『エミリー・ローズ』、映画館で観ました。
19歳の女子大生エミリー・ローズ。自分に何かが取り憑いていると確信した
彼女は、自らの運命を医学ではなくムーア神父に託すが、悪魔祓いの儀式の後、
命を落としてしまう。過失致死罪で起訴され、全国民が有罪と断言する中、
神父は法廷で、エミリーの身に起こったことを語り始める…。
何を隠そう、オイラだって元を正せば、こんなにも“無神論者”じゃなかったハズ。
今よりもっと穢(けが)れを知らぬその昔は、やっぱり神を信じ、悪魔を恐れる、
迷える子羊ちゃんだったのサ(笑)。まぁ、そんなオイラが今に至る経緯は
割愛させて頂いて(笑)、今回オイラがこの映画に惹かれた点が二つ。
まず、このオカルティックな“悪魔の存在”を、現代の裁判制度が(常識?、
正論?、医学?、科学?の見地から)どのように裁くのかという興味が一点。
続いて、二点目は何とこれが事実に基づいた“実話”であるというから驚きだ。
でもって、たった今さっき映画を観終わった結論は、さすがの(?)オイラをもって
しても全部“デタラメ”とは言い切れない、信じ込ませるだけの“説得力”が
ここにはある。恐らく、悪魔が少女にとり憑く内容からして、ウィリアム・
フリードキンの『エクソシスト』と比べられると思うが、出来はともかくとして
(悪魔の存在に対する)“真実味”ではこちらの方が上かもしれない。リアルな
恐怖が直に伝わる作品だ。
さて、映画は“ホラー映画”としても楽しめるし、“法廷映画”として「宗教裁判」を
描いたものとしても充分堪能出来る。ボクがこの映画を観て感じたことは、
悪魔は自らが手を下して人を殺したり、傷付けたりはしない。人の“心の隙”を
狙って忍び込み、支配するのだ。そして、それに打ち勝つのは、神への信仰…、
すなわち、“強き信念”だということ。しかし、ここで見逃してはいけないのは、
実は本作の“もう一つの戦い”である「裁判」も、これによく似た構図になって
いるのだよ。弁護士であるヒロインが、自分の利益と名声のためにだけに
引き受けた裁判で、被告を“信じること”で劣勢をはね返し、上司の命令よりも
“被告の意思”を尊重した。度重なる“悪魔の恐怖”に怯えながらも、最後まで
逃げ出さなかったのは、その強い「信念」と「良心」に目覚めたからではない
だろうか。