肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『地球の静止する日』、観ました。

2005-09-28 11:38:58 | 映画(た行)
地球の静止する日

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

このアイテムの詳細を見る

 『地球の静止する日』、観ました。
突如、ワシントンに飛来した円盤。その中から降り立った異星人クラトゥは、
地球人の未来を懸念し、人類に核兵器の放棄を要求する。そして要求が
受け入れられない場合、地球上の全エネルギーを停止させると宣言した……。
 半世紀も前の古典SFだから、アラを探せばきりがない。“ナンセンスな
科学”はツッコミどころ満載だし、“ツギハギだらけの特撮”は今どき
子供だましにすらなりゃしない(笑)。まぁ、そんな感じだから、映像重視の
ファンには満足できる筈もないんだけど、ボクはそれとは違う、今作の面白さって
もっと別のところにあると思うのだよ。一つにそれは、主人公を人類から
宇宙人に置き換えた“設定の斬新さ”。二つに製作当時、冷戦下にあった世界を
(第三者である)宇宙人から皮肉る“テーマ性”。まさに、これは映像技術を
みせるだけの映画じゃない。目でみて感じ、頭で考えさせるSF映画なのだ。
 さてさて、“地球の危機”が迫ったようなタイトルは、否(いや)が応にも
『宇宙戦争』や『インデペンデンス・デイ』のような“宇宙人侵略型”の
SF映画を想像する。ところが、いざ観てみれば、宇宙人が我らに危害を
加える様子はなく、むしろ、来訪する宇宙人を友好的に描いたという点で、
スピルバーグの『未知との遭遇』に最も近いかなと‥。ラストシーンも
そっくりだしね。ならば、今作だけの特徴は、(上にも書いてるように)
そのほとんどが“宇宙人の視点”で描かれている点だ。彼(宇宙人)から見た
“冷戦時の地球”は、国家間の緊張が高まりをみせ、競って「新たな殺人兵器」の
開発に着手する“原始的で愚かな世界”。結局、彼は我ら地球人以上に
“この星の未来”に危機感を感じていた訳だ。ボクがこの映画を観て感じたのは、
“冷戦の恐怖”が人々を怯えさせ、邪悪な妄想を育て、(先制)攻撃に
走らせるってこと。だけど、今にして思えば、この構図って恐怖の対象が
「冷戦」から「テロ」に形が変わっただけで、50年前から今も何ら進歩して
ないんだね。“地球の未来”を見据え、この映画に“願い”を込めた先人たちは、
この“愚かしい現実”を見て、一体どう思うのだろうか‥‥。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