働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

『携帯電話』と「無縁社会」

2010-09-13 06:31:30 | 音楽
日本のロックバンドのRADWIMPS(ラッドウインプス)に『携帯電話』という歌がある。

歌詞の一部を聞いてみよう。

『今日も携帯電話をポッケに入れて歩くけど
待てど暮らせどあの人からの連絡はなくて
まるで寂しさをポッケに入れて歩いているような
そんな こんな僕です

(中略)

こんなものがなければ 今日も僕は一人だと
思い知らされることもなく 生きてけたんだろう』

今や携帯電話なしに、生活している若人はほとんどいないだろう。

他者との繋がりに欠かせないシロモノだから。。。
しかし、一日中、鳴りも響きもしないケータイを持てば、絆のない一人ぼっちの自分を、逆に思い
知らされることになる。

なんて寂しい歌だろう。

だけど、そんなケータイも捨てられない。
『これがあるから、誰かのポッケの中に僕の居場所がある』と思えるから。

「居場所」とは何だろう。
孤独な自分が、安心して人と関わり合える、存在感を得られる場所ということだろうか。

それを携帯電話に求める心情とはいかなるものだろう。

最近「無縁社会」という造語も聞く。

家庭や、地域で人間の絆が弱まっている。
家出、行方不明、ホームレス、孤独死と、消えた高齢者は、増すばかり。。。

居場所を求めながら、それが得られなかった人の行く末を見るようでもある。

まだ携帯で繋がりを求め、そこに居場所を見出せればマシだと、この歌に共感し、慰められる人も
多いのだろう。

しかし、悲しいかな、心変わる人間やモノを求める限り、安住の地は死ぬまで得られない。

では、心から安心し、満足を得られるところはどこだろう。
この世に果たしてあるのだろうか。。。

答えは、三世を貫き十方を普く、仏縁に恵まれてこそ、にある。

仏縁を結べば、求めていた「居場所」はここだったのか、と寂しさも侘しさも吹き飛んで、熱い絆に
確かな幸せを知らされるに違いない。

仏縁を求め、光に向えば一人であって孤独でなく、数多ければ、それだけ頼もしい団結となる。

さまよう老若男女を見るにつけ、どうか仏縁あれかし、と心から願わずにおれない☆

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