ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

国立大予算の大幅削減が地域と国のイノベーション力低下をもたらすことを危惧する

2010年07月02日 | 日記
6月29日の「国立大学法人学長・大学共同利用機関法人機構長会議」の続きです。

鈴木寛副大臣は来年度の大学関連の概算要求はたいへん厳しいとおっしゃっていましたが、具体的な数値としてどれくらい厳しいかという説明が、文科省の方々から説明されました。

高等教育局長の徳永保さんは

「中期財政フレームによると歳出は71兆円で今後3年間は固定、地方交付税は17兆円で固定。社会保障費は27兆円から毎年1.3兆円自増という前提から、それ以外の経費26兆円から毎年1.3兆円減らさなければならない。さらに義務的経費を除くと政策的経費は概ね13兆円だから、そこから1.3兆円出すことになると新しいことをしなくとも毎年8%減らさなければならないことになる。すなわち、国立大学への運営費交付金を含め、現行水準で維持していくことさえ、極めて多大な努力を要する状況にあることを理解してもらいたい。」

という旨のことをおっしゃいました。1.3兆円は13兆円の10%になると思われますが、確か8%減とおっしゃったと思います。

文科省関係の予算は総額約5兆円で、そのうち政策的経費が約3兆円。3兆円の8%は2400億円で、うち高等教育関連の政策的経費は約1.5兆円とされていますから、大学関連予算の削減は1200億円ということになります。

これは単純に計算した結果で、直ちに国立大の運営費交付金が8%削減されるということではなく、また担当課長も、そうならないように努力するとおっしゃっていましたが、その恐れはありうるとのことでした。

今までは運営費交付金は毎年約1%の削減だったので、もし8%削減ということになれば、これは大変なことになります。直ちに立ち行かなくなる国立大学も出現すると思います。

ここで、私は鈴木寛副大臣のおっしゃっていた

「新しい政権は良くも悪くも世論に敏感な政権であるが、大学、国立大学は一般国民から縁遠いものとなっている。」
「大学が国民からなじみが薄く、そこに税金を投入する意義が十分に理解されないという悪循環に陥っている。」
「コンクリートから人へという政策転換の中で、教育予算の増額には成功したが、大学への予算増額への支持は沸き起こらない。」

というお言葉がたいへん気になります。

「地域住民や国民からの支持が沸き起こらない限り」大学への予算が削られてもやむをえないということは、つまり「選挙の票に結びつかない限り」大学への予算が削られてもやむをえないという解釈もできるからです。

法人化後、私が学長をしていた三重大を含め、各国立大は特に地域との対話や連携に努力し、法人化前に比べると格段に大きな地域貢献を達成して、まさに、地域のイノベーションや成長の源泉として、必要不可欠の存在になったと私は思っています。

しかし、それが為政者の皆さんや国民一人ひとりにまだまだ伝わっていないということなのでしょう。パブコメを集めても、小・中学校の政策については何千という単位で国民から意見が集まるのに、国立大学法人化の検証に関するパブコメで200件台の意見しか集まらないようでは、当事者である大学の教職員も含めて大学に無関心であると思われてもしかたがありません。

ただし、高校授業料無償化のように、国民一人ひとりに直接的に影響を与える政策の場合には選挙の票にも結びつきやすいわけですが、大学の教育・研究あるいは地域貢献というのは、受益者の数も限定され、すぐには結果がでないサービスであることから、選挙を左右するほどの支持が住民から沸き起こることは、そもそも考えにくいと思います。

世論の支持が集まりやすい政策に税金が投入され、シーソーゲームのように、大切であるにも関わらず世論の支持が集まりにくい大学の予算が削減される。そして、何年かたって気がついたら、地域と国のイノベーション力が低下して、韓国や中国を初め世界にどうあがいても追いつけない状況に追い込まれている。私は日本がこのような国になることをたいへん危惧しています。

7月末に文科省の概算要求の骨子が固まるようですが、その結果が出る前に国立大学の皆さんは行動を起こす必要はないんでしょうかね?2007年に前政権下で国立大学の運営費交付金が科研費の取得額に応じて配分されるという試算が出された時には、三重大を初めとして地方大学から火の手が上がり、全国知事会の反対決議にまでもっていけたのですが・・・。
コメント (4)
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