動向を受け、国立大学はこれまでどのような対応をしてきたのか、また、高等教育機関はいかなる対応をとることが望ましいと考えられるのかについて、国立大学と私立大学の違いを踏まえお話いただきます。」

となっています。

 なかなか、たいへんなご要望をいただきましたね。光栄であると同時に、大きな責任を感じます。たぶん、私学の皆さんが僕に期待していることは、独法の理事長という”官僚的”立場からのおきまりの発言ではなく、国立大学の学長や私立大学の副学長を在野で経験した者としての本音ベースの話を聞きたいと思っていらっしゃると思うので、鼎談の時と同じように歯に衣を着せない話をさせていただこうと思います。(そもそも、このブログ自体が官僚的ではありませんよね。)

 私学連のご要望の中に「『大学改革実行プラン』をはじめとする高等教育政策の動向を受け、国立大学はこれまでどのような対応をしてきたのか・・・」という文言があるので、まずは、2004年の国立大学法人化前夜から今回の『大学改革実行プラン』までの高等教育政策と、それに対する国立大学の対応のエッセンスをお話しようと思います。

 そして、それに続いて、僕が勝手に考えている今後のいくつかのシナリオ、特に「地方国立大学に想定される厳しいシナリオ」といったものをお話しすることになるのかな、と思っています。

 国立大学法人化の前夜と言えば、2001年に、小泉改革の一環として経済財政諮問会議で説明された『遠山プラン』が有名ですね。

 1.国立大学の再編・統合を大胆に進める⇒スクラップ・アンド・ビルトで活性化

 2.国立大学に民間的発想の経営手法を導入する⇒新しい「国立大学法人に」早期移行

 3.大学に第三者評価による競争原理を導入する⇒国公私「トップ30」を世界最高水準に育成

となっています。

 これは、当初大学関係者が議論していた法人化のイメージとは似て非なるものであったので国立大学側はびっくりしたわけです。これでは地方大学の未来がないということで、当時の鹿児島大学長さんを中心に、いくつかの大学長さんが反対を表明されましたが、最終的には受け入れることになりました。

 この遠山プランについてwebで検索していたところ、たまたま、天野郁夫先生が2002年に書かれた論説に行き当たりました。(http://www.zam.go.jp/n00/pdf/ng001003.pdf)

 ちなみに、天野先生といえば、当時国立大学財務センター(国立大学財務・経営センターの前身)の研究部長をされていましたね。22日に私学連でいっしょに講演する金子先生も、国立大学財務・経営センターの研究部長を昨年の3月までされておられました。

 天野先生は、この論説で、国立大学法人化の本質、懸念材料、法人化後に生じるであろうシナリオ等について実に的確にお書きになっています。やはり、さすがですね。

 以下に、僕なりに、天野先生の論説のエッセンスを書き抜いてみました。

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◎いったい何のための再編統合か?

 行財政改革の一環?教育研究の活性化?大学運営の合理化?

 下手をすると、99 校は多すぎるという議論だけが横行し、たとえば60 校にするという単なる数合わせになったりする恐れあり。

 統廃合すれば、人員や予算のカットの話が当然出てくる。しかしコストの問題だけで統廃合するというのは非常に問題
 
◎『トップ30』は、これまでもトップ30 に類する特定の大学に重点的にお金を配るという政策は隠された形で実施されてきたが、それを公然化すること。
 
 ウィナー・テーク・オール(一人勝ち)状態となり、配分先の序列の固定化が起こる。
 無駄遣い⇒資金投入と研究アウトプットは必ずどこかで生産性が飽和
 限られた資源の再配分⇒いま持っている人から取り上げて、さらに持っている人のところに移すこと⇒不平等化、格差構造の強化⇒マジョリティーを占める大学の活性化が失われる。

◎教育の空洞化への懸念

 日本の教員は1日24時間の中で教育・研究・管理運営・サービスの4 業務をこなす⇒どこかが増えればどこかが減る。

 研究成果による資金配分⇒しわ寄せは教育・サービスに、1番のしわ寄せは学部教育、院生は研究費が増えれば増えるほど研究補助者として酷使
 
 日本の大学の教育・研究組織全体をアメリカ的なものに転換する必要⇒研究費を獲得した教員は自分の給与も支払い、教育も管理運営もやらず研究に専念。研究費の取れない人は教育だけをする。
 
