地球の静止する日20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパンこのアイテムの詳細を見る |
『地球の静止する日』、観ました。
突如、ワシントンに飛来した円盤。その中から降り立った異星人クラトゥは、
地球人の未来を懸念し、人類に核兵器の放棄を要求する。そして要求が
受け入れられない場合、地球上の全エネルギーを停止させると宣言した……。
半世紀も前の古典SFだから、アラを探せばきりがない。“ナンセンスな
科学”はツッコミどころ満載だし、“ツギハギだらけの特撮”は今どき
子供だましにすらなりゃしない(笑)。まぁ、そんな感じだから、映像重視の
ファンには満足できる筈もないんだけど、ボクはそれとは違う、今作の面白さって
もっと別のところにあると思うのだよ。一つにそれは、主人公を人類から
宇宙人に置き換えた“設定の斬新さ”。二つに製作当時、冷戦下にあった世界を
(第三者である)宇宙人から皮肉る“テーマ性”。まさに、これは映像技術を
みせるだけの映画じゃない。目でみて感じ、頭で考えさせるSF映画なのだ。
さてさて、“地球の危機”が迫ったようなタイトルは、否(いや)が応にも
『宇宙戦争』や『インデペンデンス・デイ』のような“宇宙人侵略型”の
SF映画を想像する。ところが、いざ観てみれば、宇宙人が我らに危害を
加える様子はなく、むしろ、来訪する宇宙人を友好的に描いたという点で、
スピルバーグの『未知との遭遇』に最も近いかなと‥。ラストシーンも
そっくりだしね。ならば、今作だけの特徴は、(上にも書いてるように)
そのほとんどが“宇宙人の視点”で描かれている点だ。彼(宇宙人)から見た
“冷戦時の地球”は、国家間の緊張が高まりをみせ、競って「新たな殺人兵器」の
開発に着手する“原始的で愚かな世界”。結局、彼は我ら地球人以上に
“この星の未来”に危機感を感じていた訳だ。ボクがこの映画を観て感じたのは、
“冷戦の恐怖”が人々を怯えさせ、邪悪な妄想を育て、(先制)攻撃に
走らせるってこと。だけど、今にして思えば、この構図って恐怖の対象が
「冷戦」から「テロ」に形が変わっただけで、50年前から今も何ら進歩して
ないんだね。“地球の未来”を見据え、この映画に“願い”を込めた先人たちは、
この“愚かしい現実”を見て、一体どう思うのだろうか‥‥。
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