監督:クリント・イーストウッド
出演:レオナルド・ディカプリオ、ナオミ・ワッツ、アーミー・ハマー、ジョシュ・ルーカス、ジュディ・デンチ
『J・エドガー』、観ました。
1924年にFBI初代長官に任命されたジョン・エドガー・フーバーは、歴代の
大統領に仕え、数々の戦争をくぐり抜け、半世紀にわたって法の番人として
アメリカをコントロールしてきた。しかし、フーバーには絶対に人に知られては
ならない秘密があった……。
クリント・イーストウッドの映画は、“コントラスト”の映画だ。様々な対比の
関係が、複雑に交錯し、重厚な人間ドラマを形成する。この映画で例を挙げると、
若き日の主人公が全幅の信頼を寄せる母親に対して、もはやかつての面影は
無く、廃人となった父親との対比から始まり、善と悪、勝者と敗者、生と死、
老いと若さ、愛と憎しみ、強者と弱者、真実と嘘、個人と組織、ペテン師と
英雄――など、人生における“光と陰”を容赦なきまでに浮き彫りにする。そして、
それらの対比は、コインの裏と表のように隣り合わせで存在し、何かの拍子に
簡単にひっくり返る。物語中盤、主人公の、犯人逮捕の執念が“行き過ぎた
正義”へと変わり、自らが“悪(不正)”の領域に足を踏み入れていく。今にして
思えば、突如現れた“白い馬”は、その(善悪の)ぎりぎりで踏み止まることの
出来る、主人公に残された“最後の良心”だったんだろう。
ならば、その数ある対比の中で、本作のイーストウッドが一番重きを置いた
対比は何だったろう??、――それは、ペテン師と英雄だろう。皮肉屋(?)の
イーストウッドが、わざわざ実在の歴史上人物まで引っ張り出し、登場させた2人が
キングとニクソンだ。アメリカ史に詳しくない私にとって、彼らが真の英雄だったか、
単なるペテン師だったのか、は知る由もない。アメリカ国民さえ知らないかも
しれない。人は時に善になり、時に悪となる――、二面性を持つ生きものだから。
それでも、一つ言える事は、両者は一様に表舞台に立ち、(歴史に)名を残した。
一方で、やはり皮肉屋のイーストウッドらしいのが、この作品は、その2人ではなく、
名も無き女秘書が人知れぬ事務の片隅でひっそり極秘書類を処分する場面で
エンディングを迎える。彼女は一切を語らず、己の良心(愛国心)に従い、己の責任を
全うする――。これまでも、そしてこれからも、きっと彼女のような人たちによって、
国の平和は守られていく。真の英雄とは――、そういう人なんだと私は思う。
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