亡き母が好んで聞いた歌に尾崎豊の曲がある。
尾崎豊とは、26歳で夭折したシンガーソングライター。
当時、若者のカリスマ的存在であり、今なおファンは多い。
『闇の告白』にこんな歌詞がある。
『血にまみれて汚れてしまう心
償う術もなく生きる
この世に生を受けた時から
人は誰もが罪を背負い
何時しかやがて銃の引きがねを弾く
いつの日か自分を撃ち抜く
ただ一人答えを撃ち抜く・・・・』
闇とは、おそらく心の闇のこと。
尾崎の見つめた心は、傷つき傷つけ、血にまみれ、償うことのできない罪を
一生背負い続けるものであったのでしょう。
それは、決して彼が望んだ「生」ではなかった。
望んだものなら、銃で自分を撃ち抜く、という過激な言葉にならないはずだから・・・。
『酔いどれ』という歌には、
『おいらは酔いどれ・・・・・・・
おいらの人生かい。無駄使いのあぶくぜにさ。
生きてるわけかい。そんなものありゃしないよ・・・』とある。
生きてる訳。これがわかれば、どんなに汚れ罪深くても、自分の人生を
あぶく銭とは言わなかったでしょう。
尾崎が強烈に求めていたものは、きっと愛でも夢でもない。
「生きる理由」であり、「なぜ生きる」の答えだったのです。
その心の叫びが、若者の共感を得、今なお人々の胸を揺さぶるのではないでしょうか。
すべての人は生きる目的を知らない闇の中にいる。
そして、どんなに叫んでももがいても、闇の外に出られないことを、
おそらく知っているのです。
その閉塞感に押しつぶされそうになりながら、太陽に背を向け歩いていた
かつての自分が、仏法にめぐりあえて廻れ右、生きる目的に向かって
明るい幸せな道を進ませて頂いています。
あのとき仏法にあえなかったら・・・。
17年前の4月25日、亡くなった尾崎の酔いどれの最期に哀れな自分の姿を
そっと重ねずにおれないのです☆
尾崎豊とは、26歳で夭折したシンガーソングライター。
当時、若者のカリスマ的存在であり、今なおファンは多い。
『闇の告白』にこんな歌詞がある。
『血にまみれて汚れてしまう心
償う術もなく生きる
この世に生を受けた時から
人は誰もが罪を背負い
何時しかやがて銃の引きがねを弾く
いつの日か自分を撃ち抜く
ただ一人答えを撃ち抜く・・・・』
闇とは、おそらく心の闇のこと。
尾崎の見つめた心は、傷つき傷つけ、血にまみれ、償うことのできない罪を
一生背負い続けるものであったのでしょう。
それは、決して彼が望んだ「生」ではなかった。
望んだものなら、銃で自分を撃ち抜く、という過激な言葉にならないはずだから・・・。
『酔いどれ』という歌には、
『おいらは酔いどれ・・・・・・・
おいらの人生かい。無駄使いのあぶくぜにさ。
生きてるわけかい。そんなものありゃしないよ・・・』とある。
生きてる訳。これがわかれば、どんなに汚れ罪深くても、自分の人生を
あぶく銭とは言わなかったでしょう。
尾崎が強烈に求めていたものは、きっと愛でも夢でもない。
「生きる理由」であり、「なぜ生きる」の答えだったのです。
その心の叫びが、若者の共感を得、今なお人々の胸を揺さぶるのではないでしょうか。
すべての人は生きる目的を知らない闇の中にいる。
そして、どんなに叫んでももがいても、闇の外に出られないことを、
おそらく知っているのです。
その閉塞感に押しつぶされそうになりながら、太陽に背を向け歩いていた
かつての自分が、仏法にめぐりあえて廻れ右、生きる目的に向かって
明るい幸せな道を進ませて頂いています。
あのとき仏法にあえなかったら・・・。
17年前の4月25日、亡くなった尾崎の酔いどれの最期に哀れな自分の姿を
そっと重ねずにおれないのです☆