トンサンの別荘

初代iMacが壊れ、本宅「マック鈴木家へようこそ」が更新できなくなったので、2010年9月27日よりこちらで情報発信。

夏・・・生まれてはいなかったのに終戦と夏祭りが思い浮かぶ。

2018年08月01日 11時33分57秒 | 日記

8月1日(水) 晴れ

8月1日の「広報あつぎ」を見ると、見開きで戦争体験者のインタビュー記事があった。



現在90歳で厚木に住んでいるおじいさんだが、沖縄で育ち沖縄戦を体験した人だ。
「戦争は絶対にダメ」と語っている。
最近はもう戦争体験者はわずかしか残っていないので、体験談を書き残しておくことにあせっているそうだ。


この見開きのページ右下に、「戦時下の厚木」という表がある。



ここには本厚木駅や付近が、米軍の機銃掃射を何度か受けたと書いてある。
我が家は駅に近く、機銃掃射の弾は便所を打ち抜いたらしい。




その家でトンサンは生まれた。(立っているのがトンサン)


トンサンの親が結婚した時は「児島」の姓だった。
ところがおふくろの弟が戦死し、おふくろの姓である「鈴木」の名に戸籍を変えた。



写真中央が戦死した叔父(おじ)。
両脇がおふくろの両親。

トンサンは戦争が無ければ「児島」と名乗っていたのだ。


これは親父が持っていた戦時中の写真。



親父は新聞社でカメラマンだったので、こういう写真をたくさん持っていた。
トンサンの娘が小学生の時、勉強で使いたいからと貸出したが、先生のお礼状とともに戻ってきたままになっている。
今はアルバムを整理してしまったので、戻すところが無い。

こうして戦争の記憶は一つ一つ消えていくのだろうか・・・


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