◎国民的資産としての大学をどう活用するかという話が基本にあって、そういう視点から一連の改革を推し進めるべき。数を減らしたり、トップ30 をつくるだけが自己目的化してしまったのでは、人的、物的、知的なストックを効果的に活用することにはつながらない。
 
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 法人化後、天野先生のご懸念の多くは、残念ながらその通りになりました。
 
 ただし、一つだけ、天野先生の予想が外れたことがあります。それは、天野先生は「教育の空洞化」を懸念されておられましたが、実際には、研究機能の低下が大きく前面に出ることになりました。僕の論文数の分析によって、天野先生の懸念されていたことが、研究面でそっくりそのまま現実化しつつあることが明らかとなったわけです。
 
 つまり、
 
・ウィナー・テーク・オール(一人勝ち)状態となり、配分先の序列の固定化が起こる。
・無駄遣い⇒資金投入と研究アウトプットは必ずどこかで生産性が飽和
・限られた資源の再配分⇒いま持っている人から取り上げて、さらに持っている人のところに移すこと⇒不平等化、格差構造の強化⇒マジョリティーを占める大学の活性化が失われる。
 
 現在の政策が続けば、地方国立大学の研究機能はいっそう低下し、限りなく「専門学校化」の方向に近づいていくという、厳しいシナリオが想定されます。
 
 今回の「大学改革実行プラン」には、リサーチ・ユニバーシティ群の増強と伴に、COC、つまり地域拠点の形成等が書かれており、この点では『遠山プラン』に比べれば地方大学は救われています。

 実行プランは、重点化(選択と集中)をより強く推し進めようとする大方の考えと、過度の選択と集中の弊害に理解を示す一部の考えとの間の綱引きの産物ではないかと想像されるのですが、大勢としては、格差構造の強化という形に傾いていくように感じられます。この点は、今後政府がどれだけCOCに予算を投入するかどうか等でわかるかもしれません。
 
 僕が今まで論文数の分析をしてきたのは、過度の格差構造の拡大政策に対して、データでもって警鐘をならしたいという思いからでした。そして、地方国立大学にも、優秀な研究者がぽつぽつ潜在しており、彼らの能力を最大限生かすことのできる政策をしていただかないと、日本国全体としては、あまりにももったいないのではないか、というふうに思ったからです。
 
 天野先生がお書きになっている「国民的資産としての大学をどう活用するかという話が基本にあって、そういう視点から一連の改革を推し進めるべき。数を減らしたり、トップ30 をつくるだけが自己目的化してしまったのでは、人的、物的、知的なストックを効果的に活用することにはつながらない。」というご主張と、まったく同じ思いですね。
 
 そして、それを実現するための条件として、
 
・天野先生が指摘されておられるように「手段の自己目的化」を防ぐこと。そのためには、まず、日本国全体としての研究等の目的を明らかにし、数値目標を掲げること。
 
・研究の目的としては少なくとも2つあり、研究の国際競争力を高めることと、イノベーションによる地域活性化を図ること。(教育の目的はグローバル人材とイノベータの育成ですかね)
 
・研究(国際競争力)の数値目標については「人口当たりのTop10%論文数の世界ランキングを上げる」こと(つまり論文の〔質×量〕の目標)が妥当と思われること。
 
・重点化や格差拡大政策を過度に実施することはむしろ生産性を低下させるので、日本全体としての目標値が最大化するような程度をさぐるべきこと。
 
・論文数は研究費と高い相関を示すことから、数値目標の達成は研究予算を削減することによっては不可能であり、研究費総額を増やす必要があること。
 
 などが、僕が今までにブログ等で主張してきたことがらでした。
 
 上位大学にももちろんがんばっていただき、世界ランキングを上げて欲しいわけですが、それに伴って地方大学の潜在力を殺すような政策ではなく、逆に最大限生かすことのできる政策をしていただきたいですね。(ただし、これは、頑張っていない地方大学まで救えということではありません。)
 
 1月22日には、まずはこんな切り口から話を始めて、今後の地方大学(私学も含めて)に想定されるいくつかの厳しいシナリオをお話しようと思っています。そして、それを踏まえて大学がどう対応していけばいいのか、という難しい問題に自分なりの答えを表明しなくてはなりません。
 
(本ブログは豊田個人の私的な感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

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